第197話 天空の魔物

 先頭車両に乗っていた木村三等陸尉は、事故の音を聞き車両を停車させ、対物狙撃銃を抱えて飛び出した。トラックの方を見ると、同じように対物狙撃銃を持って走る同僚の姿が眼に入った。


 鉄の檻から這い出した巨大蟻はパニックを起こしていた。狭い場所に閉じ込められた所為で怒ってもいた。

 対物狙撃銃で武装していた同僚が近付くと巨大蟻が走り寄る。


 同僚は何か叫んで対物狙撃銃を撃とうとするが、撃たずに巨大蟻から距離を取ろうと後退する。追撃を開始した巨大蟻が同僚に迫る。

 この時、初めて対物狙撃銃の銃声が響き渡った。巨大蟻の背中に穴が開いた。だが、致命傷ではない。


 巨大蟻が同僚の身体を捉えるのが眼に入った。同僚が対物狙撃銃の銃口を巨大蟻に向けようとしているのが分かる。巨大蟻が大きな顎で対物狙撃銃を咥え力を込める。


「あっ!」

 同僚が驚きの声を上げると同時に。対物狙撃銃が真っ二つとなった。巨大蟻は対物狙撃銃を吐き捨て、足を使って同僚を撥ね飛ばす。


「チクショウ!」

 木村三等陸尉は地面に倒れた同僚に駆け寄った。巨大蟻が同僚を仕留めようと迫って来る。対物狙撃銃を構え巨大蟻に狙いを定め撃とうとしたが、その後方にマスコミが居る。同僚が最初に銃撃を躊躇った理由が判った。


「チッ」

 舌打ちをした木村三等陸尉はトラックの側面に回り込もうと移動を開始する。それに気付いた軍曹蟻が素早く駆け寄る。射線からマスコミが外れたのを確認し対物狙撃銃を構え頭を狙って引き金を引く。


