第47話 新しい年へ
大介は些かならず緊張していたが、食欲の前には関係なかった。
野球部の活動にリソースをかけているので、なかなか時間も手間も取れないが、さすがに母の再婚とあっては、それなりに気を遣うこともある。
(どうせプロに行ったら最初は寮暮らしになるんだしな)
そう思うと母よりも、むしろ祖母のことの方が気になる大介である。
母が結婚して向こうの家に住むようになっても、大介は祖母と一緒に暮らし、今の家から学校には通う。
祖母も一緒に引っ越してきたらいいと再婚相手は言うのだが、そもそも今の家からが白富東に通うには便利なのだ。
大介が白富東を必死で受験して合格したのは、偏差値の高い学校だからというのもあるが、家から通うのに便利だからでもあった。
祖母としても体が動くうちは、畑仕事などをしていたい。
なので大介がこの継父の家に来るのは、まずまずないだろう。
それに関西の伯父一家が、そろそろ東京に戻ってくる気配がある。
今の家からなら、東京の会社に充分通えるのだ。
そしてこの日、大介は姉となる人物に会った。
「姉の方の佳奈」
「や~、どもども。姉です。よろしこ」
ややムッツリとした妹に比べると、ずいぶんとあっけらかんとしたお嬢さんであった。
「ワールドカップ見たよ~。友達とすんごい盛り上がっちゃった! 決勝もすごかったけど、あの代打逆転満塁ホームランなんか泣いてる子もいちゃったしね~」
「ども」
明るいお姉さんに対しては、割とスムーズに親しくなれそうである。
「義弟になるって言ったら、サイン貰って来いって言われてさ。色紙30枚ほどよろしこ」
「まあそれぐらいだったら構わないっすけど」
この日の夕食は、母と祖母、そして妹が作ることになり、この親しみやすい姉は久しぶりに父との話しに華を咲かせるらしい。
メシマズなので昔から妹の佐和が料理はしていたそうな。
今は一人暮らしなのでどうなのかと問えば、大学の寮なので食事は出るらしい。
「東京ですよね? どこの大学なんすか?」
「早稲谷~」
「あ、うちの部の先輩が行ってます。野球部で」
「野球部最近人気あるよね~。だいたいほとんど大介君の影響だろうけど」
「え、大学もっすか?」
「てか今、流れ的に野球全般が一番人気になってるんじゃない? 神宮はあたしも見に行ったよ」
大介は既にスーパースターのようらしい。分かってはいたが、こういうように身近でも扱われると戸惑う。
ワールドカップがあればサッカーが人気になるように、今は野球にビッグウェーブが来ているのだ。
元々野球は日本のお家芸でもある。
しかしどんなスポーツであっても、その人気が本当に上がるのは、スーパースターが誕生するからだ。
上杉勝也以来野球の人気は復権度合いが強かったが、ワールドカップは普段甲子園中継を見ない層でも一部では盛り上がったらしい。なにせ世界大会である。
まあ大介もご近所さんのみならず、母の職場からまで色紙をどんと渡されたので、確かに人気があるのは知っていたが。
照れくさいと言うよりは、どうも自分のこととは思えない大介である。
「元から野球好きだったんすか?」
「お父さん高校球児だったよね? てか君の大先輩」
「え!? 白富東!?」
「言ってなかったっけ?」
この父もそこそことぼけた男である。
そもそもこの新しい父とのの馴れ初めが、大介が後輩でセンバツ行きを決めたことから話題がつながったらしい。
なるほど一人の人間の影響が、色々なところに飛び火するものである。
「あたしが学校で行けなかったのに」
妹の佐和がむすっとしているが、そもそも三里の応援だろうに。
「センバツは三里もたぶん出場出来るはずだから、一緒に応援来たらいいよ」
どちらかというと大介に隔意を持っていそうな佐和であっただけに、こういう話題が展開しやすい時には、好感度を上げておきたい。母の今後のためにも。
