第14話 梢の苦悩

「あ、男子達発見」


 通りがかりの詩音が玲士朗達に気づいて声を掛けた。すぐ後方から涼風とエーリッヒも続く。


「一人足りないけどな。そっちは……一人どころじゃないな」


 玲二朗が怪訝そうに呟くと、涼風が肩を竦めた。


「美兎はちょっと別行動。梢はまだ塞ぎ込んでるみたい。柚希は昨日夜遅くまでメーネと話し込んでたらしくて、まだ寝てる」


「メーネとうまく話せたんだな」


 玲士朗と詩音は安堵の笑みを見せ合った。


「きっとね。気持ちよさそうな寝顔だったから、起こすのは気が引けちゃった」


「メーネの方はどうだった?」


「お風呂に行っちゃってて、まだ会えてないのよ」


「ふ、風呂?」


「そ。あ、変な想像するんじゃないわよ?」


 するか、と玲二朗はぼやいた。


「とすると……残るは悟志の安否確認だけだね。どこかで見かけてない?」


 颯磨の問いに、涼風が事も無げに答える。


「悟志なら美兎と一緒よ? 二人とも、湖の写真が撮りたいらしくて」


 玲士郎、颯磨、鷹介は顔を見合わせ、神妙に頷き合う。


「「「そっとしておいてやろう」」」


 男子三人の阿吽の呼吸を目の当たりにして、詩音は眉を顰めた。


「うわっ……何なの気色悪い。っていうか、こんな朝っぱらからアンタ達は何してるの?」


「鷹介の恩返しを手伝ってるんだ」


 颯磨の意味深な回答に、詩音は怪訝な眼差しを向ける。


「鷹介の恩返しって……覗いたら正体がバレちゃうっていうあの話と同じやつ?」


「まさしく。俺の善良で義理堅い真の姿を見られたからには早々に退散するとしよう。じゃあな」


 唐突に薪割りを途中で切り上げ、鷹介はその場を後にしようとする。


「ちょ……どこ行くのよ」


「だから言ってるだろ。お前らの所為で恩返しは知り切れ蜻蛉とんぼだ。罪悪感に打ちひしがれて立ち尽くすがいい」


 涼風が小さく溜息を吐いて、心底面倒くさいといった態度を隠すことなく、冷たく言い放つ。


「冗談いいから」


「ちっ……ノリの悪い奴め。俄に身に付いた剣臣の力とやらを試してたところなんだよ。お前達は村の散策か?」


「うん、エーリッヒが案内してくれてる」


 涼風が視線を転じると、エーリッヒは恐縮して体を硬直させた。


「こ、光栄です! こうして剣臣様とお話しできるなんて」


「別にこの人達は大した人間じゃないから、そう畏まらずに」


 棘のある颯磨の謙遜を詩音が聞き咎めた。


「まぁそうなんだけど……なんか腹立つ言い方ね。それじゃ颯磨が掃き溜めに鶴みたいな印象じゃない」


「え、そう聞こえた? ごめん、言葉足らずだった。詩音って意外に卑屈だよね」


「ウザッ! 何で憐れみの視線向けてくるのコイツ!」


 興奮する詩音を玲士朗が宥める。


「まぁまぁ落ち着け詩音。しかし、鶴の恩返しから掃き溜めに鶴……次はどんな鶴が出て来るやら」


 涼風が頭を抱えて嘆いた。


「ふざけてないで、早く話を進めてほしい」


 若き剣臣達の賑やかなじゃれ合いを意外そうに眺めていたエーリッヒに、鷹介が声をかける。


「いつもこんな感じだから、まぁ慣れてくれ。それで詩音、散策の収穫はあったか?」


 水を向けられ、詩音は興奮冷めやらぬといった口調で話し出す。


「あったあった! 村の長老っぽいお爺さんから耳寄りな情報を入手したわ。私達の前にも、異世界人がこの村にやってきたらしくて――」


「あー悪い、その話はもう知ってる」


 鷹介に容赦なく気勢を挫かれ、詩音は面白くなさそうにいじけた声を出す。


「そうなの? ならチャットで知らせなさいよ」


「昨日の今日でもう忘れたのか? ここはテルマテルだぞ。スマホは使い物にならん」


「あぅ……そうだったわね、ごめん」


「お兄ちゃん待ってよぅ」


 どこからか幼い少女のか弱い声が聞こえてくる。玲士朗達が声のする方向に視線を転じると、六、七歳程度と思われる男の子が布袋を担いでこちらに走り込んできていた。その後方から女の子が距離を離されながらも必死に追いかけている。女の子は途中で力尽きて立ち止まり、荒い息遣いのまま、今にも泣きだしそうな涙目で、遠くなっていく男の子の背中を見つめていた。


