222 平和友好条約

「はいはい、いつもの不可侵条約ね…………は?」


 アンリはネスから投げよこされた羊皮紙を見て、素っ頓狂な声を上げた。

 それ程、書かれていたものはおかしなものだったのだ。

 内容を飲み込めず目を丸くさせているアンリの様子を見て、ネスはご満悦だ。


「くく、貴様のような下種が新国の王で良かった。余の良心は全く痛まぬ。気兼ねなくこの条約を結ばせてもらうぞ」


 アンリの予想では、レイジリー王国と諸国が結んでいる不可侵条約が記載されているはずだった。「こちらから戦争を仕掛けないから、そちらからも仕掛けるな」というものだ。

 だが、今目を通している羊皮紙には、更に追加のものがいくつも書かれており、予め調べていた他国との内容とは全くの別物だった。


「何これ? そっちの食料をエリュシオンうちが買い取るのはいいけど、流石に法外過ぎない? 足元も見えない程馬鹿なの? それに、人材を無償で貸し出せとか、利益も交友も何もないよね、ボランティアじゃないんだから。他にも……って、全部が全部馬鹿馬鹿しいじゃないか。妹さんでももうちょっとマシな条約案を考えられると思うよ?」


 書かれている全てが、エリュシオンにとって不平等が過ぎるものだった。

 微々たる食料を購入するために、法外な金額を差し出せ。

 レイジリー王国の外観を保つために、無償で労働力を差し出せ。

 中には、エリュシオンの長が毎朝ネスの靴を舐めろというものまである。


 明らかな嫌がらせであり、アンリは到底受け入れない。


「何を言っている、馬鹿か貴様は。これは条約案ではなく条約だ。貴様に選択肢はないのだからな」


 だが、ネスは全く譲らない姿勢を見せた。

 気持ちが受け入れないことは意味がない。”怠惰”の能力で命令されたら、従うしかないのだから。


 条約の話はよく分からずとも、”靴を舐めろ”というワードが引っかかり、シュマは条約を取り下げるよう”色欲”での命令を図る。


「…………?」


 だが、その言葉は口から出ない。

 ”色欲”で服従させることは、ネスに害を与える行為のためできないのだ。


 言葉を封じられたシュマは、憎悪を宿した眼でネスを睨む。


「や、止めろ! それも害を与える行動だ馬鹿者がっ!」


 汗を流しながらネスが早口で命令したことにより、シュマの殺気は強制的に霧散した。

 その光景を横目に見ながら、アンリは提案する。


「分かったよ。ネスの言う通り、”怠惰”の能力で命じられたら従うしかないからね。だけど、少しだけ、一月ぐらいでいいから時間をくれないかな? 僕は王というより象徴的な存在だから、国内での調整がどうしても必要なんだ。あぁ、急ぎならネスから申請して貰ってもいいよ。エリュシオンは民主主義国家だから、一度国会議員を通す必要があるからそこの調整から必要だね。……申請書と内部審査チェックシートと外部用のチェックシートと監査用の備忘録と──」


「──面倒くさい、多少は待つからなんとかしろよ」


 口から出まかせを言っていたアンリは、ネスから予想通りの返答がきたことを確認すると笑顔になる。


「しょうがないなぁ。だけどネスの頼みだ、なんとかしてみせるよ。僕が舐める時は、新しめの靴にしておいてよ?」


 ひょうひょうとしているアンリに、ネスは不快な表情を浮かべた。

 今回の条約により激昂すると思いきや、そこまで気にも留めていないのが少し不気味だった。


「あぁ、そうだネス。なんでこんな条約をエリュシオンうちとだけ結ぶの?」


 テルルを侮辱したことで、ネスはアンリに強い嫌悪があるだろう。

 だが、提示された条約はその前から用意されていたものだ。

 不干渉をモットーにしているレイジリー王国としては、今回の件は違和感が大きかった。


「さぁな」


 短く返すネスは、その本心を見せない。


「用は終わりだ。さっさと余の部屋から出ていけ」


「はいはい、分かったよネス」


 レイジリー王国のイドゥールネス・レイジリーと、エリュシオンのアーリマン・ザラシュトラの会合は、ものの10分で終わるのだった。

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