第193話 ゴブリンと児童養護施設
夜間外出禁止令が出された町の児童養護施設で、オリガや同年代の子供たちが不安な夜を過ごした。
翌朝、オリガが目覚めると児童養護施設の中がシーンと静まり返っている。目覚まし時計が鳴ったので、時間はいつもの時間のはずだ。普段なら騒ぎ出す子供やそれを注意する大人たちの声がする時間だった。
オリガは精神を集中し部屋に誰かいないか気配を探した。
オリガくらいの年齢だと大部屋で多数の子供たちと一緒に寝起きするのが普通なのだが、眼に障害のあるオリガには特別に個室を用意されていた。
小さな子供がうろちょろする大部屋では危険だと判断されたのだ。
「誰も居ない」
人の気配が無いのを確認してから、幻獣サイトバードを召喚した。世界最小の鳥ハチドリと同じ大きさのサイトバードはオリガの周りを飛び回ってから、オリガのヘアバンドに着地する。
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着替えてからテレビの有る食堂の方へ行った。
昨日の夜、魔物が侵入したと報道され、大人たちがテレビに釘付けになっていたのを思い出したのだ。
食堂では大勢の子供と大人たちが集まってテレビを見ていた。
「あっ、オリガちゃん」
仲の良い友達のミサキが歩み寄りオリガをテレビの前に連れて行った。
「学校がお休みになるんだって」
テレビでは住んでいる町を含む地域の学校を臨時休校にすると報道していた。
オリガは小学校に入学したばかりで学校が大好きだった。眼の障害については学校側にも知らせてあり、オリガの視力はヘアバンドに着けた機械のお陰で見えるようになっていると説明された。
サイトバードはオリガの命令でピクリとも動かなくなる事が可能なので、よく出来た作り物と思われたようだ。
「チェッ、今日の給食は俺が好きなシチューだったのに」
児童養護施設の問題児タケシが文句を言い始めた。小学四年生の元気過ぎる子供である。
「今日は部屋の中で過ごすんだ。外に出たら駄目だぞ」
香月師範が皆に注意する。ここで古武道を教えているので子供たちは香月の事を師範と呼ぶ。
「ねえ、師範。魔物ってどういう奴なの?」
タケシが質問した。
「ゴブリンと巨大蟻と大きな鳥らしい」
子供たちは目を輝かせた。
「おおっ……ゴブリンか。弱っちい奴だろ。俺が倒してやるよ」
テレビの特番などで異世界について報道する時、必ずと言っていいほどゴブリンが登場する。魔物の中でも最弱に分類される魔物だと何度も報道されるので、子供は自分でも倒せると思っているらしい。
「馬鹿言うな。相手は魔物なんだぞ。子供が倒せるもんか」
香月師範が叱るが、タケシは納得していないようだ。タケシの身長はゴブリンと同じ程であるが、魔物の筋力は人間を遥かに凌駕するので、タケシがゴブリンに勝てるはずがない。
「ミコト兄ちゃんは、ゴブリンは弱いって言ってたぞ」
香月師範は思わず舌打ちした。
「あいつ……余計な事を」
「師範……ミコト兄ちゃんは嘘付いたの?」
「嘘じゃないが、魔物の中で比べると弱いという意味だ。人間と戦ったら負ける人の方が多いんじゃないか」
タケシは納得していないようだ。
「師範も負けるの?」
子供のくせに痛い所を突く。古武道を修行する者としては負けるとは思わないが、実際に戦った事がないので断言出来ない。
「……戦った事が無いから判らん。だが、勝てると思っている」
「だったら、俺だって勝てるよ」
こいつの自信は何処から来るんだろう。こういう奴が厨二病に罹ったりするんだろうと香月師範は思った。
子供たちが『だったら俺も勝てる』とか言って騒ぎ始めた。
騒ぎが収まり朝食を済ませたオリガが、リビングでミサキと絵本を見ていると庭の方で男の子たちが遊ぶ声がする。
「あっ……タケシ兄ちゃんたちが外で遊んでる」
ミサキが呟いた。オリガは周りを見回し大人を探したが誰も居ない。香月師範は買い物に出掛け、他の職員は年少組の世話をしていた。
その時、大きな声がした。
「おい、こっちだ。こっちに逃げたぞ」
おまわりさんが一人息を荒げながら走って来た。子供たちの視線が制服警官に向けられた瞬間、塀を乗り越え緑色の生物が児童養護施設の庭に入って来た。
「おっ……ゴブリン」
タケシがゴブリンの姿を発見し声を上げた。テレビでは何度も見たゴブリンの姿と一緒だった。緑色の皮膚と腰布、額には小さな角が有り顔は醜かった。
さすがに本物は迫力が有り、子供たちはビビった。
子供たちの中に一人だけ例外が居た。
「ふふふ……俺が退治してやる」
タケシは庭に有った竹箒を掴むと剣のように構えた。タケシは既に厨二病に罹っているようだ。
「危ない。皆、中に入って!」
オリガは庭に面しているガラス張りの引き戸を開け叫んだ。ミサキちゃんの方へ振り向き、
「大人の人を呼んで来て」
