第56話 着ぐるみ士、門番と相対する

 殺風景な空間になっている『界』の中で、ギュードリンがさっと手をかざす。すると再び出入り口が開いたが、そこから見える風景は明らかにバンニステール村の中ではない。

 森だ。鬱蒼うっそうと木々が生い茂る森が、ずっと広がっている。

 その森の只中に出口を開いたギュードリンが、俺たちの方を見ながら笑った。


「はい着いた。ここだよ」

「うわ……」

「チィー……」


 『界』の出口から外に出た俺は、ぽかんとしながらあたりを見回した。俺の肩の上でティルザも目を見開いている。

 強力な魔物が多数住まうギュードリン自治区の入り口、それは当然、ただの森であるはずがないが、それにしたって凄まじい。

 何しろ、頭上は伸びて絡まった木の枝や葉っぱに覆われて、ちっとも空が見えないのだ。今はまだ日が昇っている時間帯のはずなのに、ここは薄暗くて寒い。着ぐるみの内側には、その寒さは伝わってこないけれど。


「こんなところにあるんですか、ギュードリン自治区」

「そうだ。凄まじいだろう? この森がギュードリン自治区を取り囲む結界、通称『魔の森』だ」


 俺の隣ですん、と鼻を鳴らしながらアンブロースが答える。彼女も森暮らしが長い。こうした森には親しんでいるだろうが、それでもやはり違いはあるらしい。

 まあ、たしかにそうだ。ピスコボ森林は植樹などで人の手が入っている。対してここは、人の手など入りようもない。

 森の木が頭上をすっかり覆い尽くしているのを見上げながら、リーアが言った。


「あたし、森にまで入ったことなーい」

「リーアが前にここに来た時は、私が『界』を繋いで連れて行ったからね。見たことがないのも当然だ」


 彼女の発言にギュードリンが、『界』を閉じながら話す。

 しゅんっという音を最後に、この空間に聞こえるのは遠い風の音、葉擦れの音だけ。魔物の領域だと言うのに、魔物の声も聞こえない。

 不安そうな表情をするリーアを撫でながら、ギュードリンが微笑みながら言った。


「『魔の森』なんて言っても、そう仰々しいものじゃないよ。ただ、木々が鬱蒼うっそうと茂っているだけ……ま、『門番』は用意されているけれどね」


 そう話しながら、彼女はすたすたと歩き出す。地面を覆う下草を踏む音を響かせながらさっさと歩くギュードリンを追いかけつつ、俺が声をかけた。


「『門番』って、前に聞いたことがありますが、この森に設置されている侵入者排除の結界でしたっけ」

「そうそう。正確には結界が生成する特殊な魔物のことなんだけどね」


 そう話しながらも、ギュードリンの視線は前に向いている。木々がずっと続く、道らしい道の無い森の中だ。迷うことも多々あるのだろう。

 説明を続けるギュードリンの足が、また一歩踏み出される。


「結界に近づくと、自動的に召喚される仕組みになっているんだ。召喚数に上限はないから、たくさんの人間や魔物が押し寄せたら、それに対応した数の『門番』が出てくるようになっている。実体がないから、倒すことも出来ないってわけだ」


