第31話 技巧派の真髄

「ヤマを張られたな。気にすることはない」

「ああ」

 ノーヒットピッチングを破られた中岡に、武市はすぐに近寄ってフォローする。

 中岡もノーヒットノーランが途切れたぐらいで、集中力が切れる選手ではない。しかしそもそも、球数自体がもう多いのだ。

 そしてノーアウトのランナーを置いて、先頭に回る。


 初めてのヒットで、いきなりそのままピンチである。

 武市は内野に指示を出す。

 前進守備はしない。まずは確実にファーストでアウトを一つ取る。

 白富東は上位打線では、無死一塁からの送りバントはしない。


 もちろん白富東のベンチからも、送りバントの指示など出さない。

 ここまで両チーム得点がないので、これが無死二塁であったら送りバントもありである。

 しかし打者はアレクだ。下手に送りバントをするよりも、そのまま打たせた方が得点の期待値は高い。


 打席に立つアレクは、なかなか点が入らないこの試合を、このまま普通にやっていくのが嫌になってきていた。

 感情ではなく、嗅覚とでも言うべきか。ここで何かもっと、意表を突いた攻撃がしたい。

 だからサインは自分で出した。

 その意外なサインにも、直史は無表情を崩さない。




 よりにもよって難しい打者の前にランナーを出してしまったな、と武市は苦悩する。

 おそらくピッチャーとしての読みから、あのヒットを打ったのだろう。

 白富東は多くの有力ピッチャーを擁していることから、大田のリードが上手いのだと思っていたが、直史は倉田のリードでもかなり投げている。

 もっともそこではヒットを打たれているので、あまり打者としての印象につながらなかったのである。


 中岡の体力はそろそろ限界に近い。

 球数もそうであるが、要求する球がシビアすぎた。

 だからこそここまで無失点であったとも言えるのだが、難しい選手はヒットを打たせてでも球数を少なくした方が良かったのかもしれない。

 もっともそういう反省は、試合が終わってからすることだ。


 第三のピッチャーはショートを守っている岡田である。ただ岡田は肩はいいし送球のコントロールも悪くないのだが、ピッチャーとしては球が真ん中に集まってしまうという欠点がある。

 変化球も一応は投げられるが、大きく緩急差をつけられるものがない。

(この回だけはなんとか)

 そう思ってアレクに投げさせた第三球。

 インハイの球に、アレクはバントの構え。


 ファーストとサードが突っ込んでくる。それに対してアレクは球の勢いを殺さない。

 三塁線への強いプッシュバント。サードの頭を越える。

 ショートが回り込んで捕球しようとしたが、ここで偶然の天秤は白富東へ。

 サードベースに当たったボールはファールグランドに転がる。


 無死一二塁。

 奇襲成功である。




 無死一二塁からは、送りバントがさすがにセオリーである。

 三塁まで進めば、ヒットがなくても点を取れる。それにゲッツーを防ぐためにも、ここは送りバント警戒。

 事実、鬼塚もバントの構えをする。

 武市は考える。何球目にバントをしてくるかと。

 ここを無失点で抑えるには、バントを外して走者でアウトを取るか、フィールディングで走者をアウトに取るかのどちらかしかない。


 佐藤直史の攻略法は、完全ではないが坂本がヒントを与えた。

 しかしそれは確率的に考えられるもので、取れる点数は多くない。武市にしても、一点取れるかどうかだと考えた。

 送りバントをさせた後は、大介に回る。これは敬遠するしかない。どうせ満塁策だ。


 そんな意識が武市にも中岡にもあった。それがまた油断であった。

 素早くバットを引いた鬼塚は、高めの球を強く弾く。

 バスターで内野の頭を越える。直史は三塁で止まるが、これでノーアウト満塁。


 来た。

 来た来た。

 ダースベイダーがやってきた!


 いつもラッパ吹いてる人、としてテレビ観戦の人々に認知されつつある応援おじさん。

 彼の吹くダースベーダー登場のテーマに合わせて、大介はバッターボックスに入った。




 ここまでだ。

 武市は観念した。

 中岡は頑張って投げてくれているが、コントロールが微妙に定まらなくなってきている。

 それに球威も落ちてきた。他の試合ならばここまで消耗することはないのだが、武市の要求がシビアすぎたし、対戦相手が強すぎた。

(天童だったら)

 そうは思うが、肩が痛いとあいつが言うなら、それはもうちゃんとした意図があるのだ。


 高校野球界において、最強のバッターへ、いきなりの継投。

 幸いと言うべきか、岡田にはそのあたりピッチャーらしい繊細さはなく、無造作に強打者に投げることが出来る。

 コントロールを無視して、四球を出してくれてもいい。


 マウンドに登った岡田に対して、武市は短く言う。

「コントロールは考えんでいい。とにかく全力で投げい。ボールでも構わん」

 無口な岡田はただ頷く。


 投球練習はしたものの、肩が温まっているとは言いがたい。

 しかし中岡が決定的に打たれるのはまずい。中岡はそこそこ繊細なタイプだ。大介のワールドカップのあの打撃、甲子園のあの打撃を思えば、ピッチャーにトラウマを与える存在とも言える。