「ネフェ」


 涼風に名を呼ばれた男の子は立ち止まって振り返り、しぶしぶ駆け足で戻ってくる。


「何だよ、スズカ」


 村の少年――ネフェは、太々しい態度で涼風に臨む。涼風は女の子を慰めながらネフェと視線の高さを合わせ、穏やかに諭した。


「ソフィーが泣いてる。一緒に連れて行ってあげて」


「えー、ヤダよ。スズカも見ただろ? ソフィーって滅茶苦茶足遅いんだよ? 早く兄ちゃん達を追いかけないといけないのに、待ってられないよ」


「そんなこと言わずに。ソフィーだってネフェ達についていこうと精一杯頑張ってる。ね、私からのお願い」


 ネフェはしばらく駄々をこねたが、涼風の優し気だが断固した態度に根負けして、不承不承の体でソフィーの手を取る。


「ほら、行くぞ」


 ぶっきら棒な言い草だったものの、兄の手は妹の手をしっかりと掴んでいた。その温かさと心強さに、ソフィーは笑顔を取り戻す。


「ネフェ兄ちゃん、ありがとう」


 涼風も穏やかな笑顔を浮かべ、幼い兄妹を愛おしそうに眺めていた。


「じゃ、二人とも気を付けて」


「パンを焼いてもらいに行くだけだよ。スズカ達の分もあるから、家で待っててくれ。じゃあな」


「スズカお姉ちゃんも、ありがとう」


 ネフェとソフィーは連れだって湖の方へ向かう。二人の姿を見送りながら、颯磨が涼風に尋ねた。


「知ってる子?」


「うん。私達が泊めてもらった家の子達なんだ」


「ああ、確か五人兄弟の」


「そう。ソフィーが末っ子で、ネフェがすぐ上のお兄ちゃん。歳が近いこともあって二人いつも一緒なんだけど、ああやってソフィーは置いてけぼりにされることが多いらしくて」


 涼風の一連の行動に、詩音はいたく感心していた。


「私の出番かと思いきや、まさか涼風が仲を取り持つなんてビックリ」


「そんなに驚かないでよ……私だってソフィーの気持ち、ちょっと分かるから」


 それまでの屈託ない笑顔とは微妙な変質を遂げた微笑を詩音は見せる。いや、そうせざるを得なかった。涼風が一瞬だけ見せた後悔の翳は、彼女達だけの秘密だった。


「さ、早く戻りましょう。そろそろ柚希も起こさないといけないし」


「出た出た涼風の鶴の一声! アンタなら言ってくれると思ってた」


 だから詩音は殊更に陽気な声を上げる。その配慮に感謝しながら、懲りずに三羽目の鶴をしっかり登場させる詩音に、涼風は苦笑した。


「オチに使わないで欲しいんだけど」




 玲士朗達の賑々しいやり取りを、少し離れた家屋の窓から恨めしそうに見つめる視線があった。


 それは、ベッド脇の椅子の上で両膝を抱え込んで座る梢のものだった。表情は暗澹としていて、普段なら生真面目な性格を表すように整然と整えられているハーフアップの髪も、今はしどけない姿で垂れ落ちている。


「……浮かれちゃって、馬鹿みたい」


 恨み節が口を衝いて出てしまう。しかしそれは見当外れの言い掛かりだと梢自身も良く分かっていた。自分を気に掛けてくれている幼馴染達に対して、謂れのない非難を向けてしまう自分の醜さに、梢は一層自己嫌悪に陥って顔を埋めた。


「私って……最低」


 自分の殻に閉じこもるように、梢はさらに身体を縮こませてしまう。


「……早く、家に帰らないといけないのに」


 不安と焦燥が梢の心を掻き乱し続けていた。しかし、為す術もなく、ただ座して不平不満を口にすることしかできない自分にさらに嫌気が差し、気持ちは塞ぎ込んでいく一方だった。


