第104話 夏休み初戦

 暑く、そして熱い日々が続く。

 調整日のこの日、千葉県大会のベスト16まで進出した白富東では、この後の対戦相手の分析ミーティングが行われる。

 暑さに慣れるために動く練習もあるし、体力を温存することも重要だ。

 やはりと言うべきか、日本で一年目のトニーは参っている。

 アメリカにも日本以上に暑くなる場所はあるのだが、湿度が伴うと不快指数は極端に上がる。

 あとは珠美も胸元に風を入れていて、男子の視線をさまよわせていたりする。


 四回戦を問題なく突破し、いよいよ試合は夏休み中の開催となる。

 応援団もチアもブラバンも、文句なく全員が参加しての応援だ。

「明日と明後日、そして一日調整日があって、そこから準決勝決勝となるわけだが、今のところ驚くほどの番狂わせは起きていないな」

 秦野が示すのはトーナメント表である。

 既に16にまでチームは絞られており、その中には事前にマークしていたチームがほぼ結集している。


 こちらの山には栄泉とトーチバ。

 あちらの山には三里、勇名館、上総総合、東雲、光園学舎、蕨山。

 あちらの方に有力校が集まっているように見えるが、こちらは白富東がいるというだけで無理ゲーとも言える。

 フィクションであれば白富東にばかり有力校が当たるのだろうが、現実はシードがあるのでこんなものである。

「だが、まずは明日の対戦相手だな」

 秦野が見せたのは、明日の対戦相手である浦安西高校のスコアであった。

 初戦は6-5、そして3-2、3-0、5-4と、あまり特徴のない点差と言える。

「ん? このバッテリー」

 だが名前に反応する者がいた。一年のベンチ入りメンバーである佐伯である。

「やっぱりシニアで知られていたやつか?」

 秦野に頷き、シニアメンバーを見回す。

「ほら、大海リトルの青砥と深津じゃないですか?」

 ああ、と小学校からやっている地元のリトルシニア組、特に一二年は頷いた。




 浦安市はかなり東京よりの千葉であり、国内最大の遊園地もあったりする。

 そこのリトル時代の、それなりに有名なバッテリーであったらしい。

「深津はシニアで目にしたけど、青砥は全然聞かなかったな」

「あの!」

 と手を上げたのは、一年のマネージャーである。

「青砥君と同じ中学でした。野球部に入ってましたよ」

「軟式か」

 ふむ、と秦野は考え込む。


 スコアの詳細を見せると、やはりジンや孝司はすぐに気付く。

「一年の青砥、10番だけど実質的にはエースか」

「一回戦は途中から交代してヒット二本、二回戦はCシード、三回戦は普通に勝って、四回戦は途中まで温存ですね」

 倉田も数えていって声に出す。

「30イニング投げて二失点です」

 それもエラーがらみで、自責点は実質一点だけと言える。


 そしてまた佐伯が気付いた。

「監督が青砥って、あの青砥コーチかな?」

「青砥晶? 有名なのか?」

「女の人ですから。確か神宮でも男に混じって投げたことがある人ですよ」

「あ! 思い出した! あの二回途中でノックアウトされた人か!」

 大学野球は高校野球よりもずっと前から、女子選手に門戸を開いている。

 だから選手としては、随分と前から神宮に立った女子はいるのだ。もっとも活躍できたかどうかはお察しである。

「名字が同じだから、親戚か何かかな?」

「シニアでやってなかったってことは、そんな本格的にはやるつもりなかったってことか?」

「それで高校で深津とまたバッテリーか……」


 浦安西については、あまりデータが集まっていない。

「ぶっちゃけこの春にも完全にノーマークだったから、この間の試合の映像ぐらいしかデータがない。あと練習風景も見えなかった。つか野球部用のグラウンドがなくて、公共のグラウンドを申請して使ってるそうだ」

