久方の師匠

「…………」


 一人の空間に、筆を走らせる音だけが響く。

 飾りっけのない白い壁、床には赤の絨毯が敷き詰められており、中央に客人を招く時のソファーとテーブル。そして、小さな作業机が一つ。これがこの空間に少しばかり賑やかさを与えているものだった。


「…………」


 そんな部屋で、一人の少女が黙々と筆を走らせていた。

 黒いゴスロリのような服、薄桃色の髪をサイドテールに纏めあげ、少し背の高い椅子に腰をかける。

 あまりにも小柄故か、初見の人間では子供のように思われてしまうかもしれない。


 だがしかし、彼女は特徴ある小さな牙と尖った耳がある通り、人間ではない。

 見た目通りの年齢────その考えは、捨てなければならないだろう。


「…………」


 少女は、筆を置くと傍らに置いてあった紙を一枚手に取り、目を通す。

 その後すぐ様筆を走らせ、再び紙に目を通す。

 話し相手も誰もいない部屋で、少女はとても忙しない。


 窓から吹く風でカーテンが揺れる。

 そして────


「普通はドアから入るものじゃ、お前さんの両親はそれを教えてくれんかったのかの?」


「親には教えられたけど……生憎、俺の尊敬する師匠には教えてもらわなかったな」


 突如、室内に少女が声を投げかける話し相手が現れた。

 その声の主は先程まで何もなかった窓枠に腰をかけ、切り揃えられた白髪を靡かせている。


「相変わらず、お前さんは減らず口が多いのぉ」


「まぁなー。誰かの教育のおかげかもしれん」


 ユリスは窓枠から腰を上げ、室内へと入っていった。

 ミュゼも筆を置き、ユリスに向かって顔を上げる。


「久しぶり、師匠」


「言うて、二ヶ月ぐらいだったじゃろ? 昔の方がもっと時間が経っておったよ」


「ぐすん……師匠冷たい。久しぶりの対面なのに師匠が冷たすぎて涙が出そうだ」


 そういって泣き真似をするユリスを見て、ミュゼは嘆息する。

 そんなユリスを目の前のソファーに座るように指をさして促すと、ユリスはそのまま腰を下ろした。


「お前さんも、色々あったようじゃの……」


 そして、ミュゼはユリスの横に腰を下ろす。


「まぁ、な……本当に色々あったよ」


 急にしんみりとなってしまった空気。

 ミュゼの耳にはもちろん、ミラー領で起こった事は耳に入っている。

 弟子が苦労していた時に何もできなかった部分を歯痒いと感じてしまう。


「そんな事より師匠! あいつらって元気にしてた!? 何か変わった事とかなかった!?」


 そんな空気に耐えかねたのか、ユリスが急に明るく振る舞い話題を変える。


「俺さ、学園なんて面倒臭いと思ってたけど、しばらく離れると意外に寂しく感じるもんなんだなーって思ったわ。ここに来た時嬉しくて涙でそうだったよ!」


 ユリスはミュゼの顔を見ずに、明るく努めた。

 たわいもない話の声が室内に響くが、その言葉はどこか空っぽのように感じる。


「これからは座学とか真面目に受けそう。なんか、ここに来て猛烈に────」


「もうえぇよ、お前さん」


 だからなのか、ミュゼはそんなユリスの言葉を遮る。

 その表情はどこか慈しむように、優しげなものであった。


「ど、どうした師匠……? まさか、俺のやる気を疑ってんの?」


 そんなミュゼの表情を見て、ユリスが戸惑う。

 努めて明るく振舞っていたはずなのに、今では不安が入り交じっている。

 だけど、ミュゼはユリスの事など気にせず、ゆっくりとユリスの左手────手袋が嵌められている部分に手を伸ばした。

 そして、手袋をそのまま外す。


「……以前より黒くなっておるの」


「……一種のファッションだから?」


「バカたれ、妾の好みから外れておるわ」


 師匠の好み関係なくない? そんな疑問が浮かんだが、それを口にする事はなかった。

 黒い痣に覆われた手のひらはどの部分からも元の肌の色は見えない。

 ミュゼは、そんな左手を強く握った。


「やっぱりの。お前さん────もう痛覚がないじゃろ?」


「ッ!?」


 ミュゼの言葉に、ユリスは言葉に詰まった。


「妾が本気で握っても痛がる素振りがない。見よ、少し左手が潰れかけておるじゃろ?」


「待って、俺の左手に何してくれてんの」


「ちゃんと治してやるわい。落ち着け我が弟子」


 ミュゼは小さく詠唱すると、両手から小さな光を生み出した。

 少し潰れていた左手が元の形に戻っていく────ミュゼとて、簡単な治癒魔法ぐらいはそつなくこなせる。


「無理に誤魔化そうとしなくてもいいんじゃよ……」


「は? 俺は別に誤魔化してなんて────」


「そういうのは、あの聖女の娘とお前さんの友人の前だけでえぇ……師匠の前ぐらいは、素直になってもよかろう?」


 ミュゼは隣に座るユリスの頭を撫でる。

 初めこそ嫌がる素振りを見せたユリスだったが、やがてされるがまま撫でられた。


「こんなになるまで誰かを助けるのはお前さんの美点じゃ、胸を張ってもえぇ……救われた妾だからこそ言ってやる」


「…………」


「じゃが、たまには休んだらどうじゃ? どうせ気を張り続けたんじゃろ? あの聖女と公爵の娘に不安を与えないように、ずっと涙を見せんかったんじゃろ?」


 ミラー領で起こった事件は、今や国の関係者では知らぬ人間はいない。

 三大厄災一人と、多くの邪教徒を相手にした。

 いくらユリスが強かろうと、ミラー公爵が亡くなり、アナスタシアまでもが一度は死んだ事実が存在する。


 ミラー領で起こった事の全てを、ユリスが解決したのだ。

 それ以降も、ミラー領を存続する為に動き回り、気を休める機会もなかっただろう。

 セシリアや、アナスタシアに不安を与えないように、笑っていられるように。


 だからこそ、ユリスの心は疲れ切っているだろう。

 そう、ミュゼは思った。


「ここには誰もおらんぞ? 昔みたいに、妾とお前さんだけ────お前さんの情けない姿は見慣れとる……見栄を張る必要もないぞ?」


 そして、ミュゼはユリスの頭を抱き、再び優しく撫で始めた。


「勝手に決めつけてくれるなぁ……」


 ユリスは、ミュゼの温もりに触れ、そんな言葉を漏らす。

 その言葉は、どこか震えていた。


「お前さんが抵抗しない時点で、答えは出とるじゃろ? その強がりも、今では無駄じゃ」


「ははっ……師匠は相変わらず手厳しいこって……」


 そして────


「……ちょっとだけ、胸を貸してくれ」


「……いいじゃろう。好きなだけ使え」


 ユリスの小さな嗚咽が、室内に響き渡った。


「……よぉ頑張ったの、我が弟子」


 その言葉は、嗚咽によって掻き消される。




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 ※作者のコメント


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