愛してるの物語
鋭利な細剣は深々と突き刺さり、切っ先が背中から見えている。
純白のドレスが徐々に血で染まり、紅蓮のような赤髪と同じ色に染まり始めた。
「アナっ!?」
その光景に、ユリスは驚愕の瞳を作った。
ただ、信じられないと現状を呑み込むには少し時間がかかった。
「がふっ……」
赤色の血の塊が『アナスタシア』の口から溢れ出る。
「よ、ようやく見つけたボクの愛が……依り代に邪魔されるとは……誰一人としてボクを殺せなかったはずなのに……」
ゆっくりと細剣を引き抜き、ふらつく足で壁に寄りかかる。
「は、ははっ……滑稽じゃないか。同じ目的を抱いた者同士に邪魔されるなど……くふっ、魔女らしい最後じゃないか……」
『アナスタシア』は重くなり始めた瞼を薄らと持ち上げ、掠れゆく視界の中、駆け寄るユリスを見て薄く微笑んだ。
「君が、羨ましいよ……こんな、にも……愛されて、嫉妬……してしまうじゃないか……」
その時、『アナスタシア』の心は言葉とは違い、少しだけスッキリとしていた。
あそこまで抵抗され、自分が望んでも手に入らない愛が存在するのだと、その事実を知った。
それが尊く、崇高で、手を伸ばしたくなる愛だと、思ってしまった。
(このような愛が存在すると、死ぬ前に知る事になるとは……ふふっ、なんともままならないものだね……)
「アナっ!!!」
ユリスが『アナスタシア』の元に駆け寄り、ふらついているアナスタシアを抱えた。
そしてゆっくりと地面へと寝かし、その顔を覗き込む。
────少年の愛が目の前にある。
手を伸ばせば、最後の一瞬くらいは自分にも分け与えてもらえるかもしれない。
だけど────
「君に、は……悪い事をした、ね……。最後の、逢瀬だ……ボクか、らの……手向けとし、て受け取って、くれたまえ……」
────この最後は、自分ではない。
自分はまだ、愛をもらえる土台に立っていないのだと、気付かされた。
それは目の前に映る少年を見て。
それは最後の最後で自分の愛を主張した少女を見て。
……もし。
違う場所で、違う時で、違う姿で────ユリスと出会っていれば、どんな未来があっただろうか?
どんな結末を、迎えただろうか?
(ははっ……ボクらしくない考えだ……)
『アナスタシア』は重たい瞼を一生懸命に持ち上げる。
冷え始めた体を温めようと力を込める。
ここで目を閉じてしまっては、少女への手向けが渡せなくなってしまう。
自分の意識を落とすまでの時間、目を開けていなければ。
「ぁ……少年……」
「…………」
だけど、少しだけ。
最後に、伝えておきたい事を伝えてから────
「あ、ぃ……して、ぃる……よ……」
自分は大人しく消えるのだ。
────厄愛の魔女は、第二の幕を下ろした。
♦♦♦
「あぁ……ちくしょう……」
ユリスはその一言を聞いて歯噛みする。
今の一言が誰の立場で、誰の言葉で発せられたのかは理解している。
それが敵対していた相手で、先程まで拳を向けていた相手であった。
なのに────
(…………救いたかった、なんて思わせるんじゃねぇよ)
それは「愛している」と言われたからか、それまでの行動があったからかは分からない。
だけど、そう思ってしまった。
救いたいと、思ってしまったのだ。
「ユリ、ス……」
だけど、その考えはすぐに遮られる。
自分の名前を呼ぶ、聞き慣れた口調の少女の声によって。
「アナっ!」
「う、るさい……わね……叫ばない、でちょう……だい……」
弱りきってしまっているのか、言葉が途切れ途切れになっている。
腕から伝わるアナスタシアの体温が、徐々に冷たくなっている事実に、涙が出そうになってしまう。
「待ってろ! 今すぐにセシリアの元に連れて────」
ユリスは抱え、すぐ様セシリアの元に赴こうとする。
だけど────
「や、めて……」
アナスタシアの震える手が、ユリスの襟元を掴んで制した。
「はぁっ!? 連れて行かなきゃマズいだろうが!!! 一刻も早くセシリアに治してもらわねぇと……っ!」
「ばか、ね……あなたな、ら……薄々、分かって、いるんでしょ……う?」
諭すように、それでもその気持ちが少し嬉しいと、アナスタシアは薄く微笑んだ。
「最後の、時ぐらい……二人っきり……にさせな、さいよ……ばか……」
自分の体だ。
自分がどういう状況なのか、自分が一番理解している。
胸から溢れる血は先程から止まらず、気を緩めれば意識が飛びそうで、もはや痛みや抱きしめられている感触すら感じない。
それがどういう意味をしているのか、嫌でも分かる。
「……分かったよ」
震える声で、ユリスはゆっくりと再びアナスタシアを床に下ろした。
ユリスも、本当は理解しているのだ。いくら聖女の力が常軌を逸していようとも、死に逝く人間までは救えないのだと。
(死ぬ、事ぐらい……理解してるわよ、ばかっ……)
────その事に、恐怖はない。
元より覚悟していたのだから。
ユリスを傷つけないように細剣を握ったあの時から。
だけど、最後の最後には……伝えたい事は伝えたい。
だから、アナスタシアは気力を振り絞って口を開いた。
「は、なしている……余裕、ないから……黙って、聞いて……欲しいの……」
ユリスの顔を見上げながら、アナスタシアは言葉を紡ぐ。
その言葉を聞いているユリスは口を引き締め、溢れ出る涙を堪えようと必死になっていた。
