再びの告白
長い嗚咽が木霊し、やがてその声も消えていく。
その瞬間、再び室内には静寂が広がり、時計の刻む音と小さな風が入り込む音のみが響いた。
「……いい歳こいて、男が泣くとか……恥ずかしい」
「くくっ……何言うとんじゃ。妾にとっては、お前さんもまだまだ子供じゃよ」
片手で顔を覆い、赤くなった顔を誤魔化すように呻くユリスを、愉快そうに笑うミュゼ。
ミュゼは黒いゴシックな服に少し光る液体を、嫌がる様子もなく拭っていく。
「師匠があんな事言うからだ……俺、ここまで頑張って耐えてきたのに」
「溜め込んでばかりじゃと、いつかは決壊する。そんな事も分からんのか、我が弟子は」
「男が泣く時は一人で泣くって相場が決まってんの! 女の子の前で泣くとか、羞恥以外の何物でもねぇよ!」
「それはまた随分な傲慢じゃのぉ……男も女も、所詮は一人の人間じゃ────そこに差別を持ってくるとは……まぁ、お前さんらしいと言えばお前さんらしいか……」
ミュゼは拭い終わると、そのまま顔を覆うユリスの頭を撫でる。
一瞬、ユリスの腕がぴくりと動いたが、結局されるままその手を受け入れた。
「くそぅ……いつもは俺が撫でる側なのに……」
「かかっ! たまには逆も味わってみぃ、される側の気持ちも分かるもんじゃ!」
撫でられるという行為に慣れていないユリス。
ユリスの人生の中で、頭を撫でられるという行為は、幼少期にマリアンヌ────母親にされた事ぐらいで、それ以外は専ら頭を撫でる側だった。
それでも、こうしてぶつくさ言う割には、されるがまま撫でられている。きっと、そこまで悪いものではなかったのだろう。
「体格的には俺が撫でる構図の方が自然なんだけどなぁ……」
「歴が違うわ、歴が。見た目だけで判断する奴はいずれ死ぬぞ?」
「それは、見た目で判断したら師匠が殺すって事?」
「妾も繊細な乙女じゃからのぉ……」
中々に物騒な事を口走るミュゼ。
それを聞いて、今後は見た目で揶揄する事はやめようと決意したユリスですあった。
「…………」
「…………」
撫でられるまま、互いに会話が止まる。
もう一度、室内に静寂が走る。
しかし、それも不思議と気まづさは存在せず、この沈黙こそ心地よいものであった。
(やっぱり、師匠の側にいると落ち着くわ……)
それは四年間という時間を共に過ごしてきたからか?
自分を指導してくれた人だからか?
それとも、ミュゼ本人にそういった温かい包容力があるからか?
……その答えは、今のユリスには出せない。
どれのお陰で、どの理由で、この心地よい沈黙が生まれたのかは、深く探っても見当たらなかった。
だけど────
「これも全部師匠だから……か」
「ん? 何か言ったか、我が弟子」
「何でもないよ、我が師……」
口から出てしまいそうだった言葉を飲み込むユリス。
だが────
「いや、やっぱりなんでもあるわ……師匠」
ユリスは撫でるミュゼの手を払い除け、そのまま真っ直ぐミュゼを見据えた。
深血のような双眸に、己の顔が映る。その瞳を向ける少女は、その顔に笑みを浮かべていた。
「なんじゃ、改まって……?」
「先延ばしにしてた応えを、今出したい」
あれから、一ヶ月以上の月日が経ってしまった。
魔族の襲撃事件後に、ミュゼに言われた言葉。一方的に答えをもらい、その答えに対し、ユリスはまだ応える事ができていない。
あの時は、ユリスはまだ気持ちが動いていなかった。
セシリアという存在に好かれる事を第一に考え、それ以外は問題外に置いてしまっていたのだ。
……だが、それもここまでだ。
全ての答えは出し終わり、後は先延ばしにしていた答えに応えるだけ。
「……そうか」
ミュゼは小さく息を吐く。
柔らかい表情を向けるものの、胸の鼓動は少しだけ早い。
数百年生きてきた中で、久方ぶりに感じる緊張感であった。
ユリスがどう応えるかによって、今後の関係が変わるかもしれない。
