第53話 着ぐるみ士、死にかける

 闇に沈んでいった俺の意識が再び浮き上がった時、耳にまず聞こえてきたのは、怒り心頭のアルヴァロの声だった。


「……んの、バカもんがっっ!!」

「う、うーん……?」


 呻きながら目を開けると、俺の視界にぼんやり映ったのは俺の長いマズルと銀色の体毛、そしてピーンと突っ張った俺の前脚。その向こうに立っているリーアやアルヴァロの姿だった。

 目を二度三度ぱちくりさせていると、リーアがこちらに向き直る。


「あ、ジュリオ! 起きた!」

「ああ、よかった。さすがに今回ばかりは死んだかと思ったぞ、貴様」

「チィチィ!」


 アンブロースとティルザが、俺の顔の横からぬっと顔を出した。どうやら彼女たちは俺の頭の、すぐ横にいたらしい。

 そちらに視線をゆっくり向けながら、俺は言葉を吐き出していく。胸が上下するのに合わせて、あばら骨がぎしりと痛んだ。


「リーア、アンブロース……ティルザも。俺はどうなったんだ、ギュードリンさんは……」

「ここだよ、ここ」


 と、こちらに向き直ったアルヴァロの向こう。彼の肩越しにぬっと姿を見せる、真っ白な毛並みをした巨大な狼が一頭。それが、ギュードリンの声色で声を発しながら、俺に顔を寄せてきた。


「わっ!?」


 思わずびっくりして後ずさろうとする俺である、が、狼の身体で仰向けに転がって、当然後ずされるはずもない。その場でジタバタもがく俺を見て、巨狼がからからと笑い声をあげた。


「はっははは、いやぁごめんねぇ、これは本気でかからないとまずいなって思って、つい封身解いて魔狼形態になっちゃった」


 その言葉を聞いて、俺は大きく目を見開く。つまり、この目の前にいる真っ白な巨狼が、神魔王ギュードリン……の、魔狼形態。

 しばらくその顔を見つめた後、ばつが悪くなってぱたんと両脚を横に倒しつつ顔をそむける俺の耳に、アルヴァロの呆れたような言葉が聞こえてきた。


「本っ当に、いくら『界』の中とは言え、貴様が封身を解いて攻撃したら死んでしまうじゃろうが。ちっとは加減してやらんか」


 この上ない呆れ声で言う勇者に、神魔王は困ったように笑いつつ言葉を返した。


「うん、そうだねぇ。ぶっちゃけ死にかけてたから、慌てて回復させたもの。ティルザ君がいてよかったよ……てか、ジュリオ君いつまで狼化してるの、早く人間に戻りな」

「チィ!」

「へ?」


 立ち上がって四本の足で地面を踏む俺に、苦笑しながら声をかけてくるギュードリン。それに合わせてアンブロースの頭の上に乗ったティルザも一声鳴いた。

 そういえば「界」のおかげでデバフが無くなっているから、いつでも魔狼形態を解けるんだったっけ。というかそもそも、死にかけていたのか、俺。

 慌てて人間に戻って着ぐるみを身にまとうと、ギュードリンがこちらにのしのしと歩み寄ってきた。その黒い鼻先で、俺の胸をつんと突く。


「フェニックスは、全ての神獣の中でも一番と言われるほど、回復魔法に長けている。その力は幼体でも一流だ。だから、ティルザ君の力を私が増幅させて・・・・・、蘇生させたってわけ」

「ぞ……はいっ!?」


 そして何やら聞き捨てならないことを言ってきた。ただでさえ優れているフェニックスの力を、ギュードリンが増幅させて、俺を蘇生した?

