幸せの時間は不幸な物語の幕開け

 そして、三週間後。


 ユリスとセシリアはミラー領までの道のりを、歩くのではなく浮遊していた。

 傲慢スペルディアの魔術による上空移動、遮蔽物も障害物もないこの経路はアンダーブルク領から凄まじい速さでミラー領までの距離を詰めていく。


「それにしても、皆さんに感謝しないといけませんね」


「まぁ、そうだな……正直、一部の領民には非難されるかと思ってた」


 実家に戻ったユリスとセシリアは、真っ先にマルサとマリアンヌに結婚の話をした。

 何の相談もなしに聖女との結婚の話をしたのだ————もしかしたら、貴族として『格』が足りない身で何を言い出すのだ……などと言われても仕方ないと、ユリスは思っていたのだが、蓋を開けてみれば祝福の賛辞。


 口々に「ようやくよあなた!」「あぁ、息子のヘタレっぷりには頭を悩ませたものだが……ついにやったぞ!」と喜びつつユリスを貶していた。


 その態度に青筋を浮かべたユリスだが、二人が喜んでくれたことに安堵した。

 それはセシリアも同じなのか、「ありがとうございますっ! ユリスは私が幸せにします!」と、なんとも頼もしい事を言っていたのを、今でも覚えている。


 だが、問題は家族だけの話ではない。

 聖女は崇高な立場で、人々からは崇め尊敬されている存在。


 そんな女神の信仰に最も近い存在であるセシリアが、一貴族と結婚する————それは、信仰対象を人の身に堕とすという行為とも捉えられてしまう。

 それが懸念でもあったユリス————だが、これも同じく蓋を開けてみれば呆気ないものだった。


「ふふっ、あんなにお祝いの品……私、食べきれる気がしません! でも、嬉しいです!」


 ユリスの腕の中で、嬉しそうに笑顔を浮かばせながら喜ぶセシリア。


「……そうだな」


 その表情を見て、実家にある品物を思い返すユリス。

 セシリアとの婚約を領民にすぐに知らせた。それは、遅かれ早かれ気づいてしまうため、早めに知らせて反感と後ろめたいものがない清い関係で婚約したと、領民にアピールするものだった。


 聖女であるセシリアと領主の息子であるユリスが婚約したと言う話はたちまち領内に広がり、知らぬ者がいなくなるほど。

 そして、罵詈雑言を覚悟していたユリスだが……知らせた翌日から館に押し寄せたのはデモではなく、祝福の言葉が綴られた手紙と祝いの品。


 大量の言葉に、その時のユリスは開いた口が塞がらなかったものだ。


「ユリスは本当に領民に愛されていますね!」


「本当に、大好きな領民だよ……だからこそ、守りたくなるんだ」


 そして、今後の身の振り方の話。

 後、与えられる爵位という褒章。

 ユリスは、アンダーブルク家現当主であるマルサにこう言った。


『俺、やっぱり……この領地を継いでもいいか?』


 それは、褒章を断ると言う選択。

 王族からの褒章を断るのは、貴族として最低の行いだ。


 何せ、王族から与えられる名誉と義務を自ら放棄し、王族の名誉に傷をつけるという行為に等しいものなのだから。


 当然、英雄と称えられたユリスでも、これは各所から非難されてしまうだろう。

 もちろん、同時に『聖女と釣り合わない存在』としても後ろ指を刺され、不満に思う貴族が後を絶たなくなるだろう。


 だが————


『俺は、ここが好きだから……父上の跡を継ぎたい』


 その想いは、今回の送られてきた祝福によってより一層深まった。

 そんな領民を支えたい、この地を離れたくない。かといって、セシリアと結婚したい————そんな強欲に塗れた解答。


 貴族としては未熟以前に愚行。

 だが、それをマルサとマリアンヌは認めてくれた……、と。


 故に、ユリスは想いを固める。

 アンダーブルクを継ぎ、名誉や地位を捨てて愛する者を手に入れ支えていくのだと。


 そして————


「後は、教会に申請しに行くだけか?」


「教皇様にはお手紙でお伝えしてあるので、色々な事はやってくれると思います!」


「そりゃあ、楽ちんでなにより……祝福してるといいんだが……」


「ふふっ、大丈夫です! きっと、教皇様も祝福してくれますっ!」


 きっと、この結婚は世界中に広まる事だろう。

 世界に三人しかいない聖女が結婚する……それがどれほどの影響を及ぼすのか……想像するのは難しくもない。


 だがその前に————


「まずはアナに報告しないとな」


「そうですね! 報告は大事です!」


 相談に乗ってくれた、幼馴染への報告が先だろう。

 それに、


(水晶が砕かれた事はなかった……襲撃してきた連中も、流石に公爵家のお膝元で動くのは無理があったみたいだな)


