148 下準備

「ただいま。って、部外者の僕が言うのも変だけど」


 アンリとカスパールは、教会に戻ってきていた。

 部外者であるはずのアンリを、教会の者達は手厚く迎える。

 教会の中でまともな生活が出来ているのは、シュマの洗脳を受けている者だけのため、当然のことだった。


 応接室に通されたアンリ達の前に、ワインが運ばれてくる。

 カスパールが口を付けているのを見て、アンリは呆れていた。


「えぇ? また飲むの? ここでの準備が終わったら魔王討伐だよ? あまり酔わないようにね?」


 アンリの助言を聞きながらも、カスパールは既に2杯目を注いでいる。


「あれだけこき使いおって。少しは甘く見てくれてもよいじゃろう。それとも何か? 代わりにお主がわしを癒してくれるのか?」


 ブリンクから出たアンリ達は、魔王の居城を目指すことはしなかった。

 東へ、南へ、北へ、そして西へ。

 空飛ぶ絨毯に乗り、ペリシュオン大陸の様々な地点へ向かった。


「手伝いたいって言ったのはキャスじゃないか。それに、魔力を流し込んだのは僕なんだから、どっちかというと僕の方が疲れたはずだけど」


 大規模魔法を発動させるため、いたる所に補助となる魔法刻印を刻んでいたのだ。


「たわけめ、お主の魔力量で疲れるわけがないじゃろ。わしが疲れたのは肉体的にじゃ。魔王を討伐するための準備、ここまでする必要があるのかのぅ」


「あはは、これは魔王を討伐するための準備じゃないよ」


 え? とカスパールが顔を向ければ、いつもより二割増しの無邪気な笑顔がそこにあった。


「傲慢になるためさ」


 アンリの言葉の意味を理解したカスパールは、この大陸に住んでいる生物に同情する。


「さぁ、あとはここの教会に刻んでおこうか。どこでもいいけど……礼拝堂とか、雰囲気でるよね」



 礼拝堂に着いたアンリ達は、シュマが合流しなかった理由を知る。


 そこら中にこびりついた血。

 拷問の果てに、心を壊した人の形をした者たち──恐らく、ジューダスとその仲間達だろう。


 そして、シュマの”色欲”の効果が効かなかったため、直接的な被害を受けることになった女たち。

 彼女らを拷問しているのは──


「やめて……ください……お願い、お願い……」


 ──聖女アリアだった。


 酷く衰弱した様子のアリアは、その手をシュマに操られ拷問を行っている。

 その言葉と表情から、望んでいる行いではなさそうだが、抵抗は許されていなかった。


「ほら、どう? 聖女様。あなたも。気持ちよくなってきた? うふふ、いいでしょう? ほら、人を愛するのも、人に愛されるのも、とっても気持ちイイでしょう?」


 アリアの手を握るシュマが、一番の快感を顔に浮かべている。

 今では拷問する側のアリアではあるが、その悲惨に破かれた服と血のりを見れば、先ほどまではされる側でもあったようだと推測できる。


 平常運転のシュマに、アンリとカスパールは特に反応することもなく祭壇へ移動する。

 魔法刻印を刻み終わり、シュマへと声をかけた。


「シュマ、そろそろいいかい? アリア達を解放してあげたら?」


 救いの神が現れたことに安堵し、アリアはすがる目でアンリを見る。


「もう三日は経ってるよ? 流石にみんなお腹が空いてそうだから、それはまた今度にすれば?」


 アリアは愕然とする。


 シュマの行為は異常であり、非人道的な行いだから。

 アリア達が傷つき、痛みを感じているのが可哀そうだから。

 そのような行いは、教義に反しているから。


 シュマの行為を止める言葉は、色々とあったはずだ。

 それが”お腹が空いてそう”という理由で止められたことに、アリアは安堵よりも恐怖を感じていた。


「あ、アンリ様! どうか私の言葉に耳をお貸しください!」


 聖女アリアはアンリの足元に跪き懇願する。


「アンリ様は死ぬのが怖いとおっしゃいました! ならば、その力を民のためにお使いください! なれば、アンリ様の名は未来永劫、世界に記憶されるでしょう。歴史に名を刻み、永遠に生きるのです!」


 その提案を鼻で笑ったアンリは、指を鳴らす。

 同時に、礼拝堂にある全ての書物から火の手が上がった。


「ぁ……ぁあ……本が……歴史が……」


 聖女アリアは膝をついたまま、燃えている本をただ眺めていた。

 陳列されていた本には、ペリシュオン教会の歴史が刻まれていた。


 教会を立ち上げた者の人生。

 有識者たちの汗と涙の結晶。

 現存している者は誰も知らない過去の出来事。


 それらが全て、一瞬で燃え尽きたのだ。


「ほら、過去の偉人なんてこんなもんさ。所詮は死人、いくら歴史に名を刻んでも、それは生きているとは言えないよ」


 もう興味を失ったのか、アンリはシュマに声をかける。


「さぁ、今から魔王を倒しに行くから、シュマも手伝ってよ。外で待ってるから、シャワーでも浴びて着替えてくるといいさ」


「うふふ、分かったわ兄様あにさま。直ぐに準備を済ませるわね」


 アンリ達が退出し、身だしなみを整えているシュマにアリアは呟く。


「こんなこと、許されません……こんな教えを、受け入れるわけがありません」


 それは、決別の意思を込めた言葉だった。


「うふふ、でも、好きなんでしょう? 兄様あにさまのこと」


 しかし、返すシュマの言葉で、アリアの心は揺さぶられる。


「あなた、ひどいわね。ずっと、ずっと兄様あにさまだけを見ていて、あれだと、愛されている子が可哀そうだわ。でも仕方ないわね。私はしたことがないけれど、恋って、素晴らしいものなのでしょう?」


 あれだけ怒りを買ってしまっても。

 あれだけ出てくる言葉が理想と違っても。

 未だにアンリへの恋心を持っている自分に気付き、アリアは強い背徳感に襲われる。


「大丈夫、応援してあげるわ聖女様。それに、これはあなた達の教えにもある行いよ? 許されないわけがないわ」


 疑問は尽きないが、去っていくシュマにアリアは何も言い返すことはなかった。

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