 『バン』と射撃音。銃弾は巨大蟻の胴体に命中する。仕留めてはいない。巨大蟻は傷口から体液を流しながら迫って来る。


 目と鼻の先に迫っている巨大蟻に対物狙撃銃の強烈な銃弾を連続で叩き込んだ。巨大蟻の身体にボコボコッと穴が開き動きを止めた。


 木村三等陸尉が止めていた息を吐きだした時、もう一匹の巨大蟻が彼を襲った。足を食い千切られ、倒れた彼の身体に軍曹蟻の黒い巨体が覆い被さる。

 悲鳴が上がり、やがて静かになった。


 ………………


 しばし静寂が空間を支配する。周りに居たマスコミは自分たちの身の危険をやっと感じ始めた。一人がカメラを持ったまま後退り逃げた。それを見た他の者も逃走する。


 軍曹蟻は逃げていく人間を追い掛け始める。

「うわっ……来るな!」

 逃げ遅れた一人が足を縺れさせ転んだ。特別作戦部隊の隊員が駆け付け小銃を連射し巨大蟻の追撃を止める。だが、小銃には仕留めるだけの威力はなかった。


 一方、自衛隊が封鎖していた場所に取り残された俺たちは、遠くでトラックと車両が衝突する音を聞いた。

「何だ、誰か事故を起こしたのか?」


 東條管理官は疑問を口にする。俺は嫌な予感がした。

「もしかして、自衛隊のトラックじゃ」

 東條管理官が車に乗れと合図する。俺とオリガがオフロード車に乗ると走り出す。


 少し走ると自衛隊のトラックが事故を起こしている現場に到着する。事故現場の傍で迷彩服を着た自衛官が巨大蟻に小銃を発射している。


 見ると追突したマスコミ車両がトラックの下に潜り込んでいた。中に居る運転者と助手席の男は頭から血を流し気を失っているようだ。


 マスコミの人間が巨大蟻から逃げようとしている。出遅れたテレビ局の人が後ろの方で撮影を開始している。


 東條管理官はマスコミ車両の後ろに停車し、俺とオリガに車から出ないように言ってから外に出た。俺は窓を開け頭だけ出して尋ねた。


「何か手伝いましょうか?」

 振り返った東條管理官が首を振る。

「武器も持っていない奴に、あんな化物と戦えと言うほど、私は酷い人間じゃないぞ。それに化け物退治は自衛官の役目だ」


 いつから自衛官の役目の一つに化け物退治が加わったのかは知らないが、巨大蟻を倒せる武器を持っているのは自衛隊だけなのは確かである。


 異世界ではあんだけ無茶を言った東條管理官であるが、日本に戻ると世間の常識が復活するようだ。東條管理官は追突した事故車の中で気を失っている人を助ける為に進み出た。


「危ないから下がって」

 トラックを運転していた自衛官が声を上げた。東條管理官は事故車を指差す。

「中の人を助けたいんだ」


「巨大蟻が居る間は危険です。我々に任せて下さい」

 小銃を持った自衛官六人が巨大蟻を取り囲んで牽制している。巨大蟻を排除するまで時間が掛かりそうである。


 東條管理官には止められたが外へ出た。事故車の中に取り残されている怪我人が心配になったのだ。

「ミコトお兄ちゃん、キングに頼んでやっつけようか」


 オリガが雷鳩を使って軍曹蟻を倒そうと提案した。雷鳩の烈風撃では倒せそうにないが、雷撃を使えば倒せるかもしれない。


「いや、それは止めとこ。キングが新聞やテレビに出ちゃうからね」

 オリガにはキングを秘密にするように言ってある。万一、鳩型幻獣の傍に必ずオリガが居ると知られれば大変な事になると考えたからだ。


 目を凝らし事故車の内部を見る。

「まずいな……怪我人の出血が止まらないようだ」

 急いで救出しないと命が危ないかもしれない。


 軍曹蟻を倒せる対物狙撃銃は、装備していた隊員が襲われた時に壊れたようだ。

「魔法を使って仕留めるか……それも問題になりそうだな。雷鳩の方がマシか」


 東條管理官が戻って来た。

「外に出て何をしている?」

 俺は質問を無視し質問で返した。

「この車には武器とか積んでないんですか?」


 俺が尋ねると東條管理官が呆れたような顔をする。

「積んでる訳ないだろ」

「東條管理官なら、チャカとかドスとか隠し持っていそうなのにな」


「上司を何だと思っている。そこらのヤクザ屋じゃないんだぞ。それに拳銃やナイフ程度の刃物が有ってもどうにもならんだろ」

 ごもっともである。


 軍曹蟻は大勢の敵に囲まれ右往左往している。特別作戦部隊の隊員は止めを刺せる武器が無いので牽制に徹しているようだ。


「そうだ、牽引ロープとかない?」

 緊急時なので、丁寧な言葉遣いなど気にしていられなくなっていた。東條管理官が車のトランクから索引ワイヤーを取り出した。


「何に使うんだ?」

「軍曹蟻に引っ掛けてトラックから引き離し、その間に怪我人を助け出すんです」

「上手くいくのか?」

 疑問を口にしながらも東條管理官は手伝ってくれた。


「ミコト、これを着けろ」

 東條管理官が何だか見た覚えの有るマスクを俺に渡した。以前にオークが侵入した時に使ったマスクと同じものだ。


「また、これですか」

「文句を言うな。それが嫌なら電動ノコを持った殺人鬼のマスクも有るぞ」

 東條管理官が鞄からホッケーマスクのようなものを出す。


「何でそんなものを?」

「たまたま持っていただけだ。気にするな」

 滅茶苦茶気になるが、東條管理官は私生活については一言も喋らないので尋ねなかった。


「……これでいいです」

 俺は花粉症用の白いマスクを着けた。東條管理官も殺人鬼のマスクと普通のマスクを見比べていたが、迷った末、普通のマスクを着けた。

 何で迷うんだ。殺人鬼のマスクなんか着けたら不審者として捕まりそうなのに。


