第7話 水の精霊

 アラタの乱心に周囲が混乱している中、いきなり湖の中心で大きな爆発が起き、一同は一斉にピタリと動きを止め、何事が起きたのかと警戒する。

 魔王軍一同は瞬時にアラタを中心にし、いつ攻撃が来ても彼が被害を受けないように陣形を組んでいた。


「まさか、カイザーウルフが生きていたのか?」

「それはないわ! 確実に息の根を止めたわよ。まぁ、仮に息を吹き返したとしても、今度こそ確実に潰すだけだけど!」


 セスとトリーシャの会話を聞いて、言動の端々から彼女はどうやら過激派のようだと思ったアラタは、「この子には、あまり近寄らないようにしよう」と密かに心に誓う――そんな時だった。  

 爆発が起きた場所で、大量の光の粒子が空に向かって飛んでいく現象が起こっていた。


「なんだ、あれ?」


 アラタの問いに即座に答えたのは、説明好き容疑のかかっているメイドであった。


「あれは〝マナ〟です」

「〝マナ〟?」

「はい。ソルシエルではあらゆる物質、生命に至るまで全てがマナにより構成されています。それらが活動を終えた後、少しずつあのようにマナになり世界に還るのです」

「マナに還る……」

「はい、そうです」


 アラタは目の前で起きている現象に目を奪われていた。この半日だけで、今までの人生で経験したことのない出来事を体験し心身ともに疲れ切っていた。

 だが、眼前の光の粒子があまりにも美しく、優しく、儚げで心が癒されていく。 ふとアラタが周囲を見やると、皆も同様に光の粒子に見入っているようであった。

 ソルシエルの住人にとっても、これほどの現象は滅多に見られず、特別なものであるということを後にアラタは知ることになる。


 一同がマナが還る現象に心奪われていると、その場所の湖面が局所的に静かに盛り上がるという新たな現象が起こっていた。

 そして、それは徐々に人間の女性のような形状をとっていく。


「あれは、まさか……ウンディーネ!?」


 バルザスがそう言うとドラグが疑問を投げかける。


「ウンディーネというと、あの水を司る精霊ですかな? しかし、何故かような場所に?」

「恐らく……会いに来たのだろう」


 ウンディーネの下半身は人魚のようになっており、湖面を滑るように僅かに波紋を立てながら、静かにゆっくりとアラタ達の目の前まで移動してくる。


「こんばんは。今宵こよいは月が綺麗ね」


 アラタ達の前まで来ると、ウンディーネは静かに透き通るような声で語りかけてきた。


「「こ……こんばんは」」


 一同が各々驚きながら挨拶を返すと、ウンディーネは微笑み、次にまっすぐアラタを見据えていた。


「な、なんでしょうか?」

「『久しぶり』ですね魔王……いえ、『初めまして』が妥当なのかしらね」

「一体、どういう意味です? 俺と貴方は初対面のはずですけど」


 アラタがいぶかしげにウンディーネに尋ねると、彼女は何処か懐かしそうにアラタを見つめながら、その問いに答えるのだった。


「そうね、自分のことですし知っておいた方がいいでしょう。驚くかもしれないけど――魔王、あなたは1000年前に存在した魔王グランの生まれ変わりなのです」

「俺が? 1000年前に破壊神と戦ったっていう?」


 ウンディーネは静かに頷き、話を続ける。


「あなたのマナの波長はグランと同じですからね。人の子は生命を終え、マナに還り、再び生まれ落ちた後もマナの波長は変わらないのです。だからすぐ分かりましたよ」


 ウンディーネの発言に魔王軍の面々は、驚きの声を上げる。その一方で、アラタの表情は暗いままだ。


「――仮にそうだとしても、今の俺にとって何の関係もない話だよ。魔力なんてものは生まれてこの方感じたこともないし、さっきもただわめいていただけだ。自分で逃げることすら出来なかった」


 アラタは先程の狼の魔物達との戦いで、自らの無力さと魔物の恐ろしさを痛感していた。

 そんな彼の心中を思ってかウンディーネは、先程よりやや真剣な表情になる。


「それはそうです。なぜなら貴方は今、満足に魔力を使えない状態なのですから」


 その発言に驚きの表情をするアラタをしり目に話を続けるウンディーネ。


「1000年前の破壊神ベルゼルファーの顕現体けんげんたい――この世に存在する為に受肉した状態のことですが、その戦いでグランは勝利を収めるも呪いを受けたのです。それは、自身の魔力を封じられるものでした。呪いは強力で、グランが亡くなり生まれ変わる際にも解けることはなかったのです。そして現在、数度の転生を繰り返し、呪いはあなたに受け継がれているのです」

