第5話 狼の怪物王

 巨大な狼の怪物の姿を確認し、アンジェが溜息ためいきをつく。


「君はあの化け物がいるって知っていたのか?」

「一般的にファングウルフが20頭いるときは、その群れを1頭のカイザーウルフが率いているとされています。先程処理した群れは丁度その位でしたので、おそらく……と考えていました」


 アラタの疑問に対して明瞭簡潔に返すメイド。

 先程から、彼女の表情が険しかったのは、あの化け物の存在を予見していたためであったとアラタは今気付く。

 そう考えていた矢先、カイザーウルフの周囲に新たなファングウルフの群れが現れた。

 その数は先程よりは少なかったが、カイザーウルフの存在により一層凶暴性が増しているように見える。


「あら、まだファングウルフもいたのですね。どうやら私が想定していたよりも大規模の群れのようです」


 冷静な姿勢を崩さないアンジェを見て、アラタは心底感嘆する―—『このメイドさん、只者じゃない』と。

 そう思った矢先、アラタは再び腕を引張られ、湖の中心に向かって吹き飛ぶ感覚に襲われる。

 よく見ると、アンジェはフィギュアスケートの選手さながら湖面を滑るように移動しており、アラタは彼女の優雅な所作に見惚みとれていた。

 しかし、巨大な水しぶきを上げながら自分達を追ってくるカイザーウルフの姿を目の当たりにし、自らの緊張感の無さを恥ずかしく思う気持ちと怪物に対する恐怖が再び襲ってくる。

 アンジェは、すかさずレインショットによる牽制けんせいとハイドロソーサーによる攻撃を試みるも、堅牢けんろうな肉体の表面を削るのみで、その効果は薄くカイザーウルフの勢いは殺せない。

 彼女は片手でアラタを掴んでいるため、戦闘に使えるのはもう片手のみ――少年は明らかに自分が彼女の足枷あしかせになっていると考えていた。


「アンジェ、俺を離してくれ! 俺は泳げるから大丈夫だ。そうすれば君も全力で戦えるだろ!」

「いいえ! 駄目です! もし私から離れれば、カイザーウルフが真っ先に狙うのは魔王様です。それに湖周辺はファングウルフが取り囲んでいます。運よく岸まで逃げることができても、状況は変わりません」

「それじゃあ、どうすりゃいいんだ!」


 まさに四面楚歌しめんそかの絶望的な状況であった。ふとアラタがアンジェを見ると、その表情にはうっすらと笑みが表れていた。


「安心してください魔王様。私達の粘り勝ちです」


 そう彼女がアラタにささやいた瞬間、湖の周辺で次々と爆炎が上がる。

 アラタが目をやると、ファングウルフ達がけたたましい鳴き声を上げながら焼き払われていく状況が確認できる。

 別の岸辺では稲光いなびかりのようなものが見え、更には思い切り吹き飛ばされるファングウルフの姿も捉えることが出来た。


「一体何が起きてるんだ?」


 アラタがそう思うや否や、視界には2人に突っ込んで来るカイザーウルフの姿。  「ぶつかる!」と思った瞬間、カイザーウルフの頭頂部に真上から何かが命中し、その巨大な身体は派手に転ぶようにして湖面を滑っていく。


「ごめん、遅くなって! 2人とも大丈夫?」


 上空から凛とした女性の声が聞こえ、アラタが目をやるとそこには1人の少女がいた。

 風になびくその美しい金髪は、月夜を反射し幻想的な雰囲気をかもしだしている。

 その一方で、右手には人1人程の長さの槍が握られており、彼女が一端いっぱしの戦士であることを示していた。


「助かりました、トリーシャ。ナイスタイミングですね」

「こっちとしては冷や冷やものよ。何でこんな所にカイザーウルフなんているわけ? こいつはもっと人里離れた山奥とか魔物の大量発生区域とかにいるはずでしょ?」

「この辺りも、その区域として例外ではなくなってきたということでしょうね」


 湖上で議論を展開する少女2人であったが、体勢を直しつつあるカイザーウルフを確認し会話を中断する。


「アンジェは岸まで撤退して。ファングウルフの群れは見ての通りセス達が一掃したから大丈夫。あのデカブツは私が仕留めるわ」

「分かりました。では後はよろしくお願いします。魔王様、岸まで移動しますね」

 トリーシャ1人を残し、アンジェは淡々と移動を始める。

「ちょっと待ってくれアンジェ。俺は大丈夫だから、あの子に加勢してくれ。1人であの化け物と戦うのは危険だ!」

「トリーシャでしたら1人でも大丈夫です。心配には及びません」


 アラタの心配を他所よそにアンジェは後ろを振り返ることもなく湖面を移動し、すぐに岸に辿り着いた。


 ――その頃、湖上での戦闘は一方的なものとなっていた。

 トリーシャは空中を素早く飛行し、あっという間にカイザーウルフとの間を詰め、再び頭部に槍の一撃をお見舞いする。

 槍の穂先に風の刃をまとわせ、切断力を向上させており、その威力の凄まじさにカイザーウルフは悶絶していた。

 その隙にトリーシャが穂先に魔力を集中させると、より一層風の勢いが増し、その影響で湖水全体が激しくうねり始める。


「すごい! まるで台風みたいだ」

「トリーシャは風の魔術を取り入れた槍術を得意とする魔闘士です。今回のような場合、カイザーウルフは水の抵抗で運動能力が著しく低下しますが、風の加護で空中戦を得意とする彼女には何の影響もありません。現状、彼女が敗北する要因はないと考えられます…………間もなく決着がつくはずです」


 目の前で繰り広げられる超現象に只々驚くアラタの横で、分かりやすく状況説明を行うアンジェ。


(まるでゲームのチュートリアルみたいに丁寧に説明してくれるな……もしかして説明好きなのだろうか?)


「特に説明が好きという訳ではありませんよ。トリーシャは魔王軍の一員ですし、紹介がてらと言った所でしょうか」


 アラタの心の声にアンジェは即座に返答する。


(エスパー!?)


 湖の岸辺で2人が緊張感の緩んだやり取りをする中、湖上ではトリーシャが止めを刺そうとしていた。


「これでおしまいよ! ストラグルエア!!」


 トリーシャは、槍の穂先に集中させた風の刃を勢いよくカイザーウルフに突き込むと、それは狼の怪物王の眉間に直撃し、瞬時に皮膚と肉を裂き、頭蓋骨と脳さえも穿うがつ。

 次の瞬間には、頭部の半分以上が吹き飛び、その巨体は力なく湖の底に沈んでいった。

 こうしてアラタを恐怖のどん底に落とした怪物は、どこか呆気ない最後を迎えたのである。

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