 そうして、彼女の足がもう一歩踏み出され、まるで区切り線が出来たかのように樹木の途切れた箇所を超えた瞬間だ。

 どこからともなく、底冷えのするような声が聞こえてきた。


「……去れ……」

「いっ!?」

「わっ!?」

「ほら、来たよ」


 俺とリーアが同時にすくみ上がる。そしてギュードリンもそこで足を止めた。

 姿の見えない相手を待ち構えるように立っている彼女の前に、音もなく現れるのは半透明の体をした、燃え盛る炎のような幽霊だ。それが三体。

 音もなく揺らめく炎の中から、声が聞こえてくる。


「ここより先は魔物の楽園、ギュードリン自治区である……」

「資格なき者、立ち入ることは許さぬ……立ち去れ……」


 幽霊の言葉に、俺は目を見開いた。ここにいるのはギュードリン・ファン・エーステレン。このギュードリン自治区の主であるはずだ。

 それなのにこの幽霊は、自分たちの長であることなど関係ないと言わんばかりに、冷たい言葉を投げかけてくる。

 戸惑いを露わにしながら、俺はギュードリンの服の裾を引いた。


「ギュードリンさんが一緒なのに、ダメじゃないですか!?」

「落ち着いてよ。相手が誰だろうと反応する仕組みになっているだけさ。見ててご覧」


 俺に視線を向けながらそう言うと、ギュードリンが改めて前を見る。そしてふわふわ浮かぶ幽霊に向かって、静かに告げた。


「『ポールトワハター』、私だよ」


 ポールトワハター。その言葉を聞いた幽霊の動きが止まった。その場に留まり、ちらちらと炎を揺らめかせると。やがて静かに、左右へと動いて道を開ける。


「……承認した」

「我らが王……どうぞお通りを……」


 どうやら通してもらえるようになったらしい。ほっと息を吐く俺を振り返りながら、ギュードリンが笑った。


「こんな調子でね。合言葉を言えば通してもらえる。そうしたら、後は領内では自由に行動できるよ」

「はあ……」


 曰く、こうして『門番』の承認を得ないと、たとえギュードリンの『界』によって領内に入っても、追いかけてつきまとってくるらしい。だから領内に立ち入る時はこうやって、いちいち承認を得ないとならないのだそうだ。

 「ポールトワハター」とは、この『門番』の総称で隠された名前だという。これを知っていれば、自治領の一員かその客人として認められるのだとか。

 これで安心、さあ中へ、と俺達がギュードリンの後ろについて進もうとしたところで、ふと『門番』の一人が声をかけてきた。


「待て……」

「えっ?」


 その言葉に思わず足を止める。声のした方に振り向くと、『門番』の炎が俺のフェンリル着ぐるみの直ぐ側まで来ていた。顔なんて無いはずなのに、俺を見ているのだ、とはっきり分かる。


「そこの着ぐるみ士キグルミストは……何だ……?」

「我らが王の、子息殿と同じ血を感じる……だが、人間だ……」


 彼らからの問いかけに、俺はまごついた。

 確かに俺はルングマールと「獣王の契」を交わしたから、その血と力が身体に流れている。つまりギュードリンの息子の一人に数えられるのだから、問題なく『門番』にも通してもらえるだろう、と聞いていた。

 しかし、現に今こうして止められてしまっている。どうしよう。


「え、えぇっと……」

「あれ、なんで? 私がパパと一緒に来た時は、すんなり通してもらえたのに」


 リーアも不思議そうな顔をして俺を見上げた。こうなっては、原因がよく分からない。

 と、難しい顔をして考え込んでいたギュードリンがぽんと手を打った。


「あー、そうか、なるほど」

「ギュードリンさん?」


 何かを把握した様子の彼女に、俺が首を傾げつつ問う。するとギュードリンは、俺の着ぐるみの鼻先をつつきながら言った。


「ジュリオ君、ルングマールと契を結んだだろう。だから私の血族の一員にはなっているんだけど、私が直接認めた群れの一員じゃないし、基本的には人間のカテゴリにいるからさ。『門番』が混乱しているんだ」

「あー……」


 その言葉に、納得しつつ声を漏らす俺だ。それもそうだ。元魔王の息子と「獣王の契」を交わして、魔物の範疇に入っているはずの俺が、人間の姿を取っていたら混乱もする。ステータス上でも俺は「人間ヒューマン」なのだ。

 すぐに人化転身を解いて、狼の姿を取る。そうして幽霊に視線を向けながら俺は問いかけた。


「じゃあ、こうすればいいですか」


 目の前で変身した俺を見て、炎がちらと揺らめく。そしてすぐに、俺から離れて空中に浮かんだ。


「……承認した」

「子息殿……ようこそギュードリン自治区へ……」


 そう言い残しながら、ゆっくりと虚空に消えていくように炎が姿を消していく。程なくして炎の幽霊は消え、すっかり何も無くなったその場から、俺たちは歩き出した。

 歩いているとすぐに、何かを通り抜けたような感覚を受ける。今、物理的な結界を抜けたところなんだろう。同じ森でも、先程とは空気感が違う。

 幾分か緊張を解きながら、俺はギュードリンに話しかけた。


「なんか、大変ですね」

「杓子定規な対応しか出来ないからね、仕方ないんだ。アルヴァロを招いた時なんかは、もっと面倒だったんだよ」


 そう話しながら苦笑する彼女だ。きっと、今までにいろんな人間や魔物と接してきて、いろんな存在をこの場所に招いてきたんだろうと思う。その中でいろいろな苦労をしたのだろう、ということも。

 すぐに森の木々に切れ目が見えた。少しずつ開けてくる視界の中に、領内に住む魔物の暮らす町並みと、ギュードリンの住まいであろう城が見えてくる。


「ちなみに実体がないってことですけど、侵入者が来た場合はどうするんですか?」

「魔法で応戦するよ。唱えた魔法は現実に作用するからね。強いんだ」


 そんな雑談をしながら、俺たちは森を抜けて町に近づいていく。魔物の楽園と称される領域の、存外に人間と様式の変わらない町が、もうすぐそこまで近づいていた。

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