エピローグ

153 〜生〜

 暗い森の中を少女が走る。


「……だ、誰かっ!」


 枝葉で切ったのか、至るところに小さな傷をつけながらも、少女は懸命に走る。

 靴は脱げ、足の裏からも血が流れているが、痛みなど今は感じない。


「誰かっ! 助けてっ!」


 後ろを走る男達に捕まれば、地獄が待っているのだから。


「ごめんなさい! 誰かっ! 助けてっ!」


 五人の野盗に追われているこの状況に原因があるとすれば、少女は自分と答えるだろう。


 少女の家族は、森の中を通り隣町を目指していた。

 今日は少女の誕生日であり、プレゼントを買いに行こうとしたのだ。


 だが、途中で凶鳥を見てしまう。

 アフラシアデビルというその魔物をもし見てしまったのなら、全力で遠くに逃げろという村の言い伝えがあった。


 しかし、それでも今日は年に一度の主役の日なのだ。

 言い伝えを信じて引き返そうとした両親を引き留め、駄々をこね、なんとか予定通り隣町へ進んでいた。


 そこで、野盗に会ってしまった。

 命を優先した少女の両親は、野盗の望み通りに金品を支払った。


「おらぁ! 待てや嬢ちゃん! お前は命までは獲らねぇからよ!」


 しかし、野盗はそれだけでは満足せず、少女の両親の命を奪った。

 残った少女は慰み者になるだけだろう。


「誰かっ! あぁ!!」


 昼間とはいえ、高い木々が生い茂っており光は足元に届かない。

 確実に近くなってくる野盗の声に焦った少女は、木の根に躓き倒れてしまった。


「誰かぁぁぁぁ!! 助けてぇぇぇぇ!!」


「ひひひっ、呼べ呼べ。獲物が増えりゃあ、それだけ俺たちも楽しめるからよ」


 足をくじいたのだろう。

 逃げることを止めた少女を見て、野盗達からは下卑た笑いがこぼれる。


 少女が全てを諦めた時──




 ──チリィィン──




 ──聞きなれない鈴の音が響いた。


 綺麗な音だというのに、なぜか酷く不安になった野盗達の興奮は静まっていく。

 冷や汗すら出てくる中、その場の雰囲気にはえらく不釣り合いな、無邪気な声が近くから聞こえてきた。


「うふふ、随分と楽しそうね? ほら、兄様あにさま、早く早く♪」


「あはは、シュマも楽しそうじゃないか。慎重に、慎重にね」


「勿論よ兄様あにさま。前は興奮しちゃって、大陸もろともイっちゃったものね」


 一体どのような手段を用いたのか、いつの間にか野盗と少女の間に、楽しそうに会話をする男女が立っていた。


「うふふ、それで兄様あにさま、どちらを……?」


「ん? あぁ、どちらって……あはは、シュマは面白いね、決まってるじゃないか」


 とても楽しそうに話している二人とは対照的に、野盗達の顔は引きつっていく。

 そして、それは少女も同じだった。

 話している二人を見ているだけで、形容しがたい感情に包まれるのだ。


 オーラというものだろうか。

 それとも隠蔽しているはずの膨大な魔力が原因なのだろうか。

 突如現れた男女には、特に男には絶対に逆らってはいけないと本能が警戒を鳴らし、同じ空気を吸うことすら躊躇してしまう。


「な……なんだぁ手前ぇら!? 一体どこから湧いて出やがった!?」


 そんな中、野盗の一人が精一杯の虚勢を張り大声を上げる。


「さてと、今日はどうしようかなぁ」


兄様あにさま、私、ダンスが見たいわ。求愛のダンス。求められるのは、気持ちが良いものね」


「あはは、分かったよ。シュマはこの魔法がお気に入りだね」


「あのダンス、何か懐かしい気がするの。昔、遠い昔、とんでもなく昔、何か愉しいことがあったような」


「あはは、一体いつのことを言っているんだい? 流石に僕の記憶にはもう残ってないよ」


 自分達の声がまるで聞こえていないかのように、尚も話し続ける男女を見て、野盗達は獲物を抜く。


「し、死ねぇぇぇぇええ!!」


 五人の野盗が同時に襲いかかる。

 しかし、その剣が届く前に男の魔法が放たれた。


『<蠍火さそりび>』


 瞬間、五人は火達磨ひだるまになる。


「ぎぁぁぁぁああ!!」


 悲鳴を上げながら、野盗達は皆倒れる。


「ぎゃあああああああああ!!」


 悲鳴は続く。


「ぎゃぁぁぁあああ!! ぁぁああああ!?」


 倒れた野盗は、焼かれながらも異常を感じ立ち上がった。


「痛いぃぃ! 熱いぃぃ!! ぎゃあぁあおぁあ!?」


 確かに感じる痛み。

 しかし、死なない。

 死ねないのだ。


 蠍火さそりびは、対象を単に火達磨ひだるまにするだけではない。

 体を焼く炎と同程度の威力の回復魔法も作用し続ける。

 つまり、野盗達が炎により死ぬことはなく、延々と苦痛を味わうだけの魔法だ。


「ぎゃぁああ!? たす、助けてぇぇ!」

「なんとかしてくれぇぇ! おいぃぃぃ!!」


 苦痛にもがき苦しむ男達。

 ある者は転がり続け炎を消そうとする。

