幕間3 一方その頃勇者は

 ジェミト森林を進む「白き天剣ビアンカスパーダ」。その間にも、パーティーリーダーであるはずの勇者ナタリアは、捕縛バインド沈黙サイレンスを解かれないまま、イバンに無造作に担がれて運ばれていた。

 開きっぱなしの口からはよだれがボタボタ垂れていて、完全に形無しである。


「……! ……!!」


 それでもナタリアは、なんとかイバンに抱えあげられている状況から脱しようと、動かない身体を震わせ、出ない声を出そうとしていた。しかしそんなことなどお構いなしに、イバンは森の中をずんずん進んでいく。

 そして、ピスコボ森林から大きく離れ、そろそろ森の木々が途切れるだろうか、という頃合いで。マリサがそっと声をかけた。


「イバンさん、そろそろよろしいですか?」

「こちらも。もう十分離れたかと思います」


 ベニアミンも一緒になって声をかける。二人の申し出に、イバンはこくりとうなずいた。


「ああ。だがベニアミン、顔以外の捕縛バインドはまだ解くなよ」

「了解しました」


 同意しながらも容赦ようしゃのないイバンの言葉に、ナタリアがぐっと動きを止める。

 そして粛々しゅくしゅくと、マリサが沈黙サイレンスを、ベニアミンが顔部分の捕縛バインドを解除すると、ようやく発声が自由になったナタリアが大きく息を吐き出した。


「……っぶは!! うぁー、もう何なのよ、あれ!!」

「ナタリアさん、あの、大丈夫ですか……?」


 声を取り戻して早々に、先程目の当たりにしたものへの悪態あくたいをつき始めるナタリアに、おずおずとレティシアが声をかける。

 顔を動かすのは自由になったが、首を向けることはまだできない。せいぜい、目だけを動かしてにらみつけるくらいだ。鋭い視線をぐるりと動かしながら、ナタリアが叫ぶ。


「大丈夫だけど、ベニアミン! さっさと解きなさいよ、この捕縛バインド!」

「ダメです」


 命令するかのような言葉を叩きつけるナタリアだが、ベニアミンの返事はそっけない。その言葉にナタリアがぎりりと奥歯を噛んだ。これではまるで、敵国の捕虜ほりょか、捕らえられた犯罪者と扱いが大差ない。

 捕縛バインドをいったん全身にかけて維持し、その後顔部分だけ解除して話させるやり方は、尋問じんもんの一般的な手法だ。しかし相手は勇者、魔王陣営がやるならまだしも、冒険者側がやるようなことではない。

 イバンに抱えられたままで、もう一度ナタリアが腕から抜け出そうともがく。


「なんでよ! 別にあたしは逃げ出したりなんか――」

「ナタリア、よく聞け」


 もがきながら文句を垂れるナタリア。しかしその言葉をさえぎって、イバンが冷たい視線を向けた。

 立ち止まり、手近な木にナタリアの身体をもたれさせて、それを四人で取り囲む。レティシアは困惑顔だが、残り三人は冷静だ。見下すような目をして、イバンが言う。


「お前、さっきは本当に、冗談抜きで殺されるところ・・・・・・・だったんだからな?」

「僕とマリサさんが止めていなければ、死んでましたよ、貴女」


 ベニアミンも、今回ばかりは呆れ顔を隠そうとしない。普段は温和で礼儀正しい彼の厳しい言葉に、ナタリアが言葉に詰まる。それでも、反抗するように彼女は口を開いた。


「何を根拠に、そんな……」

「ナタリアさん」


 納得しかねるナタリアの言葉を遮ったのはマリサだった。感情の無い顔をして、彼女の頭上に目を向ける。


「貴女のレベル、今いくつですか?」


 一見すれば分かるようなことを、改めて問いかけるマリサ。それに目を見開きながらも、むくれながらナタリアは答えた。


「よ、42だけど」

「イバンさんは?」

「俺は55だな、全国冒険者闘技大会で優勝した時の経験値もあるから」


 次いでマリサが声をかけるのはイバンだ。彼は「白き天剣ビアンカスパーダ」の所属メンバーで、最もレベルが高い。さすがは並み居る強豪をすべて打倒だとうし、冒険者の頂点に君臨したことのある戦士だ。

 それにこくりと頷いて、マリサは改めてナタリアに顔を向けた。


「ですよね。では、ナタリアさんが斬りかかろうとした、あの狼人ウルフマンの方。レベルは?」


 それを問われ、ぐっと言葉に詰まるナタリアだ。

 あの狼人ウルフマン拳闘士グラップラー、リーア。彼女のレベルも異常に高かった。その数値は、ナタリアも覚えている。


「……ひゃ、143、だったけど」

「はい。元が魔物とはいえ三倍以上の差がありますよね? イバンさんですら一人では厳しいでしょうに、貴女のレベルでかなうと思いますか?」


 そう言って、マリサはつい、とナタリアのあごに触れた。そっと指を喉元に這わせるようにしながら、冷徹な目を向ける。

 初めから、万に一つも勝ち目がないのだ、先程のナタリアの暴挙は。

 イバンが腕を組みながら、静かな口調で呼びかける。


「冒険者が一対一で死なずに・・・・相手を出来る魔物のレベルは、自分のレベルの二倍以下まで、が通説つうせつだ。多対一でようやく、二倍レベルの相手に安心して挑めるくらいになる。それ以上の相手に挑みかかって、無事でいられる保証はない……お前も、よく知っていると思うが」

