264 闘技場の夜 2



「無意識のうちに女を創造……か。ふむ、お主ならやれぬこともないわ」


「いやいや、困ってないから。それに、どうせ創造するなら好みの見た目にするさ」


「くふ、くふふふふ、そう、そうよな。どうせ創るなら、わしのような見た目にするじゃろうて」


 緊張感のない二人に、ジャヒーは口に手をあて若干の困惑を示していた。


「あの、あちらの女性はお二人に気付かれずに侵入されたのですよね? 異常事態だと思うのですが、よろしいのでしょうか」


「んー……確かに気付かなかったけど。ねぇ」


 アンリとカスパールに感知されずにコロッセオに侵入する。果たして、それが可能なのか。

 ジャヒーからすれば、それは神業に思えた。

 一年先の天気を当てるような、寝ながらドラゴンの心臓をくり抜くような、とにかく不可能なことだと漠然に感じたのだ。


 だが、アンリにとってはそうは思えない。


 アンリの戦闘力は類を見ないが、別に探索能力に秀でているわけではない。

 強大な回復魔法を常にかけており、自分の理論上では直ぐに死ぬことはないと理解しているため、今では同じ冒険者で比べると危機意識は低いとすらいえるかもしれない。

 加えて、今いる円形闘技場コロッセオは建設したばかりであり、アフラシアデビルの監視もないため、索敵されなかったことは不思議でもなんでもない。


「例えばここに認識阻害魔法オプティカル・ビーを使用したオズさんとかがいても、僕たちは気づかないだろうさ。まぁ、彼もそんな暇人じゃないだろうけど」


「いやしかし……あの女、中々の手練れなのは間違いないの。内に流れる魔力が全く感じ取れぬ。わしが微塵も感じ取れぬのはお主ぐらいじゃと思っておったが……」


 つまりそれは、意図的に自分の魔力を隠しているということだ。

 魔力の流れを読むことに長けているカスパールに一切悟らせぬということは、それだけで強者の証明でもあった。


「ふぅん……もしかして円形闘技場コロッセオ好きの精霊さんとか……ん?」


 手練れと聞きその女をやっと視界に入れた時、アンリは明確に不快感を覚えた。

 じわりと暑い室内で上着を脱げないような、発現する言葉を全て上から被されるような。いや、今の感覚の正体をこれまでの経験から探すが、どれも当てはまらない。

 もっと明確な不快感。嫌悪ですらあり、すぐに殺意にもなるかもしれない。


 そしてそれは、相手の女も同じだったようだ。

 涼し気な表情が一瞬歪み、目を逸らさずに立ち上がる。

 かと思えば、女は一瞬のうちに観客席から姿を消し、気付けばアンリ達と対峙していた。


 決して気を抜いていたわけではない。

 瞬きすらしない内に距離を詰めた女に、三人の警戒心はやっとまともなものに上がる。

 三人が見逃すほどの恐ろしい速さの移動にも関わらず、起こした土煙が些細なものであったことからも、女の力量がうかがえる。


「えぇっと、何か用かな? そんな怖い目で見られる覚えは……多分無いんだけど、誰かと勘違いしてたりするのかな? 僕はアーリマン・ザラシュトラ。この国の冥王ってことになってるけど、気軽にアンリって呼んでもらえると嬉しいな。……とりあえず、名前を聞いても?」