「コズエさん、お加減はいかかですか?」


 ドア越しに、家主であるレニの控え目な声が響く。


 梢は顔を上げ、億劫そうに椅子から降りて、緩慢な動作でドアを開けた。梢のやつれ切った姿を目の当たりにして、レニは憂いの色を深くした。


「……昨日はきちんと挨拶ができなくて、ごめんなさい」


「そんな……いいんですよ。怖い目に遭ったんですもの。気になさらないで」


 レニの優しさが、自己嫌悪の無間地獄に陥った梢をさらに卑屈にさせる。自嘲的な笑みを浮かべ、吐き捨てるように梢は呟く。


「期待外れ、ですよね。剣臣とかいう伝説の存在が、こんな臆病な小娘だなんて」


「臆病だなんて……」


「いいんです。私、戦いたくないんです。こんな見ず知らずの世界で死ぬなんてまっぴらだから。皆さんの期待に沿えなくて心苦しいけど、私には生きて元の世界に戻らないといけない理由があるんです。だから、誰に何を言われようと、命を懸けてこの世界のために戦うなんて……嫌」


 鬱屈とした感情を少しでも吐き出して楽になりたい。梢はその一心で捲し立てた。


 昨夜からゴブリンの恐怖に怯え、元の世界に戻れるか分からない不安に心乱され、梢の精神は限界だった。責務の放棄を非難され、臆病者だと嘲笑を浴び、不甲斐ない剣臣だと悲嘆を向けられても構わない。むしろ、まだ高校生である自分に、世界の命運とやらを押し付ける世界こそどうかしてるし、無責任だ、非常識だ。


 梢の心の悲痛な叫びは、彼女が初めてこのテルマテルという異世界と正面から対峙した瞬間だったかもしれない。自らの宿命を直視し、それでも尚、拒絶することが彼女の意志だった。例えそれがテルマテルやその住人達の期待や思惑に反するものであったとしても、彼女は一人の人間として意思を表明したのだ。


 怒り、悲しみ、不安……様々な感情が綯い交ぜとなった心境をぶちまけたことで、梢は徐々に冷静さを取り戻していった。見ず知らずの異世界人に、こんなにも優しく接してくれていたレニにも、遂に愛想を尽かされるかもしれない。覚悟はしていたものの、彼女の全身は拒絶される恐怖に慄いていた。


 梢の剣幕に驚きを隠せなかったレニであったが、身体を震わせ、今にも泣き出しそうな表情を悟らせまいと俯く梢の姿を見て取ると、まるで娘に接するかのような慈愛に満ちた微笑を浮かべる。


「私は……それでも構いません。コズエさんが元気で、笑顔でいてくれるのなら、それが一番ですから」


 思いがけない優しい響きを持った言葉に、梢は耳を疑った。


 梢は思わずレニを見て、目を夢のように大きく見開いて硬直していた。自らに向けられるだろうと覚悟していた失望や侮蔑の眼差しは一切ない。そして、レニから発せられた言葉は気休めでも、慰めでもなく、レニの心の底からの願いに聞こえた。


 拍子抜けしたからだろうか、梢の身体が食事を欲するささやかな音が小さく響く。梢が気恥ずかしさに再度視線を逸らすと、レニは穏やかな笑みを残して踵を返す。


「昨夜から何も口にされてないですもの、お腹が空いて当然です。すぐにご用意しますね」


 梢は遠ざかっていくレニの後ろ姿を見つめながら、不思議な感覚に戸惑っていた。てっきり見放されるかと思い込んでいただけに、気が抜けて足元がふらつく。ベッドに身体を投げ出して、緊張を吐き出すように深呼吸をすると、最前までの息が詰まるような閉塞感が嘘のように霧消していた。


 誰かに受け入れられるというのは、こんなにも嬉しいことだったのかと、梢は思わず小さな笑みを漏らした。彼女がテルマテルに来て笑ったのも、これが初めてのことだった。


 梢はベッドからゆっくりと起き上がり、食事の用意がされた小さなテーブルの席に着いた。木製の食器に盛り付けられたスープと平型の黒いパンを見て、独りごちた。


「パンは、こっちも同じなのね」


 合掌して食前の挨拶を終えてから、パンを一口齧る。思った以上に固く、パサパサとした触感に梢は苦笑した。


「――やっぱり嘘。全然美味しくない」

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