第74話 伝説の続き
ただの部内の紅白戦であるのに、三振を取った直史は思わずガッツポーズをしていた。
(いかん)
落ち着け。
気合だとか気迫だとか、そんなもので倒せる相手ではない。
あくまでも冷静に、緻密に、裏を書いていかなければいけない。
ベンチに戻ると武史が声をかけてきた。
「気合入ってるね」
「力んでコントロールを乱さないかが不安だけどな」
兄の冷静な声を聞きながらも、武史は違和感が拭えない。
「バッピの真剣勝負の時よりも、絶対に全力だよね? いつもはなんだかんだ言って、大介さんの調子を崩さないようにするのに」
武史の目からははっきりと分かっている。普段の直史は手加減をしているわけではないが、大介を全力で抑えようとはしない。
自軍の主砲を完全に抑え、自信喪失させる可能性を考えるからだ。
対する直史は、別に打たれても割り切る。
打たれるように投げて入れば、打たれるのは当たり前だからだ。
だが今日は違う。
「感謝だな」
「感謝?」
直史の言葉に脈絡のなさを感じ、武史は問い返す。
「大介がいないと、白富東はここまで強くならなかったことは分かるよな?」
「まあ、そうだな」
大介に限らず直史もだが、もしも大介がいなかったら。
まず単純に一年の春では勇名館に負けてシードは取れず、セイバーが監督になることもなかっただろう。
夏の予選でどこまで進めたかはともかく、吉村からは点が取れずに敗退はそのままとして、秋もさすがにセンバツに選ばれるまで勝ち進むのに打力が足りなさ過ぎる。
そしてセイバーがいなかったことでアレクも来ず、武史は野球ではなくバスケ部に入り、鬼塚も来ていなかった可能性は高い。
「野球に限らず人間関係も大きく変わってただろうな。イリヤもあの夏の決勝を見てうちの学校に入ったわけだし、俺と瑞希の関係も薄かっただろうし」
「イリヤがいないとうちの双子が暴走してたかもな」
「まあそれもあって俺と、ついでにお前も大介には恩があるわけだ」
「ああ、その恩返しとしてガチンコ勝負ってことか」
「そういうこと」
それに正直、ここで大介が調子を落としたとしても、復調するまで勝ち抜くチーム力があると思う。
そのあたりはあくまでも計算の内である。
観客たちにとっても、この対決は見所が大きかった。
だいたい直史は、試合と練習とで発揮する能力が全く違う。
コントロールがよく球種が多いので、基本的にバッピとして優秀なのだ。
あえてガチで打者を封じるということは少なく、そもそも打者を三振に取っても大袈裟なアクションはしない。
去年の夏の準決勝、大阪光陰戦のパーフェクト達成の瞬間などはさすがに別だが、三振程度では喜ばないのが佐藤直史なのである。
やはり直史にとっても、大介は別格なのだ。
一切の縛りのない、公式戦で対戦したらどうなるかと考えたことはないではない。
だが直史は戦略的に自分のピッチングを考えるので、そもそも大介とまともに勝負しなくてもいい状況を作り出すだろう。
この紅白戦の力と技の対決は、だから公式戦でさえ実現しない勝負なのかもしれない。
「素晴らしいわ……」
完全にトリップした表情で、イリヤは五線譜に音符を書いていく。
直史のピッチングが好きで、大介のホームランが苦手な彼女は、この勝負には壮大なイマジネーションを感じていた。
破壊の衝撃を回避して、あるべきものをあるべきところへ。
直史のピッチングは芸術だ。
そしてもう一人の記録者も、この緊迫感が分かる。
「直史君、本気になってる……」
瑞希としては、ここまで本気になった直史など、公式戦でもほとんど見たことがない。
いや、一人のバッターを相手にここまでこだわるのは、初めて見るかもしれない。
「お兄ちゃん、本気になってる」
「でも今日はこの打席だけだよね」
三イニング縛り。直史が普段通りのピッチングをすれば、大介にはもう回らない。
わざと四球なりヒットを打たせるなりは、直史はしないだろう。そういった形でまで大介と勝負しようとはしないのが直史だ。
ただ、わずかだが違和感がある。
常に力の配分を考えて投げる直史が、特別に力を込めて投げたのだ。後のピッチング影響はないのか。
双子はその持つ特殊な能力で、直史の微妙なノイズを感じ取る。
マスコミや球団関係者、そして単なるファンなども、この対戦は見たかったのだ。
もっとも彼らはこの勝負が一度きりだとは知らない。