「信じ、る事ができなくて、ごめん……なさい……。先に逝っ、ちゃて……ごめん、なさい……。守ってあげら、れなくて……ごめん、なさい……。あの時、みたいに……抱き、しめてあげ、られなくて……ごめん、なさい……。支えて、あげられなく、て……ごめん、なさい……。素直、になれなくて……ごめん、なさい……」
始めに出てきた言葉は謝罪であった。
これからの事、これまでの事。溜め込んできた謝罪の言葉を、ただ並べただけ。
それだけで、本当に余裕がないのだと理解できてしまう。
「仲良く、してく……れて、ありがとう……。私の為、に怒って、くれて……あり、がとう……。抱きしめてくれ、て……ありがとう……。助けに、来てくれて……ありがとう……。一緒に、笑って、くれて……ありがとう……。楽しさ、を教えてくれて……ありがとう……。優しさを、向けてくれて……ありがとう……」
次に出てきたのは感謝の言葉であった。
アナスタシアの脳裏に浮かぶのは今まで過ごしてきたユリスとの時間。
あの日、子供の頃に出会ったあの時から、アナスタシアは抱いていた感謝を述べる。
たどたどしくも、弱々しくも、それでも感謝の言葉を伝えたい。
────これが最後になるのだから、と。
そう分かっていても、込み上げてくるのは悲しさであった。
温もりを感じられないからこその、悲しみであった。
「いっぱい、いっぱい……ありがとう……っ!」
紡げば紡ぐほど、アナスタシアの悲しみは込み上げてくる。
それは涙として、冷たいと感じない水滴が頬を伝う。
「お、俺……も……っ!」
そして、それはアナスタシアだけではなかった。
ユリスも、冷たくなっていくアナスタシアの体を抱きながら、その頬に涙を流した。
「アナには感謝してる! あの時、アナが俺を支えてくれなかったら! 今の俺はなかった!!! 笑って今日までを生きてなかった! 守れる力なんて手にしてなかった! 振るってなかった! この拳を握る事もなかった! ……なんでだよ、ちくしょうっ! どうして先に逝くんだよ!!! 俺を守ってくれるって……子供の時に約束したじゃねぇか!!!」
それは叫びと共に。
溢れ出る感情は、涙を名いっぱい零しながら吐き出してしまった。
子供の頃に自分を抱きしめて、頭を撫でながら約束を交わしたアナスタシアの温かさはもう感じない。
守ると、約束を交わしたアナスタシアは、約束を破ろうとしている。
「だか、ら……謝ったじゃない……」
ユリス頬に伝う涙を、アナスタシアの冷たい手が拭った。
「だい、じょうぶ……私、がいなくても……あなたは、もう……だいじょうぶ……だから……」
そして、幼なじみの少女は最後に笑みを浮かべた。
「愛、している……わ。誰よりも、愛おしくて……側に、いたかった……大好きな、ユリス……」
アナスタシアの手が地面に落ちる。
冷たい体に温かさを感じる部分はなく、頬に涙を、顔に笑みを残して、ゆっくりと瞼を下ろした。
────愛している。
この言葉を紡ぐだけの物語が、今幕を下ろした。
♦♦♦
「あ、あぁ……っ!!!」
物語が終わっても、登場人物は舞台へ残る。
舞台から降りた役者の背中を見送ってもなお、登場人物はその舞台から降りようとしない。
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
ユリスの叫びが、室内に響き渡った。
反応を示さない少女の体を抱きしめながら、ぶつけようのない感情を叫びとしてぶつけた。
大切な人がいなくなったという現実を受け止められないばかりに。
分かっている。
これは己の怠慢によって失った命なのだと。
自分が無理矢理にでも側にいれば。
自分にもっと力があれば。
自分がアナスタシアの気持ちを知っていれば。
「こんな事にはならなかったんだよクソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
自分に対する怒りが、引き起こした邪教徒に対する怒りが、魔女に対する怒りが。
ユリスの体を歪め始める。
黒く痣が残った腕が肥大化し、赤い双眸が黒く変色し始める。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
親しい者が死に。
大切な人が死に。
悲しみと怒りが、憤怒を仰ぎ始める。
だけど────
「まだ、終わっていませんよユリス」
叫びが木霊する室内に、一人の少女の声が響いた。
「泣く気持ちも、悲しむ気持ちも、怒る気持ちも、痛いほどに分かります……ですが、諦めるのには、まだ早いです」
ユリスが振り返る。
ドアの入口。そこには、修道服を着た少女が立っていた。
「ミカエラお姉ちゃんは聖女の力を武に変え、ミーシャお姉ちゃんは聖女の力を己の肉体に押し込みました」
ゆっくりと、セシリアが近づく。
「私には、お姉ちゃん達みたいな凄い事はできません。真似事の延長線……聖女としては、未熟です────けど、私だって人を助ける事はできます。例え、聖女でなくなったとしても」
そして、アナスタシアの亡骸と、ユリスを見下ろして、聖女である少女は口を開いた。
「始めましょう。奇跡とはほど遠い奇跡を、私が起こしてみせます」
────物語の幕は、まだ下りていない。
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