 ある者達はお互いの体を叩き炎を消そうとする。

 しかし、何も成果は上がらず、ただ苦痛だけが刻まれていく。


「うふふ、あはははは! いいわ! いいわあなた達! とっても素敵なダンス! 私、興奮してきたわ!」


「あははは! シュマ、彼らの愛は伝わってきたかい!? ほら、ほらほら! 皆、もっと踊ってみせてよ!」


 助かったはずの少女は、目の前の光景に言葉が出なかった。

 ひたすら燃え続け踊り狂う姿は、先ほどまでの悪行を差し引いても同情すらしてしまう。


「うふふ、私も一緒に踊ろうかしら! 愉しい、愉しいわねみんな! あぁ、駄目よ、駄目。みんなもっと笑顔を見せてちょうだい?」


「あははは! 流石に元気が無くなってきたかな? でも大丈夫! この炎では絶対に死なないように調整してるから、大丈夫!」


 何もできずに、野盗達は前後左右へ動き続ける。

 それはさながら、さそりの婚姻ダンスのようにも見えた。


「…………あぁ……」

「……た……す……」


 美しい白髪の女は五体の火達磨ひだるまと踊り続ける。

 黒髪の色白な男は豪華な椅子に座り、ワインを飲みながらその光景を観ている。

 その隣には、いつの間にかメイドが佇んでいた。

 メイドだけではない。

 褐色のダークエルフ、金髪の獣人族、眼帯をつけた黒髪の女。

 それだけではない。

 白い修道服を着た女、青い肌の男、指を差す子供たち。

 その全員が笑っていた。


 それは、地獄の門が開き、全ての悪が集結したかのようだった。

 少女は涙を流す。

 何に対して泣いているのか、少女には分からない。


「……ゆる……して」

「おね……がい……慈悲……を……」


 野盗達の懇願の声が聞こえてくると、男は笑いながら告げる。


「あはははは! 大丈夫、大丈夫だよ! 蠍火さそりびで癒している部分は、蠍火さそりびで焼かれた部分だけなんだ! 慈悲はある! 慈悲はあるんだよ!」


 尚も死のダンスが続き、しばらく経った時。

 ついに、野盗の一人が覚悟を決めた。


 ──ドシュッ!


 自らの剣で、自らの喉を突き刺したのだ。


「あはははは! そう、そうだよ! さそりの毒針は君たち自身なんだよ!」


「あぁ、駄目よ、駄目。もっと踊りましょう? もっと、もっと愛し合いましょう?」


 更に一人、自分の毒針を喉に突き刺すが、残りの3名はか弱い悲鳴を上げ転がっている。


 そんな中、元凶の二人が少女に向かって歩き出す。


「……っ!?」


 少女は喉の渇きを感じていた。

 必死に唾を飲み込み、喉を少しでも潤わせる。

 いくら野盗への仕打ちが過剰だとしても、それでも自分の命を救ってくれたのだ。

 まずは感謝の言葉を述べるべきだろう。

 そのため、ぎごちない笑顔を浮かべ言葉を紡ぐ。


「あ、あの……どうもありが──」


 ──ドシュッ──


 ──しかし、その言葉は最後まで続かなかった。


 男が少女の両足に剣を突き刺し、地面に縫い付けたのだ。


「あぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 少女は、涙を流したまま叫ぶ。

 少女には、何が起こっているのか理解できなかった。


「あはは、あはははは!」

「うふふ、うふふふふ!」


 泣き叫ぶ少女を見ながら、男女は笑う。


 ──ドシュッ


 ──ドシュッ


 少女の両手も地面に縫い付けられる。

 流れる血。

 感じる痛み。

 そして、絶望。


 悲鳴を上げながらも、少女は男女に問う。


「なん……で!? なんでこんなことを!? 私が、私が何をしたの!?」


 その質問に、男は更に笑みを深くして答える。


「あはは、ごめんね。僕の病気の治療に付き合ってもらうよ? 大丈夫、日付が変わるまでには死ねるから、安心して。安心していいんだよ?」


「うふふ、気持ちいいの? いいわね、羨ましいわ。あぁ、私も、私もしたくなってきちゃった」


 続く痛みを感じながらも、少女は更に問う。


「……びょう……き?」


 男は、気味の悪い分厚い本を広げながら答える。


「アペイロフォビア。それが僕が治したい病の名前さ。僕はね、永遠が恐ろしいんだよ。でも、でもね。他人の生が終わる瞬間を見ると、とても落ち着くんだ。君の死こそが、僕の病気にとっての何よりの治療薬なんだよ。だから、だからね。申し訳ないけど、君の命を使わせてもらうよ?」


「うふふ、大丈夫、大丈夫よ? とっても気持ちよくするから、大丈夫よ? 命を失ってしまうのだもの。だったら、相応の快感をあなたに用意してあげるわ」





 この世の全てに絶望しながら、少女の人生は幕を閉じていく。

 自らを病気と述べた男の顔には、無上の喜びが満ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る