佐藤直史は、プロにならないのか。
もし大学に進んだとしても、大学野球では持ち味を生かせないのではないか。
去年のセンバツ、白石大介と共に甲子園デビューを果たした佐藤直史は、いきなりノーヒットノーランを達成した。
そして夏には比較的他のピッチャーに任せることが多く、体力などに課題があるのではと思わせた。
しかし準決勝の延長パーフェクトである。
大阪光陰はあの夏、長打も打てるがそれ以上に、巧打者の多い打線であった。
初戦の桜島を封じたのも見事であったが、ただ振り回すだけではない抜け目のない打線を、延長まで完全に封じ込めたのだ。
変化球の多いピッチャーは、プロでは大成しない。
そんなことも昔は言われたが、それは変化球が中途半端であった場合だ。
去年の夏、直史から打てなかった名徳の織田は、プロになった今年の開幕から一軍入りして、しかもスタメンとして出場している。
それを基準として考えれば、直史の実力がプロでは通用しないと考えるのは早計だ。
だがもっと詳しく話を聞けば、単純にプロ野球に興味がないだけとも伝わっている。
野球バカでなければ、プロでは通用しない。
その野球バカとは、単に野球が好きだというだけでなく、野球に全てを賭けられるような、どこか頭のネジが外れたような意味もある。
佐藤直史は、そんな人生を生きるには賢すぎるのかもしれない。
二回の表、岩崎のパフォーマンスは高まっていく。
四番の倉田、五番のトニー、六番の戸田と、三者三振である。
岩崎ももちろんプロのスカウトから熱い視線で見られており、勝手の知られた同じチームのバッターを、ここまで封じるのはたいしたものである。
そして二回の裏、直史は先頭の四番鬼塚に、すっぽ抜けた球をセンター前に運ばれた。
失投の少ない直史としては、異常と言ってもいい珍しいことであった。
続く諸角は送りバントであるが、なかなかしてこない。
結局はフォアボールで歩かせてしまった。
直史としては珍しいと言うよりは、おかしすぎることである。
本人もそれは自覚していた。
(メカニックが微妙に狂っている)
その予兆はあったのか? 原因はなんだ?
大介に対して、全身全霊で投げた。その影響か?
確かに一人の打者に、あそこまで集中して投げたことはない。
ペース配分は考えなくていいと、全力を出したことは確かだ。
次のバッターは中根。俊足で塁に出すとうるさいが、打率はそれほど高くはない。
さらにその次の佐伯もだ。守備で選ばれたような打順である。
だが直史はマウンドに倉田を呼んだ。
「変化球の微妙なコントロールが利かない。ストレートとチェンジアップと、スルーだけで行こう」
その言葉は倉田には衝撃であったが、普通のピッチャーならこういうことはあって当然なのだ。
その言葉の通り、緩急と元々細かいコントロールが利かないスルーを使って、二人を三振と内野フライで打ち取る。
ここで打席に立つのは淳である。
淳のバッティングは、直史と非常に似ている。
アベレージヒッターで、長打は少ない。そして出塁率は高い。
長打がない割には打点はそこそこあるのは、得点圏で確実に狙って打てるからだ。
次の打者は岩崎で、打率はそれほどではないが、長打の一発がある。
どちらにしろ、失点の可能性は高い。
この状況であっても、ベンチに動きはない。
基本的に秦野はおおまかな采配しか取らないし、崩れかけた直史がすぐに立て直したからだ。
最初は指にマメでも出来たのかと思ったが、スルーを投げているということはマメではない。
ならば問題なくベンチに戻ってくるまで待つべきだ。
直史は故障でも無理して投げるようなピッチャーではない。ただでさえこれは、校内の紅白戦なのだから。
しかし、よりにもよって、打席が淳か。
単に打力を考えるのならば、両方を抑えにかかるのがいい。
結果的に淳に打たれてしまったら、次の岩崎とちゃんと勝負すればいいだけの話だ。
(ただまあ、淳は粘り強いからなあ)
スライダーなどの球種が上手くストライクが取れず、他の球種も変化量などが制御出来ない。
ストレートさえ、いつものボール半分単位のコントロールとまではいかない。
ストレートは見せ球にして、チェンジアップかスルーを使う。
その方針で高めのストレートを見せた後、チェンジアップを投げたが、コースがやや高い。
