第12話 せめて仲間と共に

 とある民家の戸口では、うら若い女性の折り目正しい出迎えを受けて、玲士朗が複雑な表情を浮かべたまま立ち尽くしていた。


「ようこそ、おいでいただきました。私、フィリネと申します。剣臣様の身の回りのお世話をさせていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます」


 澄み透った声音による慇懃な口上が終わり、深々と下げられていた頭がゆっくりとあるべき位置に戻っていく。上目遣いでおどおどと玲士朗を見る眼差しは、慣れない言葉遣いへの自信のなさと、剣臣の人物像を探る微かな警戒心があった。


 女性は、ともすれば玲士朗達と年端の変わらない少女のあどけなさを残していた。大きな翡翠色の瞳や長い睫毛、薄い唇がそつなく納まっていて、美少女といって差し支えない。しかし、三角巾から覗く乾いた蜂蜜色の髪、血色の良くない肌、痩せぎすの体つきが美貌よりも目に付いた。儚い、というより、まさしく触れただけで折れてしまう危うさを印象づける。


 こんな若い女性が住む家に投宿するなんて……玲士朗は気まずさに苦笑するしかなかった。思春期真っ只中の高校生男子であることを考慮して、もう少し配慮があって然るべきではないかと胸中で愚痴った。それでなくとも、女性は満足に食事や睡眠もとれていないように見受けられて、気が引けた。


 フィリネと名乗った女性の背後から、幼い少年が顔を覗かせる。玲士朗をじっと見つめるその力強い眼差しは、静かに燃え上がる疑念と闘志に満ちていた。闖入者ちんにゅうしゃに対する明確な非難と牽制が見て取れた玲士朗は、さらに腰が引けてしまう。


「こちらは息子のクシェルです」


 母譲りの美しく、柔らかな髪を優しく撫でられても、クシェルの敵意は脇目も振らずに玲士朗へ注がれている。むしろ母の愛情を享ければ享けるほど、何よりも大切なその温もりを護ろうと、頑なに、玲士朗に他する敵意の強度と純度を増しているように感じた。


 クシェルはフィリネを自らに引き寄せるように、彼女の足元にしがみつき続けていた。


「クシェル、ちゃんとご挨拶なさい。剣臣様に失礼でしょう」


 母の静かな叱責にもクシェルは翻意の気配すら見せない。玲士朗は慌てて取り成しに入った。


「いや、いいんです。見ず知らずの奴が突然やってきたんですから、むしろ当然の反応というか……」


 か弱い母を護ろうとする息子の心理は、不器用だが単純で真っ直ぐだ。同性だからこそ、敵意を向けられているからこそはっきりと感じられる。


 生まれて初めて愛した女性を守りたいと願う初々しく清廉な意志は、こんな幼い少年にすら既に宿るものかと玲士朗は驚いていた。その力強さたるや澄み切った抜き身の刀の如く、自分より身体の大きな相手すら威圧しながらも、その芯には清々しさがある。


 玲士朗は片膝をついて、クシェルと目線を合わせる。それは、小さい身体に確かに根付く愛と勇気への敬意でもあった。


「――えーと……クシェル、ごめん。俺達、まだ自分の家に帰れなくて。一日だけ、君のお家に泊めてくれないかな」


 玲士朗の言葉を黙殺し、尚も口を閉ざすクシェル。「申し訳ありません」とフィリネは慌てて頭を垂れる。


「まだ子どもで、分別を弁えていないものですから」


「いえ、そんなことないですよ」


 か弱く、消え入りそうな印象の母親と、その母親を懸命に守ろうとする息子。そんな母子に、玲士朗は一瞬、既視感を覚えた。脳裏を掠めた記憶は、玲士朗にとってあまり思い出したくないものだった。俄に目覚めかけた不吉な情景を再度眠らせるように静かに瞳を閉じる。


「剣臣、様?」


 おずおずとした声に玲士朗が目を開けると、フィリネの不安気な表情が見えた。これ以上心労をかけさせまいと、玲士朗は大きく息を吐いてから、努めて笑顔を見せた。


「そういえば、挨拶がまだでした。鴇玲士朗といいます。今日は急に泊めてもらうことになってしまってすみません」


「め、滅相もない。こちらこそ粗末なあばら家で申し訳ありません。剣臣様にご逗留いただくなど、身に余る光栄です。先にお見えになられたヨースケ様は既にお休みになられましたが、レイジロー様はいかがしますか?」


