第16話 特異体
ミュール草を掻き分けながら南へ移動する。この先には小さな泉が点在する湿地が有り、双剣鹿の水飲み場となっている。ミュール草が途切れ、背の低い雑草が多くなる。
先程までとは違い、引いている荷車がガタゴトと音を奏でる。柔らかかった地面が小石の多い硬い地面へと変わったのだ。
「おっ、発見」
一頭の双剣鹿が足を引きずりながら泉へと進んでいく。長爪狼にでも襲われたのか、後ろ足の片方から血を流している。俺は、その場に荷車を置き追跡を開始。
双剣鹿は俺に気付いて警戒しているようだ。頻繁に後ろを振り返り仲間に助けを求めるような甲高い鳴き声を上げる。
俺は獲物を左へと追い立てた。パチンコが駄目になり遠距離攻撃手段を失った俺は、ホーンスピアで双剣鹿を仕留めるつもりでいた。そのためには獲物を逃げられない場所へ追い込む必要がある。湿地の左には岩場が有り、高さ五メートル以上有る岩が壁となり丁度いい追い込み場所となっている。
傷付いた双剣鹿を岩場に追い込んだ。俺はホーンスピアを構えジリジリと獲物に近付く。その時、背後に危険な気配を感じた。振り返った俺は、身を投げ出すように飛び退く。
背後から巨大な槍が飛来し、俺が立っていた場所を貫き、双剣鹿の胸を抉る。双剣鹿は一撃で即死した。
「何だ、この化け物は!?」
そこに居たのは、体高二メートル、体長六メートルの巨大槍トカゲ。正真正銘のモンスターだった。カジキのような背びれとカメレオンに似た体型は同じだったが、体の色は灰色ではなく光沢のある
「うおっ!」
とっさにサイドステップして躱した俺の横を巨大な槍舌が通り過ぎる。化け物が槍舌で俺を串刺しにしようと襲う。あの大きな双剣鹿が一撃で即死したほどの威力を持つ武器だ。俺も一撃で死ぬだろう。俺の背中を嫌な汗が流れ落ちる。
双剣鹿を追い込もうとしていた岩場に、俺が追い込まれていた。逃げ出したかったが、逃げ道を化け物に塞がれ戦うしか無い。槍舌のスピードは普通の槍トカゲと変わらないようだ。身体と同じ比率で速くなっていたら確実に死んでいた。
ブオーッという音がして巨大な穂先が、こちら目掛けて飛んで来る。何とか躱したが、死を予感した心臓がバクバクと波打ち、喉が渇く。これほど死を意識した瞬間は人生初めてだ。
避けてばかりでは駄目だ。それは分かっているが、あいつに俺の武器が通用するだろうか。槍舌を躱した後、ホーンスピアを奴の背中に突き入れる。強靭な皮に弾かれ、ホーンスピアが役に立たないと知った。俺はホーンスピアを投げ出し、竜爪鉈を抜く。
化け物の攻撃を躱しながら竜爪鉈を振るうチャンスを
何度目かの槍舌の攻撃を躱した後、化け物の横に飛び込む。絶好のチャンスだった。夢中で竜爪鉈を振り上げ化け物の背中に振り下ろした。
ガスッと乾いた音がして、竜爪鉈は巨大槍トカゲの背中に一筋の傷を付けた。長さ二十センチほどで深さが一〇ミリもない、巨体の化け物にとって
「そ、そんな!」
俺の持つ最高の武器でも掠り傷しか負わせられないなんて。頭の中が真っ白になる。
「も、もう一度だ!」
再び竜爪鉈を振り上げ化け物の頭に振り下ろす。手が痺れるような衝撃を感じた。奴の頭は背中以上に頑丈で、竜爪鉈の刃を撥ね返したのだ。
駄目だ、竜爪鉈でも歯が立たない。どうしたらいいんだ。俺はパニックに陥ろうとしていた。槍舌の攻撃を躱しながら、何度も何度も竜爪鉈を振り下ろし絶望感を深めていく。