ミサキはコクッと頷いて駈け出した。
庭に居た子供たちは騒ぎながら、オリガの開けた引き戸から中に入って来た。
外ではタケシが一人、ゴブリンと対峙していた。ゴブリンは喉の奥で唸りながらタケシを見ている。警戒しているらしい。
「この聖剣エクスサイダーでたたっ斬ってやる」
タケシが持っているのは聖剣ではなく竹箒である。そして名前も間違っている。
「タケシ兄ちゃん、サイダーだと飲み物になっちゃうよ」
冷静にオリガが指摘すると、タケシの顔が赤らむ。
「ち、ちょっと言い間違えただけだ」
ミサキが職員のおばさんを連れて来た。おばさんは外の様子を見て声を失うほど驚き立ち尽くす。
大人が来れば何とかしてくれると思ったが、駄目だったようだ。
その時、先程のおまわりさんが庭に入って来た。
「坊主、そのまま後ろに下がって逃げるんだ」
警官は銃を抜きタケシに近付く。オリガはおまわりさんの姿を見てホッとした。
「大丈夫、俺が倒す」
タケシの厨二病は重病だった。警官が顔から汗を吹き出しながら、タケシの前に出た。
ゴブリンの手にはショートソードが握られていた。太陽に照らされた剣はギラリと輝いた。その光を見たオリガは何だか不安になる。
ミコトお兄ちゃんに人前で雷鳩を召喚するのは、非常事態の時だけだと言われていた。たぶん今が非常事態だとオリガは思った。
雷鳩を召喚する所を見られないようにしよう。小声で呪文を唱える。雷鳩は上空に召喚され、他の皆には気付かれなかった。
雷鳩のキングは児童養護施設の塀に止まり、庭を見下ろす。オリガはキングの姿を見てニコッと笑った。
ミサキ一人だけがオリガの笑顔に気付き、何だろと首を傾げた。
タケシの前に出た警官は銃口をゴブリンに向けながら、他の警官たちが来てくれるのを待った。一人で突っ込み逆に殺られた場合、子供まで危険になると考えたのだ。
拳銃を撃つ事も考えたが、拳銃の技量は署内でも下の方であるのを自覚していた。
「もっと銃の練習をしときゃ良かった」
警官の呟きは誰にも聞こえなかった。
タケシは不満そうに下がり、引き戸の近くまで戻ったが、中には入らない。
その時、警官の額に浮かぶ汗の一粒が流れだし眼に入った。反射的に引き金が引かれ『パン』という発射音が響く。弾は塀に命中する。
「ギャギェ!」
音に驚いたゴブリンは剣を持って襲い掛かった。ショートソードは警官の足を切り裂いた。
足を切り裂かれた衝撃と痛みで拳銃を離した警官は地面に倒れ藻掻く。その足からは真っ赤な血が流れ出す。
血を見た子供たちは一斉に悲鳴を上げる。
「ひゃああ!」
タケシも悲鳴を上げていた。その声を聞いたゴブリンはニヤリと笑って近付く。
オリガはキングに烈風撃を撃つように命じた。命令はミトア語で命じたので、悲鳴を上げる子供たちの声に混じって周りには気付かれない。
キングがゴブリンに照準を合わせ烈風撃を放つ。圧縮された空気の塊がゴブリンに向かって飛翔し、その腹に命中する。ゴブリンの小さな身体は吹き飛んだ。
地面をゴロゴロと転がる。キングが胸を張り誇らしそうに鳴き声を上げる。
「ポルッポ」
オリガは飛び上がって喜んだが、その光景を目撃した他の皆はポカンとした顔をしている。
門の方から声が上がった。
「皆、大丈夫か?」
香月師範が戻って来たのだ。香月師範は庭に倒れている警官とゴブリンを見て状況を悟った。
警官に走り寄り、その身体をリビングの近くまで運ぶ。
「そのゴブリンは生きてるよ」
オリガが香月師範に注意する。視線を向けるとゴブリンが起き上がるところだった。
香月師範は警官を横たえ、ゴブリンに向き合う。
ゴブリンは攻撃を受けた事に怒っているように顔を歪めながら上段に構えた剣を振り下ろした。香月師範はステップして躱し、ショートソードを握っている手に右手を絡み付かせる。
ゴブリンの手首を捻りショートソードを地面に落とさせる。ゴブリンは捻られている手を力任せに引き抜いた。思っていた以上に強い力だったのを感じ、香月師範は油断せず攻撃に出た。
膝関節に蹴りを放ちゴブリンを転ばせる。素早く手を取り背中に押し付けて手首と一緒に背中を右足で踏み付けた。ゴブリンは藻掻くが立ち上がれない。
「誰か、おまわりさんの手錠を取ってくれ」
ゴブリンを倒すとか言っていたタケシに視線を向けた。腰を抜かし地面に座り込んでいる。
オリガが庭に下り、警官の手錠を取って香月師範に渡した。
「ありがとう」
香月師範に礼を言われオリガはニコッと笑う。天使の微笑みだった。
手錠をゴブリンの右手と左足に掛ける。
子供たちの間から、『ワーッ』という歓声が沸き起こった。
「ここだ、ゴブリンはどう……」
やっと応援の警官が来た。
その後、救急車が呼ばれ大騒ぎとなった。
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