第302話 薫の危惧と仙崎の修行

 鉄頭鼠と戦った翌々日、薫は学校からの帰りにマナ研開発の本社へ向かった。五時から会議があり、その会議に出席する為である。


 マナ研開発のオフィスに入ると社員たちが薫に挨拶をする。薫は几帳面に挨拶を返しながら会議室へ行き中に入った。


「薫、こっちへ」

 三条吾郎さんじょうごろうが娘を呼び寄せ、隣に座らせた。薫の父親である吾郎は、堅実な経営を心掛ける経営者なのだが、最近娘に振り回され忙しくしていた。


 会議が始まると部長たちが報告を始める。

「えっ、注文がそんなに増えてるの?」

 営業部長からの報告に薫が驚いた。

「はい、奥多摩の研究所から魔物が逃げたという事件が起きた後、活性化魔粒子を求める顧客が増えております」


 薫が危惧の念を抱き溜息を吐く。

「危険な兆候ね」

 注文が増え喜んでいた営業部長が怪訝な顔をする。


「どういう事でしょうか?」

「各国からの注文が増えたのは、奥多摩の研究所で魔物に活性化魔粒子を与える実験をして、特異体化したのを知ってからでしょ。各国の研究者は再現実験をするつもりじゃないかな」


「えっ、あんな化け物をまた作ろうとしていると言われるのですか」

「たぶんね」

「信じられません。何故そんな実験を?」


「各国の思惑は判らないけど、生物兵器でも作るつもりなのかしら」

 吾郎が否定する。

「まさか、制御出来ない生物兵器など危険物でしかないだろ」

 会議は紛糾し、結局活性化魔粒子の供給量は増やさず、医療関係の製品開発に力を注ぐ事になった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 伊丹の指導下で修行中の仙崎は、迷宮の第十六階層に到達した。目の前の草原にはスライムが溢れかえっている。


「なんじゃこりゃ!」

 仙崎が叫んだ。その気持は分かると伊丹は思ったが、仙崎がどう対処するか興味を持った。疲れて気が短くなっていた仙崎は剛雷槌槍を振り上げスライムに斬り付けようとした。


「待て待て、いくらミスリル合金製の剛雷槌槍でもスライムの酸に触れるのは駄目でござる。これを」


 伊丹は持って来たホーンスピアを渡し、剛雷槌槍を受け取った。双剣鹿の角を使ったホーンスピアは脆く切れ味も良くなかったが、スライムを相手するにはピッタリのものだ。


 仙崎がホーンスピアを振るい始めた。スライムの核を目掛け斬り付けると簡単に不定形の魔物は死ぬ。五メートルほど進んだ所で仙崎の足が止まった。敵が居ると知ったスライムが集まり始めたのだ。


「おりゃ……トウ……うわっ」

 スライムから酸の集中攻撃を受けた仙崎が逃げ戻って来た。

「はあはあ……や、槍じゃ無理です」


「予想通りでござる」

「知っていたなら、先に教えて下さい」

「いや、こういう経験をするのも修行でござる」


 仙崎はどうやってスライムの群れを通り抜けるか悩んでいるようだ。

「伊丹さんなら、どうしますか?」

「拙者はスライムを遠ざける手段を持っているのでござる」


「どんな手段です?」

「仙崎殿には無理でござるので、参考にはならぬと思うぞ」

 伊丹が抑えている覇気や殺気を全開にすると弱い魔物は近寄らなくなる。だが、その覇気を浴びた仙崎も凍りついた。


 これは自分には無理だと分かった仙崎は、悩んだ末に魔法を使う事にしたようだ。

 使う魔法は『紅炎爆火の神紋』の<炎池フレームパーンド>だ。スライムがもぞもぞと動いている草原を睨み、仙崎は呪文を唱え始める。


 呪文が終わった瞬間、目の前の草原に火の海が出現した。直径一〇メートルほどの範囲でスライムと雑草を焼いていく。


 しばらくして火が消えると、スライムの残骸が残った。だが、一回の魔法で進めるのは一〇メートルである。それではスライムの草原を縦断し次の階層へ行く事は出来ない。


「こうなったら」

 仙崎は別の魔法を試す事にしたようだ。今度の魔法は『凍牙氷陣の神紋』の<暴風氷ブリザード>である。

 呪文を唱え<暴風氷>が発動した。上空の空気が魔力により冷やされ氷点下となる。その冷たい空気が地面すれすれまで下降し、仙崎の目前で前方へと風向きを変える。


 空気中の水分が凍り、その結晶を舞い上げながら前方の草原を凍り付かせていく。仙崎は<暴風氷>を発動したまま、凍った草原を渡り始めた。


 草原を三分の二ほど縦断した所で、仙崎の顔から大粒の汗を吹き出すのを伊丹は見た。どうやら仙崎の魔力が限界に来ているようだ。


「ううっ、限界……です」

 <暴風氷>の魔法が途切れた。伊丹は残念という顔になり。

「もう少し頑張って欲しかったでござる」


「そ、そう言われても……」

 凍っていた草原が元に戻り始めた。迷宮の復元力が働き、凍ったものが溶けるまでの時間が地上より早いようだ。


「ほう、迷宮では凍ったものが溶けるのも早いのでござるな」

「落ち着いて観察している場合じゃない。このままじゃスライムに囲まれてしまう」


 伊丹は落ち着いて周りを見回してから、抑えていた覇気を解き放った。先程のものより抑えているようだが、仙崎は伊丹の身体から何かが放射され始めたのを感じた。気が付くと身体中の体毛が逆立ち、本能が危険だと警笛を鳴らしている。


 そして、伊丹が何か恐ろしい存在に変身したかのように感じ始めた。声を出そうとして、喉がカラカラに乾いているのに気付く。


「さあ、先に進もうではござらぬか」

 モーゼの奇跡のように、伊丹が進むとスライムが逃げ出し前方に道が出来た。仙崎は伊丹から発せられる覇気に耐えながら追い掛けスライムの草原から脱出した。


 第十七階層へ下りる階段に到着し、漸く伊丹が覇気を抑えたので、仙崎はぐったりして座り込んだ。


 仙崎は師匠である山崎の覇気を受けた経験がある。だが、伊丹のものは桁違いだと感じ、何でこんな凄い人が評判になっていないんだと不思議に思う。


 その後、将校蟻と戦って死にそうになったり、ファイアードレイクが吹き出した炎で丸焼けになりそうになったりしながらも何とか第二〇階層のゴールまで辿り着いた。


 仙崎はゴールした途端、不覚にも両目から涙が零れ落ちるのを抑えられなかった。

「修行は、これで終わりではござらんぞ。山崎殿の課題はナイト級下位の魔物を狩る事でござる」


「少しくらい休ませて下さい」

「しょうがないでござるな。明日一日だけ休みに」

「助かった。このままナイト級の魔物と戦わされたら死ぬ所だ」


 休みという言葉を聞いた仙崎は、声を張り上げ喜んだ。趙悠館に戻った伊丹たちは、アカネたちが用意した豪華な料理で迷宮制覇を祝った。


 仙崎も伊丹のサポートがなければ達成出来なかったと分かっているが、攻略した事は間違いないと喜び、大いに飲んで酔っ払った。


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