第42話 第六章 海に消えた伝説
翌朝、稚日女尊から沢山の兵糧等と、生田神社の関係者総出の御見送りを受けながら生田の地を後にした。
関係者の中には、どこか不貞腐れた表情を浮かべた名神主、斯呂古の姿があった。多分、稚日女尊から頼まれて、致し方なくそこへと立っているのであろう。神界切っての名神主であっても、御神体には叶わないものである事を知り、それが何とも可笑しく描写を彩っていた。
今日はどこかはっきりしない曇り空で、秋口にしては嫌に寒かった。
まるで自分達の行先を邪魔しているように、薄く靄のかかる景色の先が透明な暗闇のように感じ、天鈿女は少し薄気味悪く思った。
皆が皆、大和の方角へとしっかりとした歩幅で足を進ませていた。そんな中、吉備津彦と岳のどこか暗い会話が聞こえてきた。
「吉備津彦…、生田の民は何故あんなに獰猛なのじゃ…?あの民達が私と同じ人だとは思えなかったぞ…。」
「噂には聞いていたのだが、ああまでなるとは予想もしていなかった…。一度、天孫本社へと報告しなければならぬ。もしや、六甲山の神が民に対してそういう教えを説いているかもしれぬからな。して、天鈿女様。六甲山に鎮座する大神の名を存じ上げておられますか?」
天鈿女は、吉備津彦の問いにいつもと同じような口調で返そうと思ったが、二人の会話に水を差してしまってはいけないと思い、無言で首を横に振った。すると吉備津彦は、その姿に突っかかる事もなく「御意。」とだけ呟いて岳へと会話を戻した。
それには天鈿女も特に気にせず二人の会話へと耳を傾けたのだったが、やはり、これまでの吉備津彦との言い合いは、自身からけしかけていたのだなと、その態度から浮き彫りにされた瞬間だった。今更ながら何を思っても致し方ない。二人の会話は続く。
「しかし、吉備津彦はあれからどこに流されて行ったのじゃ?」
「いや、民の音頭と共に上下に振られている内に意識が遠のいてしまってな。ははは…、まるで覚えてないのじゃっ!!」
岳は暫く考える風に、腕を組ませ首を傾がせていた。
「私は思うのじゃ…。吉備津彦くらいの力がある天津神であるなら、民なんてそのまま自らの渦で薙ぎ払えるであろうぞ?」
吉備津彦は少し顔を強張らせながらも、岳の声に応えていた。
「儂は天津神ではなく、国津神だぞ、岳…。いや、確かにそうなのだが、民を相手には…やはり戦えんからな。」
岳はまるで考えるように腕を組ませながら吉備津彦の姿を見つめていた。
事実国津神ではないのだが、何となく抗いたいという気持ちが存在するのも分からなくもなかった。暫くの間、特に何の態度も示さないまま立ち尽くしていたのだが、 何を思ったのか、岳は満面の笑みを浮かべ始めた。
「私が吉備津彦のような力を持ち合わせていたならば、多分民を薙ぎ払っていただろう。やはり吉備津彦は…いい漢であるな…。」
「岳、心を磨くのじゃ。日々精進であるぞっ!!」
岳は吉備津彦の言葉に対し、真剣に耳を傾かせながら瞳を輝かせていた。
旅が始まってから、この漢二人の態度がどうやらおかしいと天鈿女は思っていたのだった。何か妙に結託しているような雰囲気も然り、やけに二人で肩を並ばせて歩く事が増えた事に気がついていた。
何気ない態度ではあるものの、やはり何か違和感を覚えてしまうのは、女独自の感性から来ているのだと思う。
まあ、漢同士がやらかしている事だから、特に大した事ではないと分かり過ぎている天鈿女なのであったのだが…。
生田神社で体験した苦労談話に耳を傾かせながら、路を突き進んでいた。
二人の会話はというと、痛い想いや苦労した話は絶えなかったのだが、言葉を浮かべる二人の表情は妙に明るい。確かに苦労はしたのだと思うが、多分結局は楽しかったのだろう。何の台詞を挟まないように天鈿女は自らが努め、足を進ませた。
何故か話の途中から、女人の肌触りがどうのとか、おっさんの酔っ払った息がこうのとか、正しく下らない話の内容になったので、天鈿女は興味を失ってしまっただけの話なのだが。
そうこうしている内に気がつくと、土地の面積よりも海の面積の方が広くなったような気がしなくもない。
生田を発ってから大よそ二刻が過ぎようとしていた。未だ岳と吉備津彦の不毛にも熱い話は続いていて、困った事に周りの状況もいまいち掴めていない様子である。
二人はただ何もない路をひたすら歩いているだけに過ぎなかった。
右手には相変わらずの海が広がりを見せ続けているのだが、海岸線辺りに段々と建物が増えてきている気がしていた。それと共に人も増え、何やら騒がしい雰囲気を放出させ始めていた。
行きかう民達の言葉から、私達は遂に務古の水門へとたどり着いた事を知った。
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