 索引ワイヤーを持って自衛官たちの後ろを通過し、自衛隊の車両にワイヤーを結ぶ。その反対の先端に輪を作った。


 俺は軍曹蟻を包囲している自衛官の頭越しに輪を作ったワイヤーを投げた。練習していた訳でもないのに、ワイヤーの輪が巨大蟻の頭にすっぽりと嵌った。


「な、何をしている。危険だから離れろ」

 自衛官の一人が大声を上げる。

「軍曹蟻をここから引き離します。少し離れて下さい」


 俺が合図を送ると自衛隊の車両に乗り込んだ東條管理官が車を発進させる。緩んでいた牽引ワイヤーが伸び、巨大蟻を引き摺り始めた。


 特別作戦部隊の隊員の間から『おおっ』というどよめきが上がる。

 ワイヤーは丁度首の所で絞まっている。人間なら窒息死する処だが、巨大蟻は平気なようだ。

 東條管理官は巨大蟻を二〇メートルほど引き摺って止めた。


 東條管理官が車両から降り隊員たちに声を掛ける。

「他に牽引ロープやワイヤーは無いのか?」

 ワイヤー一本ではいつ引き千切られるか判らない。隊員は三本のロープと二本のワイヤーを探し出し、巨大蟻の足や首に引っ掛けてガードレールに固定する。

 巨大蟻は暴れたが合計六本のロープやワイヤーで自由を奪われると諦めたように大人しくなった。


 俺は事故車へ行き怪我人を車の中から運び出す。これにはマスコミの人間も手伝ってくれた。一応仲間だという意識が有るのかもしれない。


 鉄の檻の中には三匹の巨大蟻が居たはずである。自衛官の一人が鉄の檻を調べると巨大蟻の一匹は路面と鉄の檻の間に足を挟まれ動けなくなっていたようだ。


 自衛隊の応援が来たので、俺たちは現場から逃げ出した。そのまま留まっていると事情聴取などをされ面倒に巻き込まれそうだったからだ。

 俺とオリガは最寄りの駅で降り、電車で薫との待ち合わせ場所に向かった。


  ◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆=◆◆◇◆◆


 薫の従姉妹である三条真希の通う大学は割と大きな伝統ある大学である。但し一流大学という訳ではなく、地元の若者が通う普通の大学だった。


 真希は授業が終わると教室を出て大学の購買部へ向かった。購買部で書籍を買い家に帰ろうと門を出た所で、見覚えのある若い女性と出会う。


「あらっ、真希さんじゃない」

 一緒に異世界へ転移した高校教師の乾美鈴いぬいみすずだった。

「どうして大学へ?」

「私、今年からこの大学の講師になったのよ」


「ええっ、大学で英語を教えるんですか?」

 真希は美鈴が英語教師だったのを思い出していた。

「いえ、ミトア語を教える事になったの」


 異世界の言葉であるミトア語を教えている大学が増えているらしい。異世界旅行が普及し始めている証拠だろう。特に医療関係者は異世界の魔法薬に大きな関心を示し、異世界の各地に医療施設を建設しようと考えていた。

 迷宮都市に滞在している神田医師や宮田医師も、そう言う医療関係者が打った布石である。


「もう就活を始めているの?」

 美鈴の質問に真希は溜息を吐いて首を振る。

「でも、どんな業界が自分に合っているか考えています」


 真希は経済を学んでいるが、商社に入りたいとか考えていた訳ではない。何となく地元大学の経済学部を受験したら受かってしまったという程度なのだ。


「ミトア語が出来るんだから、それを活かした職場を選んだら」

「例えば、どんな所です?」

「最近では旅行会社や医療関係もミトア語が出来る人材を探しているらしいのよ」

「へえー」


 二人は近くの喫茶店に入り旧交を温める事にした。窓際の席に座り真希はブレンドコーヒー、美鈴はクリームソーダを頼む。


「東埜と小瀬、玲香の三人はどうしています?」

 美鈴が顔を顰める。


「あの三人は相変わらずよ。特に東埜君は一時期テレビにも出て有名になったものだから、プライドだけが高くなって、学校でも問題児になってるわ」

 真希は苦笑いする。あの時テレビを見て憤慨したものだが、今では懐かしくなる。


 その時、窓の外の道路に街頭宣伝車が停車した。市議会議員の候補者が演説を始めるようだ。候補者が街頭宣伝車の上に登り演説する。


 演説の内容が異世界の魔物についての話になったので、二人は聞き耳を立てた。演説を聞いている聴衆は意外にも多く、候補者は人気が有るようだった。


『……異世界の魔物が世界各地で暴れ回り……この由々しき事態に政府は……』

 市議会議員の候補者はマイクを片手に政府批判をし、自分なら事前に対策を立てていたと告げる。

『市議会にも危機意識が不足しています。このような状況……』


 その時、甲高い鳥の鳴き声が大空に響き渡る。

 人より大きな鳥が候補者を目掛けて飛翔し鎌のような爪で、その首を掻き切った。街頭宣伝車の周りに真っ赤な血が飛び散る。


「ひゃっ!」「きゃあああー」「うわっ!」

 悲鳴や驚きの声が一斉に上がる。その中に次々と巨大な鳥が鎌のような爪を閃かせて飛び込んで来た。


 美鈴と真希は喫茶店の中から一部始終を見ていた。真希はハッとして喫茶店の入り口に走る。ドアを開け大声で叫んだ。


「こっちよ。中に入って!」

 その声を聞いた三人の男女が店に飛び込んで来た。飛び込むと同時にドアを閉める。

「美鈴さん、窓から離れた方がいい」


「そ、そうね」

 美鈴は窓際から離れ店の奥に行く。店長らしい男性が警察に電話をしていた。


 一瞬の惨劇だった。外では四人が地面に倒れ血を流している。


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