哀れで恐ろしい化け物

 墨田区。スカイツリーに見下ろされた下町。

 江戸川の資料に記された、昔弓立が住んでいたアパート。

 大家は弓立とその母親を覚えていた。


「十年くらい前かなぁ? 部屋で母親が死んじゃってね」

「死因は?」

「分かんないよ。俺プロじゃねぇもん。ただ、血とかは出てなかったらしいけど」

「警察は?」

「来たけど、大した事はしてねぇなぁ。最近の様子訊ねられて、それで終わり。心不全って言ってたよ」

「……残された娘は?」

「ああ……。涼子っていったっけなぁ。気丈な娘でね、母親死んで親父も居ねぇのに、泣かないで俯いてたよ。母親の遺産で、しばらくここに住んで大学入るからって出てったよ」

「何か、その母娘に変わった所ありませんでした? 例えば、変な仕事してるとか」

「変な仕事? それは無いよ。近所のスーパーでパートしてたね。涼子ちゃんも、真面目に学校行ってたし。……本当に、あの娘は母親に愛されてたよ」

「そうですか……」

「何と言うか、印象が薄くてね。大人しく、落ち着いてたって事は覚えてるけど……実は、顔ももう朧気にしか覚えてない。……いい母娘だったけどねぇ」


 ボールペンで頭を掻く。

 あまりいい収穫とは言えない。これ以上粘っても仕方ないので、切り上げようとすると。


「あっ!」


 大家が大声を挙げた。


「……少し物騒な事思い出したよ」

「なんです?」


 ここぞとばかりに食いついてやる。


「母親の死体見つけたの、同じパートの人だったんだけどね。……その後すぐに死んでるんだよ」

「……ほほう」

「交通事故でさ。撥ねられたの。ひき逃げってヤツ」

「……へぇ」

「犯人捕まってないしね。……これって、偶然だと思います?」


 大家の少し引きつった笑顔に、俺は曖昧な笑みで返す。

 車で待っていたマリアに大家から聞いた事を話し、最寄りの警察署に向かった。

 母親。弓立千尋の不審死とパートの同僚の交通事故の資料を見せてもらうが、呆れるほどお粗末な資料だった。


「これは酷い……」


 マリアは元警官だけあって、そこらへんの見方は俺よりも分かっている。

 

「死因不明・ただの交通事故で片付けるとしても、もう少し丁寧に書く」

「深入りすんなってことか」


 インターネットで調べれば、個人サイトで闇深い未解決事件として紹介されてそうだ。


「母親の死。その第一発見者の事故。……偶然だと思うか?」

「思わない。それは、資料が雑なのが裏付けてる。ただの事故だったら、も少し丁寧なはず」

「じゃあ、誰が殺したと思う?」

「弓立涼子か謎のX」

「そうだ。弓立は置いておいて、謎のXは何の目的で母親と発見者を抹殺したと思う?」


 脳をフル回転させる。目の前の資料を閉じた。


「発見者は口封じ。……じゃあ、母親は何の為に?」

「……反抗期。な訳ないか」

「目的が何にしろ、心不全ってのが気になる。毒物?」

「かもな」


 昔読んだ小説では、首だか肩から細い針を刺し心臓を止めて人を殺すシーンがあった。けれど、アレはあくまで小説だ。


「って事は、犯人は毒物を手に入れられる人間の可能性かぁ……」

「弓立に毒物を渡されて、もしくはどっかから盗んできて母親に盛ったってのは?」

「辻褄は合う。何らかの理由で母親を殺害。犯行を目撃、又は何かに勘づいた発見者を口封じに殺害」

「……あくまで、警察は自然死を推してる。って事は、発見者は犯行を目撃してないとは考えられないか?」

「まぁ、確かに。他殺なら、真っ先に言うもんね。それなら、何かに勘づいたとかかぁ」


 資料にあった死体の写真を見る。

 弓立涼子の面影がある女性が、畳の上に仰向けになっている。衣服は乱れた様子もなく、生気の無い眼球がこちらを向いていた。


「綺麗な死体ね」

「その場でパタンか?」

「争った形跡無し。犯行は身内、顔見知りの可能性が高い」

「ミステリー小説なんかじゃ、毒物飲んだらもがき苦しんでるがな。服とか乱れてねぇ」

「注射器かもね、薬物は即効性。自然死って事なら、血液検査もしないし」

「謎のXは親しい人物か」


 一通り推理した後、警察署を後にする。


「歯車が狂ったのは、母親の事件以来。つまり、十年前」

「仮に“エネミー”が関わってるとしたら、警察の無能っぷりも納得だな」

「その他の証拠隠滅もね」


 車に乗り込み、隅田川方面にハンドルを切った。

 刑事じゃない俺達は、仮説に仮説をくっ付けて個人的に納得のいく話を作り出し始めた。


「俺達の仮説は『弓立涼子はエネミーの一員である』だ」

「ええ」

「そして、十年前『エネミーが弓立母の殺害に一躍買っていた』とするならば、何か見えてこないか?」

「……その時から『弓立はエネミーと関わりを持っていた』」


 そうすれば、殺害方法も納得がいく。普通の女子高生が、簡単に毒物を手に入れられる国ではないのだ。


「その通り。……すると、弓立母が死んだ理由も見えてこないか?」

「口封じ? 娘が秘密の組織に入ったが故の」

「案外、エネミー入会の儀式かもな。自分を知る人間を殺し、自身を透明人間に仕立て上げる」

「………………」

「もしくは、娘の進路に口を出したせいで殺されたか」


 俺達が口から吐き出しているのは、僅かな状況証拠と妄想のミックス。それで、辻褄の合う仮説を作っている。

 正解かどうかは分からない。

 だが、俺達の想像が的を射ていたとしたら……それは恐ろしい事だ。

 母親を自らの手で殺し、秘密組織の手を借りて今も生きている。

 狂気の中を生き、その狂気をこの国に伝染させようとしている。

 ……それは、なんて哀れで恐ろしい化け物なのだろうか。

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