 秦野がマークしないのも当然で、あまりにも勝ち進める要素がないチームだ。

 学校には専用グラウンドはもちろん、外野ノックをするスペースもない。

「狭っ! こんな環境で練習してどうやって強くなんだ!?」

「バッティングケージもないって、どうやって練習すんだ!?」

「このマウンド明らかに手作りだよな!?」

 野球部員は全部で12名。三年が二名で、よくもまあ潰れなかったという具合である。一年が五人なので、春の大会には参加すらしていなかったのだ。


 ジンは白富東を選んだが、それでも専用グラウンドと、最低限の設備や用具を見てから、ここにしようと決めた。

 狭いグラウンド、もしくは週に数度しかグラウンドを使えないチームでも、それなりに強いチームはあるが、最初から環境が整っているのにこしたことはない。

 もっとも白富東も、今の三年が一年だった春の大会で、シードを取れなかったらグラウンドの他の部活との共有の話は進んでいたのだ。

「幸いと言ってはなんだが、一試合分は映像があるから、それを流すぞ」

 そして白富東による、データの少ないチームの分析が始まった。




 練習環境、部員数、監督。

 おおよその背景は想像出来た。

 そして出した結論は「楽勝」である。

「ただ深津だけは少し注意ですかね」

 シニアで対戦したこともある。そもそもシニアはチームが少ないので、弱小と強豪が当たることも珍しくはないのだ。


 浦安西の打点は、スクイズや内野ゴロの間の一点を除くと、半分が深津のバッティングによるものだ。

「シニア時代もへぼいピッチャーをよくリードしてたと思いますよ。頭も良かったはずだから白富東に……あ、学区制か」

「いや……一応うちにも通えるな。ただかなり遠くはなる」

「青砥が誘ったのかな?」

 白富東は公立高校であり、当該学区とその隣接学区からしか入学できない。来年からは体育科に限っては全県から入学が可能となる。

 深津の家がどこにあるのかは知らないが、通学に一時間ほどもかかるなら、それだけの時間を他のことに回したいと思ってもおかしくない。

「てかうち相手に練習試合申し込んできてもおかしくないような」

 白富東は基本的に、公立校相手にはかなり格下でも練習試合を受けたりする。

 ベンチメンバー以外にも、試合の経験は積ませたいからだ。部員数が増えたのは基本的には喜ばしいことのはずなのだが、どうしても設備の利用はベンチメンバーが優先になる。

 だから二軍メンバーに一人か二人ベンチメンバーを連れて、あちらのグラウンドで戦うということはあるのだが、浦安西の場合はそのグラウンドがないわけか。


 一軍二軍三軍というのは、競争を煽る点でもいいはずであった。

 だがやはり70人以上という人数は、スポーツ推薦もない公立校の野球部としては多すぎる。

 秦野だって全ての選手を見ることは出来ず、コーチ陣に基礎的なメニューを作ってもらうしかないのだ。

 それでも白富東の野球部は、練習時間が短い。

 二軍三軍であっても、その後になら施設を使えるのだ。

(弱くても強くても、少なくても多くても、それなりに問題はあるもんだな)

 秦野としてはいい経験になる。


 実はこの県大会の真っ最中でも、既に敗退したチームを相手に、合同練習を行っていたりする。

 ベンチメンバーは大事を取って別メニューだが、こういった日常とは少しだけ違った練習風景の中で、一二年のいい素質を持っている選手は発見している。

(トニーと淳を故障させずに使えたら、今の一年までは確実に甲子園は狙えるだろう)

 その後は、セイバーの方針にもよる。

 外国人傭兵を毎年一人送り込んでくれるなら、それを使ってどうにか出来そうだ。

(今の二年もよほどの強豪と当たらない限りは、甲子園でもベスト8は固いだろ。俺の経歴はこの夏からだから、三年間に五回甲子園に行っておけば、再就職先にも困らないだろうし)

 そういった打算ももちろんある。


 なんにしろ、意図していなかったとはいえ、データが適度に不足した相手との試合になる。

 単純な表のデータだけで比較するなら、それは簡単に勝てるだろう。だが一試合の映像から得られるデータに加え、どれだけ試合中にデータを取れるか。

 応変の対応が、選手にも監督にも問われることになる。




 部員数は12名、監督は女、主力のバッテリーは一年生。

 よくもまあ千葉県のベスト16まで来れたものだと、一般的には思われるかもしれない。

 だが監督の青砥晶も、その甥っ子の青砥光太郎も、相方の深津も、勝利を諦めていない。


 二回戦でシードと当たると分かった時も、一回戦は三年の先輩に先発をしてもらって、少しでも情報を隠そうとした。

 そして白富東と当たる前には、少しでもコータローの体力を温存すべく、ぎりぎりまで三年に投げてもらった。

 おかげでほぼ万全の調子で、この試合に臨むことは出来ている。だが――。

(戦力に差があることは分かってたけど……)