 死にかけている人間を綺麗さっぱり回復させて蘇生させる。そのこと自体に驚きはない。フェニックスなら出来る、それゆえの「不死鳥」だ。しかし、ギュードリンが力を増幅させたとなると、ちょっと話が違ってくる。

 引き取った当初でもリーアくらいのステータスは持っていたティルザだが、今はひょっとして、レベルもステータスも爆上がりしているのではなかろうか。

 アンブロースがため息をつきながら、頭上のティルザに目を向ける。


「後でティルザの様子を見てやるといい。度肝を抜かれると思うぞ、そのステータスに」

「レベルもすごーく上がったもんね、ティルザ」


 リーアもうなずきつつ、身を屈めてティルザの顔を見た。そのティルザはというと、アンブロースの頭に乗ったままで自慢げに胸を張っている。いつ覚えたんだ。


「チッ!」

「ティルザ……そんなに自信満々になる程か……」


 突然の成長に困惑しながらも、俺はティルザの頭を優しく撫でてやった。

 そんな感じでやり取りをする俺達を見ながら、ギュードリンがため息をつきながら再び口を開く。


「まぁ、それにしてもだ。びっくりしたよ。現役の冒険者相手に、私が封身を解く日が来るなんて、思いもしなかった」

「わしですら見たことが無いわ。なんともまあ……えらいことじゃぞ、ジュリオ」


 アルヴァロもため息をつきつつ、自分の横に立つ見上げるほど巨大な狼を見やった。

 それもそうだろう、今でも人類最強の座に君臨するアルヴァロですら、彼女は封身して相手をしたのだ。封身を解いた姿を見せる必要などどこにもない。

 というよりも、だ。下手をしたら俺は冒険者として初めて、ギュードリンの封身を解いたことになるんではなかろうか。だとしたら本当にえらいことだ。


「俺だって思ってもみなかったですよ……うわー、これが巨天狼マーナガルムですか……」


 感動に浸るよりもむしろ圧倒されて、俺はギュードリンの巨体を見上げた。

 白銀を通り越して純白の毛並み、太い脚、鋭い爪に牙。まさしく、世界最強の獣の名に相応しい威容だ。自慢げに彼女が胸を張る。


「全ての獣の頂点に君臨するもの。天より遣わされし巨狼。それがこのマーナガルムってわけだ。ふふん、凄いだろう。こんな間近で見るなんて、子供や孫に自慢できるよ」

「いやギュードリンさん、そんな、勇者に逢うのとは訳が違うんですから……」


 彼女の軽い調子の言い方に、ひっそりとツッコミを入れる俺だ。マーナガルムと直接相対しただなんて、子供や孫に自慢できるなんてレベルじゃない。子々孫々語り継がれるを通り越して、国の歴史に刻まれるくらいの大偉業だ。

 と、俺の言葉に再びからからと笑ったギュードリンが、俺の顔にぐっと鼻を寄せてくる。


「はっはははは。さて、それじゃ本題に移ろうか、ジュリオ君」

「本題?」


 言われた言葉に、きょとんとしながら俺は首を傾げた。確かに、この手合わせの他に目的があったと言えばあったけれど。

 俺の疑問にはお構いなしに、彼女は話を始める。


「君は私に会うためにやって来た。元々はアルヴァロに会って、私に会うための渡りをつけようと思っていたそうだけれど、その必要はこれで無くなった。で、その次だ」

「……は、はい」


 彼女の確認しながらの言葉に、俺はこくりとうなずいた。それを見たギュードリンが、俺の身体を鼻先でつん、とつつきながら言う。


「君たちをこれから、ギュードリン自治区に・・・・・・・・・・連れて行く・・・・・


 その発言に、納得したように声を漏らす俺だ。同時にアンブロースもはーっと息を吐き出す。

 そう、当初の目的の一番大きなものは、ギュードリン自治区に行ってギュードリンと話をすることだ。会うこと、話をすることはこのバンニステール村で達成したとは言え、自治区に行く目的は果たせていない。


「ああ……」

「なるほど……」


 そう言えばそうだった、と言葉を漏らす俺たちの隣で、リーアが嬉しそうにはしゃいでいた。


「おばあちゃんちに行けるの? わーい!」

「チィ……」


 ティルザはというと、はしゃぐリーアを見ながら驚きに目を見張り、声を漏らしている。どうやら無邪気な彼女に呆れているようだ。

 何はともあれ、これからが目的達成の本番。俺たちはギュードリン自治区に向かうための準備を始めることになった。

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