ユリスは発つ
アナスタシアとの話を終えたユリスは薄緑い色をしたカーペットが続く長い廊下を歩いていた。
通り過ぎるメイドや使用人に軽く会釈をするものの、何処か心あらずといった険しい表情を浮かべている。
(どうしてアナはあんな顔をしたんだ……?)
脳裏に浮かぶのは、アナスタシアの最後に浮かべた悲しそうな笑み。
頼りたくないのだと、ユリスを突き放した時の彼女の言葉。それがユリスを悩ませるに至っている。
頼る、頼らない。
ミュゼやセシリア同様、ユリスにとってアナスタシアは深い関係であると思っている。
爵位が雲泥というほど離れてはいるが、幼少期の頃から自分の側にいてくれて、姉のように支えてくれた少女。
過ごした時間だけでいえば、ミュゼやセシリア以上にアナスタシアが一番長い付き合いだ。
アナスタシアが自分にしてくれた事を今でも忘れてはいない。
周囲の貴族から馬鹿にされ、一番最初に泣いた自分を支えてくれたのはアナスタシアで、一番頼りない自分に励ましの言葉を投げてくれたのもアナスタシアである。
ミュゼは、弱い自分に立ち向かう方法をくれた。
セシリアは、自分の強さと弱さに寄り添ってくれた。
ではアナスタシアは? そう聞かれれば、自分の弱さを支えてくれた存在と答えるだろう。
そんなアナスタシアに頼られる事は悪い気がしない。
恩返しも含め、アナスタシアの為であれば自分は文句など言うはずもない。
逆も然り。アナスタシアも、自分に頼る事も頼られる事も悪い気などしない────そう思っていた。
だけど────
(なんだよ……ちくしょう……)
行き場のない苛立ちがユリスの中に募る。
別に、何もないのであればそれでいいじゃないか────そう思っていても、どうにもアナスタシアにそう言われた事が不快だった。
それに、不安もある。
アナスタシアを襲った犯人が未だに見つからないという点だ。
ユリスが傲慢スペルディアで逃げたとはいえ、簡単に諦めるような輩なのかが分からない。
もしかしたら、この屋敷に襲撃してくるかもしれない。
そうなれば、果たしてこの屋敷にいる警護だけで守りきれるのか? 自分がいなければ守れないのではないか? そんな傲慢な考えが過ぎる。
「鼠でも残しておくか……?」
ユリスの強欲の魔獣────その権能は、自分自身増やす為の『増殖』だ。
それなら離れていてもアナスタシアの側で守り続ける事ができ、何か起これば直ぐに駆けつける事もできる。
「いいや、ダメだ……そしたら、俺はアナを信じてない事になる」
ユリスは浮かんだ考えを首を振ることで消した。
アナスタシアが自分で大丈夫だと口にした。水晶という信号も手渡してなおここで自分がアナスタシアの側にいてしまえば、アナスタシアの言葉を全て信じない事になってしまう。
セシリアとは違い、アナスタシアは戦える。
自分の力を磨き、ミュゼほどではないが己を守る為に力をつけてきた────ここでユリスが信じなければ、アナスタシアの自信と力を疑ってしまう事になる。
それは、アナスタシアのこれまでの努力を馬鹿にする行為だ。
だけど、アナスタシアの身に何か起こって欲しくはない。
そんな葛藤がユリスの中を支配する。
そして────
「……いや、アナを信じよう」
下した結論は信じる事。
何か起こったら水晶を砕いてくれるはずだ。そうすれば自分が駆けつければいい。
そうやって、己の中に渦巻く苛立ちと葛藤にケリをつけた。
ユリスが廊下を歩き、アナスタシアの部屋の前までやって来ると、数回のノックをした後に部屋の扉を開ける。
「聖女様? だ、大丈夫ですか……?」
「あら……これはユリスくんの所為かしら……?」
「あ、あぅ……」
目に映ったのはセシリアの顔を覗き焦るロイドと、呑気に見守るマリア、そして顔を茹でダコのように真っ赤にさせ目を回すセシリアの姿だった。