キレイに打たれてレフト前。打球が速く外野は前進守備だったので、鬼塚はサードで止められた。
二死満塁。
どうやらあちらの方も、直史の不調に気付いたらしい。
チェンジアップは明らかに待たれていた。スルーを使うべきだったのかもしれないが、ゾーンから外れれば、ミットを弾いてランナーを進めることになったかもしれない。
とりあえず、結果的に失敗だったことは間違いない。
岩崎を力任せのストレートとスルーを混ぜて打ち取り、どうにか失点は防いだ。
「佐藤、何が問題だ?」
秦野の問いに、直史は素直に答える。
「大介との勝負で熱くなりすぎました。修正します」
「そうか。怪我じゃないならいい」
一応これで、計算通りにはなった。
三回の裏、ランナーを出さなければツーアウトで大介と対戦出来る。そこからならたとえホームランを打たれても一点だ。
自分のエゴが、チームに及ぼす影響が一番少ない。
だがこの攻撃の間に、メカニックの調整は必要だ。この回は直史にも打撃が回ってくる。
ブルペンに倉田を呼び、ゆっくりと投球動作をチェックする。
フォームに異常はない。指先の微妙な感覚だけが問題だ。
スルーを全力で投げることによる、指先感覚の喪失リスク。
それは一年の夏から分かってはいたが、たったの一球だ。
たったの一球、気合を入れすぎて投げただけで、次の回にまで回復しないほど、指先の感覚が戻らない。
スルーという球は、制限して投げなければいけないとは思っていた。
しかし10球なら大丈夫だし、20球でも全く問題はなかった。
数ではなく、どれだけの力を込めたかが問題だったのだ。
今はまた変化球を投げているが、感覚の微調整が出来るようになっている。
思えば大介も最近は、スルーを内野ゴロ程度にはしていたのだ。それを空振りさせるほどの負荷に、指先は耐えられなかった。
スルーは効果的だが、万能ではない。
あくまでもコンビネーションの中の一つ。
制球が乱れたのはメンタルの問題ではなく、やはりメカニックであった。
(弱点は克服しないとな)
最後の夏までに、まだ時間はある。
バッターとしても出たが岩崎の前にあえなく三振。
岩崎はこれで、己のイニングの全てをパーフェクトで抑えたことになる。
短期決戦はピッチャー有利とは言え、岩崎自身も力を知られているのに、それでも全員を封じたわけだ。
そして直史も三回の裏、既にツーアウト。
再びの大介との対決である。
本当の全開のスルーの欠点は分かった。
投げれば次の回の投球にまで影響が残るなど、まさに必殺技である。
しかしこの欠点は、まだ大介にさえ分かっていないだろう。
幸いと言うべきか、ツーアウトで大介の打席を迎えるという、これ以上はない状況を作り出しているからだ。
メカニックの微調整で、孝司とシーナは凡退させた。
初球。
内角へのストレート。大介はやや打ち損じたが、ライトのファールスタンドへと軽々と持っていった。
かなり危険度の高いリードだと思ったが、とにかくストライクを一つほしかったのだ。
二球目。
ここで全力のスルーを使う。
大介がどうアジャストしてくるかは分からなかったが、わずかにかすってワンバン、キャッチャーミットに入る。
全力スルーに早くも対応してきているということか、それとも今のは全力が乗っていなかったのか。
とにかくこれでツーナッシングである。
三球勝負か、それともボール球を振らせるか。
大介はちょっとしたボール球なら簡単にカットするし、下手すればホームランにさえしてしまう。
どんな球で来るか、大介にもはっきりとは分からない。
だがおおよそは推測出来る。大介を打ち取れる球はそう多くない。
ごりごりに変化させたカーブ、低めへのストレート。高めへ外したストレート。
あるいはスルーチェンジ。
(スルーチェンジ以外は打てる)
もしスルーチェンジを投げてきたら、ぎりぎりで体を残してカットする。
勝負の三球目。
(高いが――!)
振りにいったバット。そしてボールは弾かれる。
想像以上の伸びのストレートで、サードへの高く上がったファールフライでアウトになった。
(よし!)
三振こそ取れなかったが、初球へのそれよりも、球威を意識したストレート。
これで空振りか内野フライでしとめる。
完全に予定通りであり、直史は再び拳を強く握り締めた。
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