十数回目の槍舌攻撃を躱した時、足がもつれて地面に膝を突いた。限界に近い戦闘が疲労を増加させていたようだ。パニックに陥り頭に上った血が一気に引く。
冷静に、冷静になれ、こういう場合の方法は二つしか無い。化け物の弱点を攻撃するか、竜爪鉈の威力を上げるかだ。
「こういう化け物の弱点は、皮の薄そうな腹側の急所だろうけど、ひっくり返さない限り攻撃は出来ない。クソッ、だとしたら攻撃力を上げるには、どうすればいい」
そうだ、一つだけ方法がある。魔力を使った身体強化だ。朝練で試していた調息を行う。
イメージは空気中に含まれている光の粒子を吸い込んで腹の中に蓄え、残った空気を吐き出すというものだ。その間も槍舌攻撃は続いているが、最小限の動きで躱す。
特殊な呼吸だけに集中できない分、魔力が溜まるのが遅い、それでも
「腕だけでは駄目か。足や腰にも魔力を流し込むべきなのか」
魔力の制御に全神経を集中する。同時に二つの方向へ魔力を導こうとしたが無理だった。
ならば、まず腰を経由して右足へと魔力を導き、右足と腰に力が溢れるのを感じた瞬間、今度は右手へ魔力を導く。この切替に手間取った。右腕に力を感じた時には、足への強化效果が消えかかっている。慌てて竜爪鉈を振るうが、手応えから失敗だと感じた。
若干だが、先程より深い傷を化け物に負わせたようだ。痛かったらしく『グギャー!』という悲鳴を上げ、少しだけ退き、俺をギョロリとしたデカイ眼で睨んでいる。
化け物が離れたのをチャンスと考え、魔力制御の練習を行う。まず足に魔力を送り、次に右手に魔力を送る。この切替を瞬時に行えるように何度か練習する。送る魔力の量も制御出来るようだが難しい。
魔力を右足へ、魔力を右手へ、また右足、右手へ、あっ、多過ぎる。過剰に送り過ぎた魔力が手から溢れ竜爪鉈へ流れ込む。竜爪鉈の柄は魔力が流れ易いように加工されているので、魔力はそのままワイバーンの爪へと流れ込んだ。
そこで魔力の流れは抵抗に遭う。目詰りしたパイプに空気を送るような感覚だ。それでも少しは爪の内部に魔力が入る。ワイバーンの爪が薄いオレンジ色に光った。この光には見覚えが有る。ワイバーンが帝王猿を仕留めた時の爪の輝きに似ている。但し、あの時の輝きはもっと鮮明で強かった。
竜爪鉈がオレンジ色に輝くのを見た化け物が俺を襲う。槍舌での攻撃が躱されるので、直接噛み付き攻撃を仕掛けてくる。
俺を一飲みにしそうなほど開いた口の攻撃をステップして躱す。ガチッという音がして、すぐ脇で化け物の歯が噛み合う。こ、怖ッ、怖過ぎる。
必死で魔力を制御し右足・右手・竜爪鉈へ魔力を送り込む。魔力により増幅された力で竜爪鉈を化け物の首に叩き込む。今度は確かな手応えを感じた。直径七〇センチほどの首に深さ一〇センチの裂け目が生まれ、そこから大量の血が吹き出す。
巨大槍トカゲが体を震わせ、凄まじい鳴き声を上げる。チャンスだった。俺は化け物の背に
またも化け物が悲鳴を上げ、俺を振り落とそうと身体を揺する。俺は必死で背中にしがみつく。狂乱した化け物は前方の岩目掛けて突進を始める。
ドゴッという音とともに岩に体当りした衝撃で、俺は背中から振り落とされた。地面に投げ出され受け身をとって起き上がる。一旦飛び離れ、化け物の様子を窺った。
化け物はふらふらしている。チャンスだ、俺は走り寄ると魔力を制御する。竜爪鉈がオレンジ色に輝いた瞬間、全力で振り下ろす。先程とは反対側に大きな裂傷が生じ血が噴き出した。しばらくの間もがき苦しんでから化け物は静かになる。―――仕留めたのか?
