班長の思い

 時計の針は、一向に進む気配は無い。

 キーボードの上に置かれたマリアの腕時計と、壁に掛かった時計を交互に見ても一分経つのが遅く感じる。


「クソ……」


 乱暴に頭を掻きまわす。コーヒーの紙コップを掴むが、空だった。

 仕事をしようにも、集中力が続かずロクに文字も撃ち込めない。それがもどかしくて、しょうがなかった。

 その時、班長のデスクの電話が鳴った。反射的に顔を上げる。


「はい。本部強襲係。……お久しぶりです」


 どうやら、調査係からの連絡ではないようだ。落胆し、上げた顔を下ろす。しかし、苛立ちで澄まされた聴覚は班長の声を捉えてしまう。


「……ケビン・レナードを確保? ええ…………そうです。…………何? それは本当か?」


 班長は声を絞る。


「分かった…………。……………………? ……だが。……………………そうか」


 班長は眉間にシワを寄せ、こめかみを押さえた。


「本人が……………………。…………私の知った事じゃない。……切るぞ」


 受話器を電話機に叩き付け、虚空を睨んでいる。ケビン・レナードを確保したとの連絡らしいが、後半の会話が気になってしまう。

 伸びかけた顎ひげを掻き、また時計に目を落とす。

 一秒、一秒、と時を刻む針に意識を移そうとしたが俺を呼ぶ声に意識を向けざるおえなくなった。

 声がした方を見る。班長が苦虫を嚙み潰したような顔して、手招きしていた。


「なんです?」

「たった今、ロス支部の方からケビン・レナードを確保したとの連絡があった。……だが、ロス支部が取り調べをしようとしたところ……レナードはとある条件を出してきた」

「……条件、ですか」

「ああ……。ケビン・レナードは、取調官にマリアを所望している」

「なんですって?」

「……なんでも、マリアじゃないと話さないと言っているらしい」

「なんで……」

「『僕が信用している“相棒”だから』らしいぞ」

「……ふざけてやがる。とっくの昔に、テメェの相棒じゃなくなってるのに」


 手に力が入り、硬い握り拳が作り出される。


「……ロス市警からも苦情が山ほど来ているらしい。証拠があると言っても、『そっちが偽造している』の一点張りだ」

「正気ですか?」

「個人的な意見だが、その発言は法の下で働く者達の言動とは思えん」


 班長が呆れかえっているのが、よく分かる口調だ。


「こちらだって、正当な手続きを踏んで行動している……向こうも警官なら分からない訳ないだろうに」


 怒気も混じり始めた。無理もない話だが。

 班長の話を聞いて、ふと思った事があった。


「……そんなに、ケビン・レナードは信頼されているんですか?」


 思った事を口に出す。

 証拠があると言っているのに、偽造しているとしか言わないのはどう考えてもおかしい。

 だが“あの人がそんなことするはずがない”と強く思っているのならば、少しは納得できる。

 俺の問いに班長は、資料の山から一枚の紙を引っ張り出しこちらに差し出して応えた。

 紙には、ケビン・レナードの経歴等が書かれている。その中には、周囲の人間からの印象などが書かれていた。

 全て、ケビンを褒めているか、心酔しているかと思わせる言葉だ。


「……これは」


 思わず絶句する。

 その文面からは分かるのは、これを言った人間が心の底からケビンを信頼していることと、その感情は一警察官に抱く物ではない事だ。


「ケビン・レナードって、宗教の教祖でしたっけ?」

「違う。だが、これほどまでにケビン・レナードは信頼されているんだ」

「…………」

「教祖を心酔している人間達に、何を言っても聞きはしない。……お前も、知っているだろう?」


 俺は班長の言葉に「ああ」だか「はぁ」と曖昧な返事をする。マトモな返事が出来なかった。

 頭一杯に、駅の床に広がる鮮血が思い浮かんだからだ。


「……アカヌマ?」

「あっ! ……すいません」

「いや、悪かった」


 班長は俺が持っていた書類を取る。


「とにかく、狂信者共が文句を垂れていたらそのうち大事になる。……そうなる前に、自白させなければならない」

「……班長は、マリアを派遣させることに納得してるんですか?」

「納得している、していないの話じゃない。やらなければならない話だ」

「…………」

「だが、本部の調査係の連中は渋るだろう。……マリアの潔白は、アイツが警官を辞めた瞬間からケビンと接触していないから証明されるんだ。わざわざ接点を作りに行くなんて……」


 班長の目には葛藤が現れる。

 ISSの人間として、事件解決を目指す気持ち。上に立つ者として、部下を守りたい気持ち。

 そんな思いが、自分にも伝わってくる。そして、俺もその気持ちを理解できた。


「だからアカヌマ。……お前には、マリアと共にロスに行け」

「……監視ってことですか? 接点を作ったとしても、すぐに分かるように」

「端的に言えばな」

「……俺、言ったんです。アイツに……マリアに。『お前の味方でいる』って」

「……だが、その言葉はマリアがこちら側ISSにいるから成り立つ言葉だ。だからこそ、アカヌマ。お前が監視するんだ……今。マリアを心から信用しているのは、アカヌマ。お前だけだ」

「…………」

「私の方がお前より、マリアとの付き合いが長い。けれど……疑ってしまう。ケビンは、とんでもない奴だ。私は会った事ないが、これを読んでそう思った」


 班長は自身の手に握られた書類を、強く握り締める。


「もしかしら、部下が唾棄すべき敵の駒になって帰ってくるかもしれない。頭で否定しても、心で“もしかしたら”と思ってしまうんだ」


 そう言って班長は、立ち上がり頭を下げた。


「頼む。マリアを、私の部下。そして、でいさせてくれ」

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