 計算高いキャッチャー深津は、目の前の光景に戦慄を隠せない。


 プロ球団のホームグラウンドであるマリスタが、満員の観客で埋まっている。

「すげ……」

「あ~、神宮を思い出すわ~」

 プレッシャーとは無縁のコータローでさえ少しビビッて見えたのだが、晶はそれほどでもないらしい。

 確かに神宮でも、早慶戦はこれぐらい普通に盛り上がるとかどうとか。

 全日本選手権などの大会経験は、晶は多いのだ。

 スター選手がいたら、よりそれも顕著であろうし。女子選手の珍しさで観客が増えることもあったのだろう。


 ごく普通どころか、弱小と言っていい浦安西高校。

 公立の中では進学校で、東京の空気が濃い。

 そんな中で甲子園を目指すなど、当然ながら夢物語だ。

 白富東も進学校ではあるらしいが、専用グラウンドを持っているし、万年一回戦負けというわけではなかった。

(監督の質なら、うちもけっこう高いんだ)

 野球部が使えるスペースは狭く、曜日によって校外のグラウンドを借りて、フライの捕球練習をするしかない。


 それでも白富東などに勝てるとは全く思っていなかったが、あの試合がその認識を改めさせた。

 全国準優勝とは言え、女子野球チームを相手に、3-0の敗北。

 130kmを投げられる女子というのは信じられないものではあったが、あれを参考にすれば白富東打線も、おおよそは封じられるのでは。


 そう思って分析したが、考えが甘かった。

 コーターローはいいピッチャーだ。それなりの強いチームでも一年からエースを張っておかしくないし、何よりも性格がピッチャー向けだ。

 だが権藤明日美は、ピッチャーではなく野球選手ですらない。

 あれは運動神経抜群のフィジカルモンスターが、野球のルールの中でボール投げをしているだけである。

 コータローに真似は出来ないというか、したら全てのバランスが崩れる。


 それでも参考に出来ることは、ないではなかった。

 コータローの球種は、カーブ、カット、スプリット、チェンジアップ。

 基本的にはゴロを打たせることが戦略で、内野の守備はしっかりと晶が鍛えてある。

 だがいくら相手を分析しても、勝ち筋は見えてこない。

「なんかワクワクしてきたな!」

 最初は威圧されていたコータローが、目に輝きを宿している。


 リトルの頃からずっと明らかだった、コータローのピッチャーとしての資質。

 それは、どれだけ打たれようと折れない、投げ続けるメンタル。

(たとえ負けても、来年には絶対に何かを残す)

 深津は前向きに、後ろ向きなことを考えていた。




 浦安西は諦めていない。それは確かだ。

 もしも最初から諦めているなら、前の試合でも最初から、一年生の青戸をフルイニングで投げさせていただろう。

 ぎりぎりまで三年のピッチャーを引っ張ったのは、白富東を相手に全力投球させるためだ。

「勝利を諦めてないチームってのは、厄介だからなあ」

 呟く秦野がベンチの中から向こうのノックを見る限り、内野はかなり鍛えられている。

 ピッチャーの球種は試合の映像で確認した限りだと、カーブとチェンジアップ、そしてカットボール。

(外野フライの捕球に少し隙があるか? でも典型的なゴロピッチャーだしな)

 球筋を見るために、今日はシーナが二番に入っている。

 パワー任せに打つことのない彼女であるから、上手く球数を引き出して、バッテリーの情報を丸裸にしてくれるはずだ。


 一回の表、白富東の攻撃は、当然ながら今日も先頭のアレク。

 気をつけるのはストレートとカットボールの見極めで、チェンジアップとカーブは、アレクなら待って打てると言われている。

(案外苦戦するかもって言われたけど、ストレートはせいぜい135kmぐらいかな?)

 一年生ならそれで充分エースである。一年時の鬼塚と同じぐらいなのだから。

(難しいのはカットらしいけど、強く振って内野の間を狙えば)


 初球はいきなり、インハイの際どいところに投げてきた。

 このスピードなら避けることは難しくないが、この程度で牽制できると思われたら困る。


(全然腰が引けてない。やっぱ無理か)

 それでも基本に忠実に次はアウトローへ要求する。

 スイング。しかし途中で力が抜けて、ファールにカットした。

(カットボールで内野ゴロを打たせたかったけど)

 いきなり初球から、変化球に対応してくる。


 これが、全国制覇レベル。

 甲子園でも何本もホームランを打っている、高打率の俊足バッター。

(絶対に塁に出したくないけど、凡退させるのも難しい)