 如何に大きな嫌悪感といえ、感情のままに力を奮うのは子供のすることだ。

 アンリは仮面のように笑顔を張り付け、紳士的に対応する。


「ユーシャダイ・ソーラス・ツァラトゥスラ。悪を討つもの」


 名乗りを受け、名乗りを返しただけまともではある。

 だが、近寄りながら剣を鞘から抜くユーシャダイは、決して淑女とは言えないだろう。


「止まれよ下郎が! アンリを冥王と知っての無礼か!」


 カスパールの警告にも、ユーシャダイは止まらない。

 ならば心の臓を止めるだけとカスパールもまた剣を抜く。


 ”嫉妬”の能力を、カスパールは通常の戦闘に活かすことに成功していた。

 別の時間軸で詠唱を行い、今の時間軸であたかも無詠唱のように魔法を行使できるのは反則といってもいい。

 それよりも反則なのは、相手の行動を予測できるということだ。

 アンリから遠い未来への時間旅行は禁じられている──と勘違いしている──が、数秒程度なら問題ない。

 様々な時間軸で多彩な攻撃を試すことにより、より効果的な戦術を模索することができれば、相手の奥の手を事前に察知することも出来る。

 インチキともいえるこの能力により、並みの相手であれば完封できるだろう。


「なっ!? 貴様っ!?」


 何かに驚いたカスパールは、抜いたばかりの剣を捨て両の腕で身を守った。

 しかしその甲斐もなく、ユーシャダイの掌底を受けて円形闘技場コロッセオの端まで飛んでいく。これが試合なら、場外となり負けだろう。


「こ、こいつ…………」


 全力で防御にシフトしたが、カスパールは一撃で意識を刈り取られた。


「えー……この子、そんなに強いの?」


 アンリは心底嫌そうな顔でため息を吐く。


 数秒の未来を体験できるカスパールが全力で防御しかできなかったということは、カスパールの手札では何をしても駄目だったということだ。

 ”嫉妬”の能力を知っているからこそ分かる、相手がどうしようもなく強者である証明だった。


 ユーシャダイはもとからカスパールに興味が無かったのか、剣を抜いたままアンリに向かって歩を進める。

 アンリがどの魔法を試そうかと悩んでいると、思わぬ人物が両者の間に立った。


「お、お待ちください! 一体どんな理由があってこんなことを!? アンリ様が狙われる理由など、あるわけないでしょう!?」


 ジャヒーだ。

 10年以上の歳月をアンリと過ごしてきた彼女が受けた影響は大きく、「悪を討つ」と宣言した女がアンリに刃を向けることがどうしても我慢できなかった。


 予想外の事態に困惑するアンリだが、それは相手にとっても同じだったようだ。


「……あなたは戦闘能力を有していない。私の前に立ちはだかっても無意味なはずだ。怪我をしないうちに下がってほしい。私が討つのは悪のみ。どうしても邪魔をするのなら、あなたも悪と判断して討たねばならない」


「ですから、なぜアンリ様が悪だというのですか!? 私から見れば真逆です! 理由も無しに襲い掛かる貴女のほうが悪そのものです! 今あったばかりの貴女に、何が分かるというのですか!?」


「この国の在り方を見れば分かる。些細な時間ではあるが、先ほどまで私はこの大陸を見て回ってきた」


 ジャヒーの指摘を受けたユーシャダイは、剣の先を光輝く王都の中心に向けた。


「例えば建造物だ。少し注意して見れば分かる。建物の基礎は全てその男の魔法で構築されている。まるで正気の沙汰じゃない」


 ユーシャダイの指摘は、至極真っ当なものであった。

 魔法で何かの物体を作ったとしても、魔法の術者が死ねば物体は消えていく。

 家などの建造物を魔法で建てると、術者が死ねば家は消失するのが普通だ。

 そうなれば家が無くなることは当然だが、建造物の消失に伴い予期せぬ事故が起きるだろう。特にエリュシオンのように、一つの国の建造物を全て一人が魔法で作ったとなれば、消失した時の混乱と被害は並大抵のものではない。

 そのため、魔法で建築を補助することはあっても、魔法で建築そのものを行うことはNGだ。魔法を使う者であれば誰でも知っている常識だった。


「あはは、何を言ってるんだい? 何も問題ないじゃないか」


 だが、アンリはその指摘に真っ向から反対する。


「だって、僕は、僕はね、永遠に生きるんだから。何も壊れない。何も起きない。誰も悲しまない。誰も傷つかない。ほら、全く持ってノープロブレムだよ」


 アンリは自分が不老不死になる前提で国造りをしている。

 アンリを理解している者にとっては、それは当然のことだ。

 だが、アンリを知らない者からすれば、狂った行動そのものだった。


「もう一度言おう。私は悪を討つ者なり」


 不老不死を望むこと自体を悪と判断したのだろうか。

 ユーシャダイは、これ以上の会話は不要と判断し歩を進めた。

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