未だに戻ってこれてないのかと、ユリスは軽い苦笑を浮かべる。
「あの……セシリアと話はできたんですかロイドさん?」
「この光景を見てそう思うかい?」
「……できてないっすよねぇ」
貴族として聖女であるセシリアと話したい事はあったのだろう。
だが、セシリアがあの調子では話する事もできなかった。その事に、少しばかりの罪悪感を覚えてしまったユリスであった。
「すいません……多分、セシリアがこうなったのも俺の所為っす。なんで、また今度にしてもらっていいですか?」
「具体的に、どうしてこうなったのかを聞きたいね」
「……黙秘を」
流石に、キスをしてしまったなどと言えないユリス。
いくら実力を身につけようとも、心はまだ少年のままなのだから。
「とりあえず、俺達はこれで帰ります。父上にも話しておかなきゃいけない事もありますしね」
「随分急だな。もう一日二日は滞在しても大丈夫なのだが……」
急に切り出したユリスに顔を顰めるロイド。
だが、ユリスはアナスタシアの顔を思い出し首を横に振った。
「いえ……今回はこれで帰ります。アナに何かあれば直ぐに呼びつけるようには言っておきましたし……これが、今の俺にできる事です」
「そうか……分かった。きっと、それはアナとユリスくんで話した結果みたいだからね」
ロイドはアナスタシアとユリスが何か話したのだろうと察し、納得する。
そう言いつつも、実の所はユリスには残って欲しかった。
魔族を退けた実力はアナスタシアを危険に晒す因子と対峙するにあたっては貴重な戦力だ。アナスタシアの身を第一に考えるのであれば、無理矢理にでも滞在してもらうのがいいだろう。
だが、ロイドは良くも悪くもユリスとアナスタシアを信じている。
互いに話し合った結果、その答えに至ったのであれば尊重したい。それが愚策であったとしても信じてあげたいという思いがある。
「そうよね、ちゃんとご両親に話して来るといいわ。だって、今のユリスくんは英雄だもの」
「そんな大層なものではないですよマリアさん。俺はただ……自分の大罪に素直になっただけです」
褒賞の話、舞踏祭での話、身の置き方の話。
今のユリスには話し合わなければならない事が山ほどある。
「三週間後、またアナを迎えに来ますから、そん時はゆっくり泊まらせてもらいますよ」
「ははっ! では、豪華な食事でも用意しておこう! それとも、この街でおすすめの娼館でも紹介した方がいいかね?」
「いや、マジでそれはいいっす。俺、きっぱりやめました」
「変わったなぁユリスくんも……昔はマルサと一緒にこっそり足を運んでいたというのに」
「ソ、ソンナコヨナイデスヨ……?」
嘘をつくな。
「馬車を用意しよう。直ぐにここを発つのだろう?」
「そうですけど、馬車は大丈夫です。この距離なら、セシリアを抱えて移動した方が早い」
そして、ユリスはセシリアの元に近づくと、そのままセシリアお姫様抱っこで担いだ。
「ひゃぁっ!? ユ、ユリス!?」
「はいはい、俺ですよセシリアさん」
今更ユリスの存在に気づき驚くセシリアに、ユリスは無視してそのまま部屋の外へと向かった。
「……アナの事、よろしく頼んます」
「分かっている。それは、父親としても貴族としても、君に言われなくとも承知しているさ」
「だからユリスくん、ゆっくり里帰りしてらっしゃい」
「……ありがとうございます」
二人は暖かい目で部屋を出るユリスの背中を見送る。
そんな視線を感じながらも、ユリスはゆっくりと扉を閉めた。
────ここで、物語はお終い。
アナスタシアとユリスが再会し、次の幕を開けるのは……三週間後である。
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