 左方向の弱いゴロなら、内野安打にしてしまう足を持っている。

 カットボールも上手くカットされ、フルカウント。

 ここでチェンジアップを使いたいが、相手もそれを待っているような気がする。

(スイングの始動が遅くても、簡単に間に合うんだもんな)

 出し惜しみはしない。この大会は使っていなかったスプリットを。


 アウトローからボールに沈ませたスプリットを、アレクは掠らせる。

 キャッチャーゴロでまずワンナウト。




「最後、スプリットだったと思う」

 アレクの言葉に頷いて、シーナは打席に入る。

 この試合、シーナに二番を任せているのは、相手のピッチャーの情報収集が目的である。

 アレクはなんだかんだ言って感覚で打ってしまうことがあるので、じっくりと分析するのはシーナに任せてあるのだ。

(と言っても反則レベルの打線の中では、あたしはまだ打ち取りやすいバッターに思われてるんだろうなあ)

 初球、アウトローにカーブが決まった。

(やっぱり初球からストライクを入れてくるか)

 アレクと違ってインハイに危ない球を投げてこなかったのも腹が立つ。

 まあ二者連続の危険球は、審判に悪い印象を与えるかもしれないが。


 並行カウントからの三球目は、カットボールをインローへ決めてきた。

 これでツーストライク。ストライク先行の攻め方だ。

(スプリットなしで打ち取れると思われてそうでムカつく)

 他のボールを打ってヒットにしてしまってもいいのだが、一打席目は役割をはたすべし。


 球種と緩急、コースを変えて投げてくるが、シーナはことごとくカットする。

 そのうち二球ほどは、やろうと思えば上手く内野の頭を越える打球に出来ただろう。

(外野も前目に守ってるし)

 二打席目は泣かす。そう決めたシーナである。


 一方バッテリーの方も、余裕などはない。

 この試合に使うために隠してきたスプリットをいきなり使わされた上に、他のボールは簡単にカットされる。

(投げるのを待ってるのは分かってるけど、これ以上球数を増やすわけにはいかない)

 サインを出すのは、空振りを取るための鋭いスプリット。

 これに対してシーナは膝をゆるめてついていくが、彼女の力ではそれだけではヒットの当たりにはならない。

 ショート正面のゴロになって、ツーアウトである。




 打たされてツーアウトなので、白富東としては、少し注意をしている。

 だが浦安西のバッテリーにとっては、あのスプリットは空振りを取るための球なのだ。

 それを全く知らない状態から掠らせて、次の打者には内野ゴロにまで打たれた。

(ヒット性の当たりにはしてないと言っても、次がこの人か……)

 本日三人目の左打者となる大介である。


 白石大介と佐藤直史の名前は、高校野球史に残る伝説である。

 甲子園で場外ホームランを打つバッターなど二度と出ないであろうし、甲子園のパーフェクトは今後もあるかもしれないが、最初に達成したのはあの人なのだ。

(生きた伝説と戦えるわけで、しかもランナーはいない)

 深津は選択する。この場面なら、勝負!

 もしも、ほんの少しでも白富東相手に勝算があるとしたら、あちらに何かの乱れが発生することが前提になる。

 どっしりと構えたられたままでは勝てっこない。だから何か、こちらからしかけていく。

 その選択の中の一つが、白石大介との勝負。

 この打者を打ち取ることが出来たなら、0%の勝率を、1%ぐらいには上げられる。


 初球――。

(遠い。いや――)

 わずかに変化して入ってきたカットボールがストライク。

(勝負してくるのか)

 インコースは当ててくるかどうかのギリギリ。いや、コース的には当たれば普通にデッドボールになってもおかしくはない。

 危険球と言われる可能性もあるだろうに、インローなどを上手く攻めて、意識を内に向けさせる。

 スプリットでツーストライク目を取って、そして勝負球は、ここまで使ってこなかったチェンジアップ。


 普通ならこの球速で、しかも低めに沈んでいくチェンジアップなら、単打まで。

 だが膝から腰へと連動した回転の力で、バットを強くボールに叩きつける。

(しとめ損ねたか!?)

 レフトの頭は軽く越えていくが、スタンドに届くか。


 ポールに当たって線審が腕を回した時、大介は二塁にまで達していた。

(確かにけっこう考えてはいるけど……)

 ピッチャーを攻略する楽しみを覚えながらも、大介は心配もしている。

(最後まで投げられるのか?)

 白富東の打線は、球数を控えて抑えられるものではない。

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