 だが、それでも連中が何者だったのかが判明していない。

 それが懸念材料として、ユリスの脳裏の隅に引っ掛かった。


 それでも、腕の中で微笑むセシリアを見て引っ掛かりを振り払う。

 何せ、



 ————そして、ユリスとセシリアはミラー領へと到着した。


 上空を滑降したユリス達は詰め所を潜る事なく、ミラー領で最も高いであろう建物の上の座標を移動させ着地する。


「……ユリス」


「あぁ……


 ミラー領に入ったセシリアとユリスは違和感とは言えない異常な空気を感じてしまった。

 ユリスが降り立ったのはかつてミラベルとセシリアと一緒に回った市場の中心、

 なのに————


「人が一人もいねぇ……」


 ミラー領では一番の賑わいを見せるこの市場。

 いつであっても、出店が多く並んでおり、往来を歩く人は掻き分けなければ歩けないほど。


 だが、今は


 建物の中にいるわけでもない。

 それなのに、人の気配が全くない……それが、二人の背筋を凍らせる。


(嫌な予感しかしない……ッ!)


 ユリスはすぐさま傲慢スペルディアでその場を移動する。

 目指すのは、何度も訪れたミラー公爵家の屋敷。この現状を理解する為に、ここを納める者に話を聞きに行こうと考えたのだ。


 そして、ユリスは二回の座標移動でミラー公爵家の屋敷近くまで辿り着いた。

 だが————


「んなっ!?」


「こ、これは……っ!?」


 ユリスとセシリアはその光景に目を見開く。


 視界が捉えたのは、屋敷の門の前に集まる異常な数の人だかり。

 門が閉ざされている為、中には入れない様子だが……皆が皆、隔てる壁があるにも関わらず、わらわらと突き進もうと誰を踏もうが関係なく足を進めていた。


『愛……していま……』


『私の愛……を、どうか……』


『受け取って……お願い、だからぁ……』


 子供、老人、世帯を持つ夫婦、老若男女問わず……皆同じような言葉を口々に。

 目は虚ろで、誰を気づ付けようが構わず、その先へと向かおうとしている。


「こ、こんなの……おかしいですっ!」


 セシリアが抱いた悲痛な想いを叫ぶ。

 気持ちは分かる……この光景は、明らかに異常だ。

 誰がどう見ても————何か取り返しのつかない事態が起こっているのだと理解できる。


「くそっ!」


 ユリスはセシリアを抱え、屋敷の門を超えて敷地に侵入する。

 セシリアは集まる人だかりの言葉に恐怖を覚えてしまったのか、目を閉じて両手で耳を塞いでしまった。


 だが、それでもユリスは屋敷の中へと入っていく。

 外の喧騒とは打って変わり、屋敷の中は静かの一言。


 それが余計にでもユリスの嫌な予感を駆り立てる。


 少し前までは平和だった筈なのに。

 少しだけ違和感を覚えただけの平和な場所だった筈なのに————三週間経った今、何が起こった?


 唇を噛みしめる。

 自らの行動は間違っていたのかもしれないと、後悔の念が押し寄せ始めながら。


 そして、ユリスは客間の扉を開いた。



「やぁ、随分と遅かったじゃないか……待ちわびたよ、



 そんな言葉が静寂の中に響く。

 客間の中には、そとの人だかりと同じような目をした髪の長さが違う茶髪の少女二人に、セシリアとは正反対な黒い修道服を身に纏った妙齢な女性が一人。


 更に、小さな笑みを浮かべた純白のドレスを着た————赤髪の少女。


 その人は、ユリスが永年共に過ごしてきた幼馴染と同じ外見をしていた。

 だが、開かれた言葉の口調や纏う雰囲気がまるで違う。


 身をよだつような気配。立っているだけで呑み込まれそうな雰囲気。

 純白のドレスが纏う雰囲気に呑まれ、不気味に思えて仕方なかった。


「……誰だよ、お前」


「ふむ……それは彼女にも同じ言葉を言われた気がするね。だが、君になら答えてもいいと思っているよ」


 そして、赤髪の花嫁は口元を釣り上げてユリスに向かって言い放った。




「ボクは厄愛の魔女、アナスタシア・ミラーだ。ようこそ、愛が渦巻くボクの箱庭へ」



 ユリスの幸せな時間は消え去り



 不幸の物語りが、幕を上げる。

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