206 蠱毒の終わり

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ」


 エルリントスの呼吸は、大きく乱れている。

 走るのが久々というのもあるが、焦っていることが一番の原因だ。


「はぁ、はぁ、危険だ、アーリマン・ザラシュトラ! あの男は危険だ!」


 誰にも知られているはずがない施設に、アンリはいとも簡単に侵入してきた。

 更にその口ぶりから、エルリントスがやってきたことを知っているのだと伺える。


「国王様は、勘違いしておられる! あの男は、決して、忠臣などではない!」


 自分達の研究室を襲った雷撃を、エルリントスはアンリの仕業だと勘違いしていた。

 アンリを捉えようとした自分が反撃されたのだと。

 アンリはあの施設を壊すためにやってきたのだと。


 実際にはアンリが生み出したナイトの攻撃であるので、あながち勘違いとは言えないのかもしれないが、兎に角エルリントスはアンリを危険視した。


「あいつは、教育は、もう手遅れ! 国王様に進言して、殺して、もらうしか!」


 黙って走ったほうが楽だと思われるが、ゼイゼイと息を吐きながらも悪態は止まらない。


「はぁ、はぁ、許さない、絶対にゆる──!?」


 ふと、エルリントスの愚痴は止まる。

 それと同時に、その足も止まった。


「はぁ、はぁ、はぁ! はぁ! はぁ!」


 だが、その呼吸は激しさを増すばかりだ。


「はぁ! はぁ! はぁ!! はぁ!!」


 エルリントスは目の前に立つ人物を見て、全身から汗が噴き出している。


「おいおい、正直半信半疑だったぜ。兄貴には感謝しないとだな」


 目の前の男は、エルリントスが世界で一番会いたくない人物だった。


「こどくの……ディラン」


「兄貴が教えてくれたんだぜ。ずっと探してたのに俺じゃ見つけられなかった……感謝しないとな、やっとあんたに復讐できるぜ」


 アフラシア王国最強の男、”孤独のディラン”である。

 その二つ名は、あまりにも強くなりすぎ、隣に立てる仲間がいないからと思われている。

 だが、実の由来は違うものだ。


 ”蠱毒こどくのディラン”

 ディランは、エルリントスが提唱した蠱毒こどくの試練を受けた子供の一人だった。


 エルリントスが過去の栄光に縋ってしまうのも無理はない。

 それほど、ディランという冒険者は強かった。

 アフラシア王国のみならず、世界の規模で考えても最強候補の一人だろう。


「さてと、覚悟はできてるか? いやぁ、ずっとこの時を夢見てたんだぜ? 今日はいい酒が飲めそうだぜ」


 殺気を放ちながらも陽気に笑うディランに向かい、エルリントスは震える指を指す。


「う、嘘だ、お前に感情なんてないはずだ。お、お前が、自律できるわけないはずだ!」


 その言葉を受け、ディランの顔は能面のように無機質なものとなった。

 だがそれも一瞬、すぐにいつもの気さくな顔に戻る。


「馬鹿なこと言うなよ。はは、全てがあんたの思い通りになると思ったら大間違いだぜ」


「ば、馬鹿なことを言っているのはお前だ……お前は、お前の脳は……」


 ディランは蠱毒こどくの試練を勝ち残った。

 つまり、その後にロボトミー手術を受けたのだ。

 脳の一部を摘出し、何事にも無気力で感情の無い人形になってしまったはずなのだ。

 それなのに、笑顔で笑っているディランを見て、エルリントスは底知れぬ恐怖に襲われた。


「その口調……そ、そうか、お前は真似をしているだけだ! 死んだ仲間の真似をしているだけ! お前は、お前が殺した仲間の──」


 ──その糾弾は最後まで続かない。

 問答を無駄と悟ったのか、指摘を聞きたくなかったのかは不明だが、ディランはエルリントスの首を断ち切った。

 地面を転がるエルリントスだったものに、ディランは小さな声で告げる。


「それは違うぜ。俺はあいつらの分まで生きてるんだ。だから、あいつらは俺の中で生きてるんだぜ」


 その声には、あるはずのない感情がこもっていた。


 ◆


 一つの争いに決着がついた頃、別の争いもまた決着がついていた。


「な、な、な、なんということじゃ……ナイトが……わしのナイトが……」


 自分の子供がやられたカスパールは放心している。

 それは他の者にしてもそうだ。

 ベアトリクスも、アシャも、ジャヒーも、皆が予想と違った結果に驚いていた。


「あ、あの子供は一体……アンリ様と随分親しそうですが……」


 アリアの言葉に、カスパールは我に返る。


「そ、そうじゃ! なんじゃあやつは! あやつも被検体だったなどと、聞いておらんぞ! 誰じゃ! 誰の子じゃ!」


 周りの反応を見るも、親に該当する者はいなかった。

 急ぎ、カスパールはアンリに渡されていた資料を捲る。


「えぇい! 被検体7734番……7734番……7734……あった…………は?」


 目的のページを探し出したカスパールは、驚きの声を上げた。


「……え? あれ? は?」


 驚きから言葉が上手く出てこないカスパールを、周りの皆が訝しんでいる時──


 ──ガチャリと、扉が空く。


「うふふ、ねぇねぇ、兄様あにさまを見なかった?」


 シュマである。


「あれ? あら、あらあらあら、兄様あにさまに、ヘルもいるじゃない」


 シュマは皆が見ていた映像を見つめ、興奮しているようだ。


「私も行ってこようっと♪ 次は何のお話をしてあげようかしら。あぁ、そうだ、まっくろに焼かれた大陸の話なんて、あの子、喜んでくれるかしら。うふふ、きっと喜んでくれるわ、えぇ、楽しみだわ」


 黒い渦の中に消えていくシュマを見つめ、カスパールは呟いた。


「あやつらの倫理感が崩壊しておるのは分かっておったつもりじゃが……アンリ、それにしても、それにしてもじゃぞ……っ!」


 その場の皆は、ヘルが誰と誰の子供なのかを理解したのであった。


★★後書き★★

以上で八章完結となります。

お読みいただき、ありがとうございます。


次章、アンリ達は他国に出向きます。

引き続き応援の程、よろしくお願いいたします。

★★★★★★

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