「そ……そうだけど! でも……」


 あんなことを言われて、黙っているなんてあり得ない。

 そう抗弁こうべんしようとするナタリアだが、うまく言葉が出てこない。頭のどこかで、分かってしまったのかもしれない。

 あんな相手を殺すどころか、傷を付けることすら、自分には無理だと。

 そこに追い打ちをかけるように、ベニアミンが頭を振りながら言った。


「それだけじゃありません、あの少女の後ろには、レベル200以上の神獣が二頭もいたんだ。ジュリオの話したあの言葉は、どうしようもないほど事実です」


 「お前が何百何千と斬っても、俺の毛一本も斬れない」。

 彼のその言葉を思い返しながら、ナタリアは歯噛みした。うつむきたいが、捕縛バインドがまだかかっている。うつむくことすら出来ない。


「冒険者のX級規格外扱いは、一般にレベルが三桁に達したら認定資格を得られる。アルヴァロ先生は今現在でも人類最強と言われているが、それでもレベル129だ。今の先生でも、アンブロースと一対一で渡り合えるかどうかだろう」


 視線をどこか遠くに投げかけながら、イバンは淡々と告げた。

 アルヴァロ・ピエトリが人類という括りにおいて最強なのは、冒険者を引退してからも並々ならぬ鍛錬を継続しているからだ。生徒を教える傍ら、早朝から深夜まで鍛錬に明け暮れている。

 その経験値たるや、「肉体の衰えが無ければ神魔王に傷をつけることも出来よう」と評されるほど。もっとも、ギュードリン自身がアルヴァロを気に入って、今でも彼と定期的に一対一で真剣試合を行っており、その度にアルヴァロは一筋か二筋傷をつけて帰ってくるので、全くの過小評価なのだが。

 そのアルヴァロですら、アンブロースと相対して死なずに戦闘を終えられるだろう、というくらいなのだ。ナタリアでは九割九分、一瞬で叩き潰されて終わりだろう。


「ジュリオはそれより強いんだ。お前じゃ到底無理だよ」

「く……!!」


 ダメ押しとばかりに、イバンが現実を突き付けてくる。もうナタリアは、自分の仲間を直視することも出来なかった。

 自分じゃ勝てない。かつて仲間だった者に。自分の仲間でなくなった途端に、人外の力を手にした顔馴染みに。

 苦しげな声を漏らすナタリアを見ながら、マリサがそっと笑みを浮かべる。


「まあまあ、イバンさん、その辺にしておきましょう。彼らが獄王の側でないことが分かったことは、喜ばしいじゃありませんか」


 彼女の言葉を聞いて、イバンがこくりとうなずいた。確かに、これでジュリオがイデオンの配下に付くことを選んでいたら、イデオン撃破は文字通り不可能だっただろう。


「ん……確かにな。ジュリオたちが魔王討伐の障害になることが無いというだけでも、気は楽だ」

「そ、そうですよね……あんな、恐ろしい力を持つ魔物を、相手取ることが無い、と分かっただけでも……」


 四人の話を黙って聞いていたレティシアも、おずおずと声を発した。それを聞いたナタリアが、再び視線を落とす。

 彼女の様子を見たイバンが、ベニアミンへと視線を投げた。


「もういいだろう、ベニアミン」

「はい」


 短く答えた彼が、さっと手をかざすと。ナタリアの身体が糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。捕縛バインドが解除されたのだ。

 ゆらりと立ち上がるナタリアに、イバンが肩を貸す。そのまま、彼女らは森の外に向かって歩き出した。

 ゆっくりと足を進めながら、憔悴しょうすいした表情でナタリアがこぼす。


「……イバン」

「なんだ」


 短い呼びかけに、イバンも短く返して。

 そして消え入るような小さな声で、彼女は言った。


「ごめん」

「何がだ」


 確かに謝ったナタリアに、しかしイバンはそっけない返事だ。

 その言葉に、いくらか覇気を取り戻したナタリアが、うめくようにして返す。


「面倒かけた……あたしが、もっと強ければ、こんなことには」


 もっと強ければ。もっと自分に力があれば。

 そう述懐じゅっかいするナタリアの頭を、イバンがもう片方の手でポンと叩いた。


「お前は、体を鍛えるより、心を鍛える方が先だろうな。その方が、レベルアップは早いだろうよ」

「……うん」


 その、厳しくも優しい言葉に、ナタリアは小さくうなずいて。

 後ろからついてくる三人も、その様子を見てほっと胸をなでおろした。

 これで、少しは自分をかえりみてくれるとよいのだが。


「さあ、グイドの町に戻って報告するぞ。まだまだやるべきことは沢山あるんだ」


 そう声を上げるイバンに従って、ナタリアは町に向けて歩いていく。

 強大な力を目の当たりにして、打ちのめされてもなお、ナタリアの目にはかすかな光が点っていた。

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