「れ、玲士朗……様」


 分不相応な敬称に、玲士朗は肩身の狭さを感じた。その様子を見て、フィリネは自分が不躾ぶしつけな対応をしてしまったと勘違いして、身を竦める。


「も、申し訳ございません。私ったら何か粗相を……」


「いえ、そうじゃないんです。その……名前に“様”をつけて呼ばれるのは慣れていなくて。むしろ、玲士郎と呼び捨てにしてもらえると気楽なんですが」


 思いがけない玲士朗の提案に、フィリネはきょとんと目を丸くした。それから見る見るうちに狼狽していく。


「お、お、畏れ多いことです! 剣臣様を呼び捨てにするなど。どうかご勘弁ください」


 クシェルの眼には、玲士朗がフィリネを虐めているように見えているらしく、非難の眼差しがさらに険しくなる。玲士朗は慌てて弁解した。


「す、すみません。困らせたい訳じゃないんです。うーん……そうだ! じゃあせめて、“さん”付けにしてもらえたりしませんか? “玲士朗さん”、どうでしょう?」


 必死の説得に、フィリネはしばらく思案顔で黙していたが、やがてボソリと玲士朗の反応を窺うように呟く。


「……れ、レイジロー、さん」


 なんとか提案が受け入れられて、玲士朗はほっと胸を撫で下ろす。


「ありがとうございます。お世話になる身でいろいろと勝手言ってしまってすみませんが、よろしくお願いします」


「い、いえ。こちらこそ不束者ふつつかものですが」


 玲士朗とフィリネは互いに頭を下げ合っていた。二人が身体を起こすと、何気なく視線が交錯する。フィリネは少し緊張が解けたのか、自然に穏やかな微笑を浮かべた。


 ここにきて初めて見たフィリネの笑顔に、玲士朗も口元を緩めた。まだ出会って間もないが、少しは自分が人畜無害な人間であると分かってもらえた気がした。もっとも、クシェルの警戒心は未だ衰え知らずだったが。二人の信頼を勝ち取るには、さらなる誠意と時間が必要だろう。


 安心したせいか、玲士朗は強烈な睡魔と思考の鈍化を俄かに感じた。肉体的にも精神的にも疲労がピークに達していたのだ。


「あの、早速で悪いんですが、俺も休ませてもらってもいいですか?」


「勿論です。寝具はそちらの部屋にご用意しております。その……ベッドが一つしかございませんので、ヨースケさんとレイジローさんに使っていただこうかと思ったのですが……」


「どうせ鷹介が『玲士郎と一緒のベッドなんて御免だ』とか言ったんでしょう」


 本心でもあるだろうが、それはどちらかというと建前で、おそらく家主のベッドを奪うのは忍びないと思ったのだろう。玲士朗もまったく同感だった。フィリネやクシェルにこそ寝心地の良いベッドや温かな寝具は割り当てられるべきだ。


 用意された寝所のドアを開けながら、玲士朗はフィリネとクシェルを振り返る。


「じゃあ、お休みなさい。フィリネさんもクシェルも、早く休んでくださいね」


「あ、ありがとうございます。剣臣様、良い夢を」


 まだまだ緊張が抜け切らないながらも、フィリネは穏やかで上品な笑顔を見せる。その美しさを感じるほどに、やつれた見た目が痛々しい。村自体は極度に困窮しているといった印象を受けないが、この家庭の事情だろうか。自分達が居座ることでさらに心労と負担を掛けさせているのではないかと申し訳ない気持ちになる。後ろ髪をひかれながら、玲士朗は後ろ手にドアを閉めた。


 部屋には二組の寝床が設えられていた。普段は倉庫として使用しているのか、壁際には折畳み式のテーブルや農具が立てかけてある。


 寝床の一方では鷹介が我が物顔で身を投げ出して眠っていた。異世界だろうとリネン越しの干し草の上であろうと、普段と変わらぬ様子で眠れるというのはもはや特技だ。呆れながらも感心して、玲士朗はもう一方のリネンのシーツに横たわる。


 ゆったりと沈み込む干し草の即興ベッドは、思っていたより寝心地は良い。目を閉じれば、フワフワとした全身の感触も相まって、緊張と不安で張り詰めていた意識が弛緩していく。


 目覚めたとき、そこに広がるのはどちらの世界だろう。出来れば見慣れた世界であってほしいが、何にせよ、友人達と一緒であれば何とかなる。そう楽観しながら、玲士朗の意識は深い眠りに落ちていった。





 こうして、望まぬ異世界転移に遭遇した高校生達は、見知らぬ世界でそれぞれの夜更けを迎えていた。


 誰もが不安と心細さに苛まれていた。それでも、気心の知れた仲間達がいてくれることが、お互いにとってのささやかな救いでもあった。


“みんながいれば、何とかなる”


 彼らが正気を保ち、決して悲観的にならなかったのは、その一念が大きい。認識を共有する他者を失ってしまえば、彼らは自閉的になり、理解を超える異世界の存在を拒絶していただろう。言わば、彼らは運命共同体であり、お互いがお互いにとっての立脚点だった。


 そして、異世界での新たな出逢いが、彼らの認識の場を拡げ、彼らの日常では決してあり得なかった新奇な物語の幕開けを目の当たりにさせる。


 この物語の先に何が待ち受けているのか、彼らは知る由もない。もありなん、それを知るためにこそ、人は物語を紡ぐのだ。例え苦難が降りかかり、悲劇が待ち受けていようとも、感じる心の在り様を、生きる喜びとともに噛みしめる。

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