第80話 立て籠るオーク(2)
金井管理官の部下らしい刑事が、ヘッドフォンを差し出した。すぐにオークの会話を分析してくれと言うのだ。集音器を使って録音した音をオークの会話だけ抜き出して編集したものらしい。
俺はヘッドフォンを耳に当てオークの会話を聴き始めた。
「ん……やっぱり、オークたちは食料を探しに来たらしいですね」
「ズリュバと呼ばれているのがリーダーらしいです…………あっ、ドアの外に居る警官を殺す相談をしています……だいぶ
不意に、金井管理官がドンと小さなテーブルを叩く。
ヘッドフォンを渡してくれた刑事が、続きを頼むというように小さく頷く。
「怪我をしている人間が死にそうだと言っています。どうやら塾の講師らしいです」
東條管理官が視線を俺に向け難しい顔をしている。何か提案したいのだが、先ほど釘を差されたので
「……げっ、ズリュバの部下が負傷者を食っていいか尋ねています……ズリュバが我慢するように言っています。オークたちがますます苛立っています。原因は空腹が大きいようです。……ん、ここで終了です」
金井管理官が顔を青褪めさせ驚いている。
「奴ら、人間を食うのか……」
「金井君、口出しはせんつもりだったが、緊急事態だ。食糧と引き換えに負傷者を運び出す許可を交渉すべきだろう。グズグズしていると負傷者が死ぬぞ」
東條管理官の提案に、金井管理官が不機嫌となる。だが、その提案は至極当然な案だった。
金井管理官は迷った末、俺にオークとの交渉を依頼した。オークの言葉が喋れるのは俺しか居ないのだから仕方ない。
食糧としてローストチキンなどの肉をメインに用意して貰った。ざっと十数人分ほどの分量だ。
食糧の入った大きな紙袋を抱え、エレベーターで五階に上がる。エレベーター前には特殊部隊の隊員が緊張した顔をして教室に入るドアを睨んでいた。
俺は挨拶代わりにぴょこんと頭を下げ、ドアに近付き声を上げた。
『中いるオーク……交渉しタイ……食糧アル……』
少し間があってから。
『誰だ貴様、なぜ我々の言葉を喋れる?』
野太いザラザラした感じの声が聞こえて来た。ズリュバと呼ばれるリーダーの声だ。
『俺、言語の学者ミナライ。言葉、異世界に行った人から学んタ』
俺がゲートマスターだと悟られないようにしろと東條管理官から注意を受けていた。オークの狙いが分からない以上、ほんの少しの情報も渡すべきではないと言うのだ。
『ゲートマスターが居るのか。ここに連れて来い』
案の定、そのオークはゲートマスターに興味が有るようだ。
『ダメ、その人、異世界…行ってル』
舌打ちする音がした。……オークも舌打ちするのか。
『食料があると言ったな。早く寄越せ』
ズリュバでないオークの声が聞こえた。かなり空腹のようだ。
『怪我人、居るダロ。食糧、その人と交換』
数分間の交渉の末、食糧と負傷者の取引が成立した。
オークの一人が血を流して倒れている塾講師をドアの近くまで引き摺って来た。
ドアが開き、オークと対面した。全身を覆う剛毛と猪に似た顔、黄色く濁った眼は油断なく周囲を見回している。後ろの方で、初めてオークを見た特殊部隊の隊員が息を呑む気配がした。
彼らは、俺に危害が及びそうならオークに発砲するよう命令されている。
正直、邪爪鉈が欲しいと思った。だが、ここはリアルワールドだ。
チラリと奥を見ると怯えた中学生たちがこっちを見ている。中には泣いている少女も居た。俺は床に食糧を置くと素早く負傷者を引っ張って廊下に出す。その途端、ドアが閉められる。
ドア越しに気配を探りながら、血だらけの負傷者を抱え上げ、エレベーターまで運んだ。
負傷者の顔が陥没し、危険な状態だ。
二人の特殊部隊の隊員と一緒にエレベーターに乗り一階に降りた。俺が抱きかかえていた負傷者を、隊員が受け取り正面玄関から外へと運び出した。
このまま一緒に外へ出ると、マスコミに顔を知られるので裏から外へ出て、東條管理官が待つ指揮車へ乗り込む。案内人はマスコミに身元を知られないように注意しろと言われているが、罰則が有る訳じゃない。
『豪剣士』とか『魔導マスター』とか一部の案内人は、二つ名だけは知られているようだ。マスコミも異世界まで来れないので、仕事に支障はないらしいが、俺は御免だ。
ドロ羊の任務くらいしか知られていない俺に、マスコミが集まるかどうかは分からん。薫からは自意識過剰だと言われたが……ほっとけ。
「ミコト、ご苦労だった」
東條管理官が声を掛けると、周りの刑事たちが口々にねぎらいの言葉を口にする。こういう時は、嬉しいね。危険を犯した甲斐がある。
「静かにしろ!」
金井管理官がディスプレイに注目している。俺が持って行った食糧の紙袋に仕掛けられた超小型カメラとマイクがオークが居る部屋の様子を知らせていた。
人質となっている子供たちの限界が近いと画面を見ながら説明している刑事が居た。心理分析とかしている人なのだろうか。
確かに子供たちは疲れた顔をしており、眼がキョロキョロと落ち着きない動きをしている。
「中の様子は分かった。特殊部隊による強襲を実行する」
金井管理官が強い決意を込め宣言した。
◆◆◇――◆◆◇――◆◆◇
一方、樹海に居る薫たち。
木々の間から零れ落ちる陽光は頼りなく、今にも闇が樹海を支配しそうな気配がする。虫の声や獣の吠える声が時折り聞こえる。雑草が生い茂る中を先頭で進む薫の背後から声が上がった。
「いつまで歩けばいいんだ?」
東埜の愚痴に近い質問に、薫は面倒くさそうに応えた。
「さあ、
「このままだと日が暮れるぞ。どうするんだよ」
だから、異世界に行った経験が有ると知られたくなかったのだ。けれど、一番年下の薫が皆の行動を指示するには知らせるしかなかった。
「夕食の獲物を狩って、野営に適した場所を探します」
薫の答えを聞いて、美鈴は不安そうな顔をする。
「魔物とか襲って来たら危険よ。夜通し歩いて、少しでも早く樹海から抜けだした方が良くない?」
「夜、活動的になる魔物も存在するから、真っ暗な樹海を移動するのは駄目ね」
小瀬が薫を睨むように見て、苛立っているように声を上げた。
「それより、獲物というのはどんな奴だ。さっきのネズミみたいな奴なら食べないからな」
「ネズミは私も嫌よ。この辺にはでかい
薫が開発した応用魔法の中に<
皆とは少し離れ、小声で呪文を唱える。
「チェザラス・ジュムカ・リリキオム……<
南東の方角から、生き物が草を咀嚼する独特の音が聞こえた。薫は真希たちに少し離れて付いて来るように指示し、獲物の方に慎重に近付く。
そこに居たのは兎ではなく一匹の双剣鹿だった。はぐれの雄鹿なのだろうか。
薫が魔法を放とうとした時、背後から叫び声が上がった。
「ウオーッ、俺が仕留めてやる」
薫が後ろを振り向くと、東埜が双剣鹿に向かって走り出す姿が目に入った。
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