 岡田なら大丈夫。それは間違いなく信頼である。




(そこそこ速いけど、全然ストライク入ってないな)

 大介はワールドカップ以降、敬遠されることに慣れている。

 ヒットか外野フライで点が入る場合には、ボール球でも打ってしまうので、本塁打率はさすがに下がってきている。

 荒れ球と思われる投手を出して、結局は歩かされるということも珍しくない。

 本当の荒れ球であれば一球ぐらいストライクにも入るはずだが、そういったことはない。


 仕方がないことだ。

 ここで押し出しになれば、とりあえず先取点は入る。

(ナオなら一点あれば充分だろ)

 セーフティリードは六点以上などと言う直史であるが、よほどイレギュラーな事態が起こらない限りは、一点あれば大丈夫だろう。……フラグではない。


 投球練習が終わり、再度大介はバッターボックスに入る。

 外に大きく外れたボール。そして高めに大きく外れたボール。

(本当にコントロールが悪いのか? でもそれなら――)


 大介の予想は当たった。

 完全なボール球が内に。つまり当たる。

 大介は腰を引きながら、バットだけを合わせる。

 自分の体に当たるはずのボール球が、ファーストの上を越えて、ぽてんとフェアグランドに転がる。


 三塁ランナーの直史は帰ってきた。頭を越されたファーストが追いつく間に、アレクも三塁を回る。

 体勢を崩していた大介は尻餅をついた後、すぐに立ち上がってファーストへ向かう。

 ホームへの返球。アレクはミットを避けてホームベースにタッチ。

 二点目が入ったが、武市はすぐさまボールを三塁へ送る。

 二塁を回っていた鬼塚が滑り込むが、そこはアウト。


 白富東、主砲のポテンヒットで二点を先制する。




 ビーンボールでさえヒットにしてしまうのなら、本当に投手は投げる球がなくなる。

 直史は呆れながらも、おかしな性能のチームメイトの攻略法などを考えていた。

 この回はまだ終わらない。荒れ球の岡田に四番の武史は三振したが、五番の倉田にはまたも死球。

 幸いと言うべきか、荒れ球に腰が引けてその後は凡退した。

 そして六回の裏も三人で抑えた直史は、瑞雲のベンチを伺いながら自軍ベンチへと戻った。


 あと三イニング。

 瑞雲のベンチの目はまだ死んでいない。

 ここまでパーフェクトに封じられているというのに、まだ何か打開策があるのか。


 直史は己の能力を過信していない。

 だから自分が自分を攻略するならどうするかを、常に考えている。

 いつも出る結論は、狙い球を絞って打つというものだ。

 だから球種と緩急差を使い分けて、いざとなればスルーを投げる。そしてコンビネーションだ。


 七回の表の攻撃、ツーアウトから直史は、打席の一番端に立った。

 ど真ん中に投げれば絶対に打たれないというもので、ビーンボールをヒットにする技術のない直史は、最初からこの打席は捨てている。

 打者としての貢献は、前の打席で果たしている。あとは大事を取るだけだ。どうせ次の回はアレクの先頭からとなる。

 武市もピッチャーへのデッドボールはしない。暗黙の了解という言葉は嫌いだが、ここまで打つのを捨てている打者に当てるわけにはいかない。

 岡田のスローボールで直史は三振した。




 さて、瑞雲も三打巡目である。

「そろそろ何か仕掛けてくるよな」

「岡田は足も速いから、セーフティ警戒かな」

 軽くジンと話し合って、直史はマウンドに登る。


 直史からまともにヒットを打つことは相当に難しい。変化球のバリエーションが多すぎるからだ。

 だがバントはそれなりに難しくもない。もっとも成功するかどうかは別である。

 変化球を見せてからのストレートで、ピッチャーフライとなる。

 まずは無難にワンナウト。さて次はどういう手で来るか。


 打席に立つ二番打者は、まだ戦意を失っていない。

 直史の攻略を諦めていないということだ。県内の高校であればたいがい、一点取られたら諦めてしまうのだが。

 初球のストレートに手を出してきたが、アウトローのコースが良すぎてセカンドゴロ。

(ストレートにヤマを張ってきたかな?)

(じゃあカーブから入ろうか)

 カーブでも直史のカーブには幾つもの種類がある。

 速度が違うし、変化量が違うし、軌道が違う。リリースポイントが違う。

 リリースポイントの違うスローカーブは、球速が遅く見分けがつきやすいので、それだけならば狙いやすくも思える。

 しかし落差が違うし、角度がえげつない。見逃した方がボールになる可能性は高い。

 スローカーブは振らせるためのボールだ。


 だが振ってこなかった。

 二球目の高めのストレートを振ってきた。しかしこれもサードフライ。

(ストレート狙いか)

(じゃあそれ以外で)


 三人目の打者はスプリットを初球から振って内野ゴロに終わった。

 瑞雲のベンチは何かを喋っている。

 おそらくまだ何かの狙いがあるのだろう。だがそれもここまでだ。


 八回の表、白富東の攻撃は、アレクから始まる。


×××


 本日は2.5にてサブエピソードが投下されます。

 皆さん大好き年俸に関してのお話です。

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