「病院が忙しくなかったら、もっと応援に行けるんだけどね」
父が話を継いでしまった。
「じゃあ夏の甲子園。普通なら埋まっちゃうから、決勝だけでも家族枠で来たらいいよ」
「そんなの一回戦で負けるかもしれないじゃん」
「ないない。俺とナオがいるから負けるわけない。雨でも降ったらちょっとやばいけど」
自信ではなく、確信である。
やっぱりどこかむすっとしている佐和に対して、佳奈の方は友好的だ。
「佐藤直史君もすごい人気だよね~」
「あ、そういやナオは早稲谷行くっすよ。怪我でもしない限りはもう決まりだって」
「へえ。てことはあたしが四年の時に一年かあ。早慶戦とかいこっかな」
直史の話題になった時に、連想して大介は思い出す。
「あの、テレビのチャンネル紅白にしていいっすか。後輩が出るんで」
「え?」
「え?」
「ああ! そう言えば!」
大介の母も思い出す。祖父の死以降も、双子との親交は続いているのだ。
一応録画はしているが、忘れるところであった。
チャンネルを変えればほとんど同じ衣装に身を包んだ、同じ顔の双子が映っている。
なお隣にはイリヤとケイティもいたりする。
「あ~、ワールドカップで見た見た! ケイトリーも一緒にいるんだ!」
そうやら佐和は洋楽の基礎的な流行も知っているらしい。
「そういえばあんた武道館行ってきたんでしょ?」
二週間ほど前にあった武道館コンサートは、当然ながら大介は招待されていた。プラチナチケットで。もちろん二人の兄も行ったが、武史はぼっちであり、直史は瑞希を連れて行った。武史の春はまだ遠い。
派手なステージで歌って踊っている双子は、いつもとは違う存在に見えた。
「馬子にも衣装って言うか、あいつらもそれなりにそれなりのことすれば、芸能人に見えるんだなって」
「あんたね、あんないい子たちを悪く言っちゃダメよ」
「そうだよ大ちゃん、いい子たちだからねえ」
母と祖母は既に篭絡されている。
「え、個人的にも親しいの? ひょっとしてイリヤのサインとか言ったら手に入る?」
「ケイティじゃなくてイリヤなんすか? まあ普通に手に入ると思いますけど」
「うっそ! やば! イリヤなんて生きた現在進行形の伝説じゃん! いや、いい弟出来たわ~」
双子が歌うのは、この間のコンサートでも披露されたラブソング……ではなく、季節はずれだが『Battle of the Summer』である。
世界に流れた一番有名な曲なので仕方がない。イリヤは愕然としていたが、紅白の名の前に敗北した。彼女にしては珍しいことである。
まあ『Battle of the Summer』もラブソング要素がないではないが。事後を思わせる歌詞があるので、割とアダルトチックである。
その双子の指先がカメラに向いて、歌詞が変わる。
『You are We Lover』
「誰がだ」
頭を抱える大介である。
「え? 何? ひょっとしてどっちかと付き合ってるの?」
ぐひょひょと笑い声を発しそうな顔で佳奈が煽ってくる。
「違うのよ。二人に好きだって言われてるけど、返事出来てないの、この子」
「おお~! 相手芸能人! 君スーパースター! ユー! 付き合っちゃいなYO!」
「出会った時は芸能人じゃなかったんすよ……」
疲れた声を出す大介を、何故か佐和はゴミを見つめるような目で見ていた。
この年頃の少女は潔癖である。
仏壇と床の間を備えた広い和室で、上座に一人座る祖父。
それに向かって頭を下げる中心には直史がいる。
「あけまして」
「「「「「「「おめでとうございます」」」」」」」
「うん、おめでとう」
たっぷり日が昇ってからの挨拶になるのは仕方がない。双子が帰ってきたのが遅かったので。
祖父がお年玉を渡していく。直史、武史、双子、そして叔父の子供たちに叔母の子供たち。
最後に今年から、淳一郎。