死んでいた。俺はその場に座り込んだ。精神的にも肉体的にもぎりぎり一杯だった。ボーッと巨大槍トカゲの死骸を眺めながら、ギルドで読んだ特異体についての情報を思い出していた。
依頼票には体長が五メートルと書かれていたが、こいつは六メートルある。成長したのか。別の個体なのか分からん。
俺がボーッとしている間に、化け物から魔粒子が放出され始めた。今までに感じた事のない大量の魔粒子だ。俺は死骸に近付き魔粒子を吸収する。全身が活性化され、身体の中に炎が生じたかのような熱を感じる。
「ふう……凄い。ゴブリンなんかとは比べ物にならないな」
槍トカゲはポーン級中位の魔物だが、特異体は一級上のルーク級中位に相当するだろう。
俺は剥ぎ取りを始めた。皮を剥ぎ取るだけで二時間掛かった。腹の肉を取り出し、魔晶管を剥ぎ取る。一升瓶サイズの魔晶管だ。
期待通り魔晶玉が含まれている。黒いゴルフボールほどの魔晶玉、その中には大量の魔粒子が結晶構造となっている。最後に巨大な槍舌を剥ぎ取る。こいつの皮を鞣してパチンコの素材とする予定だ。これらの素材が幾らになるのか考えると楽しみだ。
剥ぎ取ったものを荷車に積み街に向かう。途中で双剣鹿の死骸が在ったのを思い出すが引き返さなかった。街に戻るとギルドに行き、裏に回って大物専用の買取受付に行く。
そこは倉庫に隣接した受付で、小さなカウンターで暇そうなギルド職員のオッちゃんが居眠りをしている。
「ロイドさん、起きてくれよ」
オッちゃんが眼を擦りながら起きた。仏頂面で俺を見る。
「何だ、ミコト。ここは大物専用だぞ」
受付で世話になっているので顔見知りだ。
「大物を仕留めたんだよ。査定してくれ」
「双剣鹿クラスだったら、ここじゃないんだぞ」
ロイドが受付から出て荷車に積んである肉と皮を確かめる。
「おおっ! こいつは……ちょっと待ってろ」
驚きの声を上げたロイドは、受付の奥に消えた。しばらくしてセリアさんと一緒に戻って来る。
「槍トカゲの特異体を仕留めたというのは本当なの?」
俺は巨大槍トカゲの皮を指さす。セリアさんは慌てた様子で荷車に積まれているものを検証した。
「確かに特異体のものだわ。何処で仕留めたの?」
俺は場所を教えた。それを聞いてセリアは納得したように頷く。
「これは別の特異体ね」
「えっ! どういう事?」
ゴブリン退治で一緒だったパーティー『金剛戦士』が目撃された特異体を仕留めたそうだ。
「それじゃあ、報酬の金貨一〇枚は無しですか?」
「いえ、それは大丈夫よ」
俺は首を傾げた。どうしてだ? 依頼の魔晶管は『金剛戦士』が手に入れたんじゃないのか。
「『金剛戦士』は魔晶管の入手に失敗したのよ」
セリアの話に拠ると『金剛戦士』は罠を使って特異体を仕留めたようだ。巨大な穴を掘り、底に先の尖った丸太を並べ、巨大槍トカゲを追い込む。そうやって特異体を仕留めたのだが、穴に落ちた時に魔晶管までも破損。しかも魔晶玉も傷つけたそうだ。
「運が悪いな。穴を掘るのは相当大変だっただろうに」
「ええ、今は隣の酒場でやけ酒を呑んでるわ」
「近づかない方が良さそうだ」
セリアはもう一度荷車の巨大な肉塊を確かめた。通常の槍トカゲなら掌に乗るほどの肉しか取れないが、これは荷車からはみ出るほどデカイ。『金剛戦士』も巨大な肉塊を持ち帰ったのだが、それ以上に大きかった。
俺とセリアが話している間、ロイドは特異体から剥ぎ取った皮を丹念に調べていた。
「こんな大物をどうやって仕留めたの。一人で仕留めたんでしょ」
「そいつは秘密だ」
俺が格好を付けて言う。
「こいつは、斧か鉈のような刃物で仕留められているな」
唐突にロイドが声を上げる。
「げっ!」
あっさり見抜かれた俺は馬鹿面を晒す。
ベテランのギルド職員であるロイドは、切り口から得物を特定し断言する。セリアが俺が背負っている鉈に目を向けた。
「その鉈を見せてくれる」
俺は肩を竦め仏頂面で、竜爪鉈をセリアに渡す。セリアはきっちりと調べ正解を言葉にする。
「ワイバーンの爪を使用した竜爪鉈ね。これなら大物でも仕留められる……ちょっと、そんな顔しない。竜爪鉈については秘密にするから」
「頼むよ。唯一の切り札なんだから」
「そうね。新人がこんな凄い武器を持ってると知られると、狙われるわね」
俺はロイドへ視線を向けた。
「もちろん、私も秘密にするぞ。ギルドとしては大いに助かったからな」
「依頼主に失敗しましたと連絡するのは、気が重かったのよ。感謝するわ」
二人に査定してもらう事になった。但し、槍舌と皮の頭部分は、自分用に取って置いた。査定の結果、俺は大金を手にする。
合計で金貨二七枚と銀貨二枚、その内訳は、魔晶管・金貨一〇枚、魔晶玉・金貨十五枚、肉・銀貨二枚、皮・金貨二枚。
この国の一人前の職人は月に金貨一枚ほど稼ぐという。文化レベル・生活水準も違う日本と比べるのは難しいが、仮に金貨一枚を二〇万円だと仮定すると、金貨二七枚は五四〇万円に相当する。中学を卒業したばかりの少年にとって物凄い大金だ。
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