「……えぇ……いらねぇよ、そんなねちっこいプレゼント」


 アラタは辟易へきえきしていた。自身が魔王グランの生まれ変わりという事実に。

 さらには生まれ変わっても消えない呪いのおまけつきということに。

 魔力が使えないということは、皆のように戦う力がないということだ。結局自分が無力であることには変わりないのだ。

 自分は一体何のために、こんな右も左も分からない土地に呼ばれたのだろうか。 召喚した張本人であるバルザス達も浮かばれないであろう。全ては徒労に終わったのだとアラタは思った。


「その事でしたら、既に私達は知っていましたよ。ですから、魔王様が先代のように最初から戦える状態でないことは重々承知しています」


 バルザスはあっけらかんとした表情で言った。あまりにもしれっと言ったことが、アラタの心の火に油を注ぐ。


「なんだよそれ。知っていたなら早く言ってくれ! もうやだ! 俺は家に帰るぞ!」


 再び乱心するアラタを取り押さえるセス達。2回目であるためか先程より素早く的確に対応し、アラタは身動き一つ取れない状態になっていた。


「アラタ! 落ち着けって! 家には帰れないんだって!」


 ロックのその一言がさらに油を注ぐことになるが、自分よりも屈強な男たちに羽交い絞めにされていることでアラタは依然として全く動けない。

 力だけは入っているためか、次々と苦悶の表情は変化し、はたから見れば変顔の練習をしているようである。

 そんなアラタを見つつ、ウンディーネは笑いをこらえながら話を再開する。


「ふっふふふ! もっ、元の世界に帰ることは、か、可能ですよ」

「――マジで?」


 ウンディーネは深呼吸を何度か繰り返し、心を落ち着かせると真剣な表情に戻り仕切り直す。

 魔王軍一同はそんな彼女の様子を目の当たりにし、当初抱いていた畏敬いけいの念は既に失われつつあった。

 そんな彼らが向ける、若干冷ややかな視線を半ば無視しながらウンディーネは話し続ける。


「ええ。ただし、そのためには私を含む4大精霊と契約した後に、とある場所にて世界を行き来する門を開かねばなりません」


(地球に帰れる!?)


 アラタが胸を撫で下ろした次の瞬間、ウンディーネは自らがこの場所に現れた理由を語った。そして、その内容はアラタを悩ませることになる。


「4大精霊との契約で可能なことはもう1つあります。それは魔王にかけられた呪いの解呪の儀を行えるというものです」

「……それってつまり、俺が魔術を使えるようになるっていうこと?」


 目を丸くするアラタに対し、頷きで答えるウンディーネ。それゆえアラタは想像する。

 もし魔術が扱えるようになったら、先程の魔物を自分の力で倒せるようになるのか、更には本当に神と言われる存在とも戦えるようになるのかもしれない――と。


「元の世界に帰るにしても解呪の儀を行うにしても、すべきことは同じです。私を含む4大精霊との契約。その間どちらを選ぶか考える時間は十分にあるでしょう……では、私はそろそろ帰るとしましょう。魔王、またあなたに会える時を楽しみにしていますよ。あなたがこの世界に触れてどのように成長するのかを……」


 ウンディーネは湖に溶け込むように沈んでいき、程なく静かに波紋を残してアラタ達の前から消えていった。

 再び湖は静けさを取り戻し、森からは様々な生き物の鳴き声がこだまする。


「魔王様、とりあえず屋敷に戻りましょう。お疲れのご様子ですし」

「……そうだね。確かに、色々あってくたびれたよ」


 実際のところアラタは数々のイベントの発生に疲れ切っていた。異世界に飛ばされ、魔王と言われ、魔物の大群に追われ、最終的には1000年前の魔王の生まれ変わりで呪い付きらしい。

 バルザスの促すまま、素直に屋敷への帰路に就くことにする。

 ふと、アラタは今更ながらに周囲が夜にもかかわらず良く見えることに気付く。

 何故だろうとその原因を探してみると何てことはない、それは空に存在していた。


(知らなかった。月ってこんなに明るかったんだ。街の明かりは夜でも昼間みたいに周囲を照らすけど、月明かりは何だか優しい感じがする。……何かこういうのも悪くないな)


 バルザスの屋敷までの帰り道を月明かりが照らしている。

 所々暗がりが見られ、やや頼りない光かもしれない。しかし、その明かりは優しく漆黒の世界を照らし続けていた。

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