格式ばったことはこれぐらいで、あとは幾つもの炬燵に分かれてお雑煮を食べる。
祖母がきっちりとお節を作るので、佐藤一族はとりあえず餅を食べる。さすがに臼と杵でついた餅ではないが、もち米から作ったものだ。
こういう時に働くのが女の仕事で、双子も普通に動いている。
二日目からは分家筋やその他の親戚が挨拶に来る。ご近所もだ。田舎の正月はお年玉が大変である。あと男性陣は肝臓に悪い。
「サキちゃん、何か歌って~」
桜と椿の区別がつかないので「サクラ」と「ツバキ」から一文字ずつの「サキ」という呼び方を発明した従妹は天才かもしれない。
「じゃあ国家家康を願って、ソウルフルな君が代などを」
「紅白で歌ってたの~」
「ホイットニーリクエストしていいかしら?」
「叔母さんまで……」
悪いことではもちろんないが、佐藤家の正月は雑然としている。
大掃除などはさすがに男衆も手伝って総出で行うが、料理の采配は女の仕事である。
しかし男衆も半ば義務で酒瓶を空にしていかないといけないので、これも大変な仕事ではある。
「じゃあ直史も」
「いや叔父さん、高校を出るまではダメなんです」
「ん? 去年は飲んでただろ」
「バレると甲子園に行けなくなりますから。最近は正月でもマスコミがいるんで」
なるほど、それはさすがに断る理由になる。
田舎のおっさんどもは、そういう点では聞き分けがいい。
上杉勝也なども小学校時代からの飲兵衛だったらしいが、高校時代は禁酒していたという。
高校時代に何が一番辛かったか、とプロ入り後に問われて「禁酒」と答えたのは有名な話である。
プロに入った去年も禁酒していたらしいが、シーズンオフになってすぐ、居酒屋で酒を飲んでいるところをスクープされていたりする。
19歳に厳しいことだ。どうせ他の新人だって、酒やタバコはしているだろうに。
球団から契約内容に、成人するまで禁酒と盛り込まれたという噂は真実であろうか。
おっさんどもが潰れていって、女衆がやっと落ち着く中、武史は年下の従弟たちに遊ばれている。
直史よりは武史の方が、親しまれやすいのだ。
そのくせ何か困ったことは、直史の方を頼ってくる。
田舎の本家の長男というのはそういうものだ。長男だから頑張れる。長男でなかったなら頑張れなかっただろう。
「ナオ兄、少しキャッチボールしない?」
そんな直史の隙を見て、淳が声をかけてきた。
「このクソ寒い中か?」
「雪も降ってないし」
「まあいいけど」
専用グラブを持った直史は、勝手口から裏庭に回る。
ピッチングの練習が出来る、直線距離20mほどの空間。
直史と淳は、まず5mほどの距離からキャッチボールを開始する。
この距離は暖かい時期なら素手で取ったりするのだが、さすがに一月の寒さの中では、怪我の可能性を考える。
淳の投球動作は、このキャッチボールから見ても、完璧主義者の直史の目にかなうものである。
左腕のサイドスローというのは、基本を完全に固めた上で、まだそれほど球速が出ない淳が辿り付いた、勝つための投球術だ。
「勉強は大丈夫か? これで試験に落ちたら笑えないぞ」
「偏差値68でしょ。なら余裕。ちゃんと全国模試でも結果出てるし」
直史も直史だが、淳も淳で、母方の親戚の中では直史以上に神童扱いされている。
頭脳明晰に文武両道。小学生の頃には水泳とピアノ、つまり直史と武史が習っていたものを習っていた。
直史はあまり他人の才能を羨ましいとは思わない人間だ。なぜならおおよその才能は、努力によって覆せるからだ。
だがそれでも武史や淳のような、サウスポーをうらやましいと思うことはある。
左で投げても予選レベルなら通じる直史であるが、さすがに130kmは投げられない。
体軸の調整に投げるだけであって、試合で通用するものではない。1000万円で甲子園行きを目指すどこぞの主人公とは違うのだ。
だが淳のような左の、しかもサイドスローというのは、それだけで有利である。
内野手としては右の方が有利だが、他はほとんど左の方が有利なのが野球である。
ほぼ投手と捕手の距離になると、淳はサイドスローから投げる。
歩幅も調整し、直史の胸元にしっかりとボールを投げ込んでくる。
直史も少し歩幅を広くし、ピシッと回転をかけて投げ込む。
「球速、どうなった?」
スピードこそがいいピッチャーの条件とは限らないと考える直史であるが、一つの指標にはなる。
「まだ130は行かないけど、たぶんコントロール無視して投げたらいくと思う」
「コントロール出来ない130じゃ意味ないからな。145でも制球出来てないとあんまり意味ないし」
淳のストレートは、サイドスローから投げられるので、当然ながら軌道は低いところから投げられる。
スピンもちゃんと利かせているので、思ったよりも伸びてくるという球の典型だ。
「将来的にはアンダースローにした方がいいかもな」
「そうだね。俺も体柔らかいし、左のアンダースローなんてなかなかいないし」
「マンガならいるんだけどな、左のアンダースロー」
そもそも左利きが珍しく貴重なので、そこまで変則的なフォームを求められないということもある。
だがもし実戦レベルで完成すれば、プロでも中継ぎとして使いやすい投手になる。
「右投も試してるか?」
「うん。あれってけっこう効果あるね。タメが作りやすくなった」
半ば両利きの武史と違い、淳は右ではまともに投げられない。
だからピッチャー以外をやる場合は、ファーストか外野が主になる。
打者として見た場合、淳はアベレージヒッターで、二番か三番を打つことが多かった。
だがそのレベルでは、打者としてはそれほど必要ではない。白富東は投手と、上位の打撃は凄まじい力を持つ。
ちょっとした打率の良さなどよりは、守備力を取る。それこそ倉田レベルにまで長打力がない限りは。
「俺以外ってまともな選手入ってきそうなの?」
「帰国子女・留学生枠で一人決まった。アメリカからで、母親が日本人なんだけど、あっちのチームでは四番でピッチャーだってさ」
「アメリカのアマチュアって大味な印象があるけどなあ」
「間違ってない。でもパワーとスピードは折り紙つきだと」
直史にとっては、最後の一年。
淳にとっては最初の一年。
一緒にやれるのは、わずかに五ヶ月弱。それも最後まで勝ったとしてもだ。
「俺とガンが抜けると投手力がた落ちするから、そこがアピールのチャンスだな」
そもそもアレクは出来れば外野に専念させたいのだ。
直史はそう言うが、淳はもっと高い目標を持っている。
単に甲子園に行くだけならば、地元の名門に素直に入っても良かったのだ。
淳の願いは、全国制覇。
その中で自分が、ちゃんと戦力として活躍することである。
×××
本日カクヨム第一部の末尾、Exストーリーを追加しています。
芸能人の双子にアプローチを受けて、しかも義理の姉妹が出来るという、まさに主人公体質の大介。
この強烈なニューカマーに、双子は勝利することが出来るのか!
作者はけっこう本気で心配しているぞ! お前ら日頃の行いが悪いからな!
あと春には大介の伯父一家がこっちに戻ってくる予定だぞ!
従姉は向こうの大学だから一人暮らしだけど、従妹ちゃんはこっちで同居するからな!
サウスポーのアンダースローと言えば、水島御大の水原勇気が当然出てきますな。
プロ野球の女性投手という設定ですが、それでも当時としてはまだリアル路線だったのです。
現実だとMLBではいたそうですが、それでもやはり圧倒的に珍しい。
マンガだと他に「最強!都立あおい坂高校野球部」の主人公も左のアンダースローでした。
ちなみにこいつのピッチャーとしての性能と成績は直史以上にバグってますw
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