聖女の言葉
「────ふぇっ!?」
セシリアの顔が真っ赤に染まる。
突拍子もないアナスタシアの発言。別に何の脈絡もない言葉ではあるが、特段おかしい言葉ではない。
それでも、セシリアの顔が真っ赤に染ってしまったのは、セシリアがそういった方面で無垢だという証なのかもしれない。
「ど、どうして急に……そ、その……愛が知りたい、と?」
「あ、いえ……別に深い理由なんてないの。ただ、純粋に疑問に思っただけ」
アナスタシアも、セシリアがまさかここまでな反応をするとは思わなかった。
強く聞く訳にもいかなっくなってしまったアナスタシアは、その疑問の言葉が沈んでいく。
「あなただったら分かると思ったの……ほら、セシリアはユリスの事が好きじゃない?」
「……………」
アナスタシアの何気ない言葉。それが再びセシリアの思考を固まらせる。
そして────
「ど、どどどどどどどどどうしてそれを知っているのですかアナスタシアさん!?」
「近い、近いわよセシリア」
セシリアが驚きアナスタシアに物凄い形相で詰め寄った。
「わ、私がユリスを……あ、愛しているなんて、どうして分かったんですか!?」
「愛しているまでは言ってないけど……好きだって事ぐらい直ぐに分かるわよ。好きでもない相手の膝の上に座ったり、撫でられただけで幸せそうな顔をする人間が、あれで好きじゃないっていうのなら、どうしたら好きになるのよ?」
あのような行為をしておいて、今更バレていないと思ったのか?
アナスタシアはそれが疑問で仕方なかった。
「そ、そうですよね……」
納得したのか、セシリアはアナスタシアから離れて肩を落としながら近くの椅子へと座った。
鈍感なユリスが近くにおり、誰にも指摘されず初めて分かっていると知らされたセシリアは、急に羞恥心が込み上げてくる。
先程よりも顔が真っ赤である。
「ご、ごめんなさい……その、そこまで恥ずかしがられるなんて思っていなかったわ」
そして顔を覆い始めたセシリアを見て、罪悪感が込み上げてきたアナスタシア。
きっと、触れない方が良かった類の話だったのかもしれない。
「うぅ……! ユリスには気づいて欲しかったのですが、アナスタシアさんに知られているなんて思わなかったです……!」
きっと、気づいているのはアナスタシアだけではないと思う。
「……いえ、逆に知ってもらった方が良かったのかもしれません! ユリスってばいつまで経っても気づいてくれないんですもん! これでアドバイスが貰えます!」
急に立ち直ったセシリア。
やっぱり、喜怒哀楽の激しい女の子だなとアナスタシアは思った。
「ごほんっ! そ、それで……アナスタシアさんはどうして愛を知りたいと思ったのですか?」
咳払いを一つし、セシリアはアナスタシアに向き直る。
「別に、さっきも言ったけど大した理由なんてないのよ。ただ疑問に思っただけだから、そんなに重く考えてもらわなくていいわ」
ただ、頭から離れないあの言葉。
愛という単語の意味────それが知りたかっただけ。
己は、愛というものが分からない。
いや、漠然と思っていた愛が……違うと思い始めたのだ。
認識の齟齬、思い違い、知識不足、一度そうだと感じてしまった以上、気になって仕方がない。
だからアナスタシアはセシリアに尋ねたのだ。
既に想い人がいて、愛がどういうものか知っていそうだったから。
「そうですね……」
セシリアは顎に手を当てて考え込む。
些細な質問にも真剣に考えてくれるセシリアのその性格は、美徳なのかもしれない。
そして、考えが纏まったのかセシリアはアナスタシアに向かって口を開いた。
「私には、その質問に答えることはできないみたいです!」
「……は?」
むふん! と胸を張って「分からない」と答えたセシリアに、変な声が漏れてしまう。
愛を知らない……そんな訳がない。ユリスが好きではなかったのか? 好きな者に対して愛を感じているから愛おしいなどと思うのではないか? そう、疑問に思ってしまうアナスタシア。
だが、そんな疑問を口に出す前にセシリアが口を開いた。
「愛とは、千差万別です。無数の愛が存在し、無数の色を乗せた愛が存在します」
そう話すセシリアの姿に、アナスタシアは見蕩れてしまう。
己を真っ直ぐと見据え、優しく微笑む修道服姿の彼女は、何処か神々しさを感じさせた。
「それが好きな人だから愛が存在する訳ではありません。家族に対しても、友人に対しても、赤の他人にも、嫌っている相手にも、愛は存在します。形も意味合いも全てが違います」
セシリアは胸に手を当て、誰とは言わぬ少年と、ここ最近で知り合った友人達を思い出しながら口にする。
「私が皆さんに抱く愛は慈愛と親愛です。恋するユリスに対しては恋愛と最愛です。私はこう思っていますが、他の人からしてみれば違う愛の形かもしれません────ですが、私はその全ての愛が尊いものだと、そう思っています」
ストレートに愛を口にするセシリア。
その姿からは先程の羞恥心の欠片も存在しない。
今の彼女は、一言で言えば────聖女。
「愛は相手を想っているからこそ抱く感情です。想い合う行為と気持ちに正解も誤ちも善も悪も存在しません────その全てが、人の奥底に眠る淡く煌めいた感情だからです。愛に疑問を思っていても、愛が分からなくても、その事実だけは変わりません」
そして、セシリアは最後に言い終わると、黙るアナスタシアを見てしまい、あたふたしてしまう。
「つ、つまりですね……アナスタシアさんが疑問に思っている問いに対する答えなど存在しないという事です! アナスタシアさんの愛はアナスタシアさんだけしか分からないからです! ですが、どんな答えを出してもその答えは素晴らしいって事です!」
結果として、セシリアに聞いてもアナスタシアの問いに答えは返ってこなかった。
明確な答えなどないとは分かっていたが、愛を知っているセシリアからでも答えを貰えなかった。
だけど────
「ふふっ」
少しだけ、気持ちが温かくなった気がした。
愛とは分かっていなくて、漠然とした気持ちがこべりついているだけだが、それでも悪しき感情ではないと……そう言ってくれた。
それが嬉しくて……アナスタシアの顔に笑みが浮かんでしまった。
「聖女らしい言葉ね……いえ、流石は聖女様って言った方がいいのかしら?」
「それはどちらでも構いません! 私は私が思った事を言っただけですから!」
腰に手を当て、再び胸を張ったセシリア。
その姿は何処となくユリスに似ていた。
「では今度こそ、皆さんを呼んできますね! アナスタシアさんはもう少し休んでてください!」
そう言い残し、セシリアはトテトテと走って部屋を出ていった。
その姿を見送ったアナスタシア。赤い己の髪の切っ先を弄りながら、少しだけ感慨に耽る。
「愛……ね……」
しかし、こべりつく言葉は未だに拭いきれていなかった。
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