それに対し、頭では理解しているはずのミュゼの体が反応してしまった。
(それもそれで一興ではあるんじゃが……まぁ、ちぃと怖いと言ってしまえば怖いのぉ……)
関係が変わるのも一種の変化だ。
時が経てば自然と変わっていく。山や、建物が、地形が、風景が時代によって変わっていくように、人との関係も時が経てば変わっていくもの。
だが、それは目の前にいる少年との関係を終わらせるものではない事を願う。
ミュゼが一番怖いのは、どんな言葉を並べてもそこに行き着くのだから。
だけど────
「やっぱり、師匠に隣にいて欲しいよ」
「……は?」
その怖さは、ユリスの言葉によって掻き消された。
「いや、ここに来る前からそう言おうかなって思ってたんだけどさ……こうして泣いただろ、俺? 結構情けない姿を見せたと思うんだよ」
ユリスは頬をかいて恥ずかしそうに顔を逸らす。
どこか、言葉の並びと繋ぎ方が変に感じるが、それでもユリスはちゃんと言葉を口にする。
「セシリアやアナは「俺が守ってやらなきゃ」って思えるような人間なんだ。それでいて、俺の心は救われる。だけど……やっぱり、いつかは限界が来るんだろうなって、さっき思ったよ」
ユリスは先程のミュゼの言葉を思い出す。
その通りだ。あの時は見栄を張ってしまったが、きっといつかは我慢せず吐き出さないと限界を迎えてしまうのだろう、と。
事実、泣いた後のユリスの中はスッキリしていた。
当然、羞恥も襲ってきたのだが、それ以上に溜まっていた何かが綺麗さっぱりなくなっていたような気がするのだ。
そして、その心洗ってくれたのは────
「そうしてくれるのは師匠だけだよ。セシリアは一緒にいると明るくなれる、真っ直ぐでいられる。アナがいると俺を支えてくれる、頼りになる。だけど、やっぱり気軽に吐き出す事はできないと思うんだ。抵抗があるから……だけど、師匠だけは違う。俺がどんなに醜くても、情けなくても、ちゃんと俺を見捨てず吐き出さしてくれる……だから、さ」
ユリスは、もう一度真っ直ぐにミュゼを見つめた。
「俺は、師匠が欲しい。三番目になっちまったけど────師匠の全部が、俺は欲しい」
一番目じゃない。
答えを聞いていたからこそ、ユリスは素直に告げる。
強欲に、目の前にいる少女の存在が────自分の隣にいて欲しいと願いながら。
「くかかっ……!」
その言葉を聞いて、ミュゼは思わず笑いが込み上げてきてしまった。
嘲笑ではない。単に、それは嬉しさから込み上げてきたものだった。
「あぁ……そうじゃのぉ……。こんな気持ちになったのは生まれてから何回目じゃろうか……?」
死ぬ事を目的として生きていた自分が、これほどまでの幸福感に包まれた事が何回あった?
ユリスと出会った時? ユリスの存在が側にいた時? ユリスと再会した時?
そのどれもが、目の前の少年から与えられたものだ。
両手か片手か……それぐらいしか味わった事がなかった自分が、再びこんな幸福感に包まれるなど、想像していなかったミュゼ。
先程までは「怖い」と思っていたのに、今は────
「なぁ、お前さん……」
「何、ししょ────んぐっ!?」
ミュゼは、ユリスの顔を掴んで己の口元に合わせた。
歯が当たり、綺麗に柔らかい感触が伝わったわけではなかったが、それでも満ち足りた満足感と幸せに包まれる。
「先程の問いに対する答えは────これで十分じゃろ?」
ミュゼは、三番目を選んだ。
その選択肢に、後悔する事はないだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
発売まであと1ヶ月を切りました!
後は皆様に新しいお知らせを出せるようになれば……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます