第2話 召喚

「んん……ん?」


 どれくらい意識を失っていたのだろうか、アラタが目を覚ますと周囲に花畑が広がっていた。花々の優しく甘い香りが鼻孔をくすぐり、幸福感と新たな眠気を運んでくる。


「眠い……あと5分だけ……じゃなくて! ここはどこ!? 花畑? えっ? 俺死んだの? なんで?」


 花畑で寝転ぶ自分の現状から、死後の世界を連想したアラタは自分のほほを思い切りつねって、これが現実か確認しようとした。

 だが、それは夢を見ていた場合にする対処法であることに気づき自らのパニックっぷりに少し気恥ずかしさを感じていた。

 更に頬をつねった際にはしっかり痛みを感じたので、これが夢ではないことが確認された。

 実際に夢の中で痛覚があるかないかは分からんけども。


「ちょっと待てー、よく思い出せ、確か停電して……それから……そうだ! 足元が急に光って滅茶苦茶まぶしくて、そして気を失ったんだ!」


 これまでのいきさつを思い出した結果、なぜ自分が花畑に寝転がっていたのか疑問は解決せず、アラタは途方に暮れていた。そんな時だった。


「良かった。どうやら無事にこちらに来られたみたいですね」


 アラタが振り返るとそこには1人の女性が立っていた。腰まで届く銀色の髪に切れ長の目、透き通るような白磁はくじの肌。自分と同じぐらいの年齢だろうか。 美人という印象ながらも、どこかあどけなさの残るその容姿にアラタはしばらく見惚みとれていた。


「あの、どうかされました? ご気分が悪いのですか?」


「えっ? あっ、いや大丈夫です。いたって健康ですよ」


 元気である事をアピールするようにアラタは大げさに両腕を挙げて見せたが、すぐに気恥ずかしさが押し寄せて手を下ろす。

 ただでさえ女性に免疫がないにもかかわらず、目の前には自分の経験上、最高の美女がいるのだ。アラタの緊張度はマックスになり、心には1ミリの余裕もなかった。

 こんなイベントが起きることが分かっていたら、もっと女子と話をして異性に対して免疫を付けておくべきだったと心の底から後悔していた。


(駄目だこりゃ。頭の中が真っ白だ。気の利いた言葉の1つも浮かびやしない)


 それは数秒それとも数分だっただろうか。2人の間には沈黙が続いていた。そのような中、口火を切ったのは意外にもアラタの方であった。


「いやー。きょ、今日はいい天気ですね。そういえばね、俺バイト帰りに変な光に包まれちゃって、これがすごくまぶしくてね、気を失って目が覚めたらお花畑で寝てたんですよー。一瞬あの世かと思っちゃって――」


 アラタは自らが持つ最大のトーク力を振り絞り眼前の美女に自然な感じで話しかけてみようと試みた。

 だが、その努力虚しく実際には妙なテンションかつ口早にまくしたてるような内容であり、徐々に尻すぼみするという散々な結果だった。


(ああああああ! 死にたい! 恥ずかしい! 穴があったら入りたい! 黙っときゃよかった!! しょっぱなからどもっちゃったし! 俺のコミュニケーション能力なんてこんなもんか!!)


 アラタが自己嫌悪に陥っている様子を一通り見た後にその美女は柔らかい笑顔を彼に向けていた。


「ふふっ。少しお疲れのようですね。ここで立ち話もなんですし、この先に私が勤めている建物がありますのでそちらに行きませんか?」


「えっ? いいんですか? 是非! 喜んで!」


 美女からの思いがけない誘いに対しアラタは間髪入れずに了承の意を伝える。


「では参りましょう。あと、申し遅れました。私はメイドのアンジェリカと申します、アンジェとお呼び下さい」


 自らをアンジェと名乗った美女は確かにメイド服を着ていた。アラタは言われるまでそのことに気付かなかったが、その事実を知り、美女にメイド属性が加わったことで歓喜のあまり自然と目から涙がこぼれ落ちる。

 アラタは足しげくメイド喫茶に通うメイド好きであった。


(神様……ありがとう。俺、生きてて本当に良かった! 後で写真OKか聞いてみよ!)


 そう思うと同時に自分は名前を名乗っていなかったことに気付くメイド好きの少年。


「あのっ、俺はムトウ・アラタっていいます。よろしく」


「はい、よろしくお願いします」


 花畑を出て森の開けた道を歩く中、二人の間には再び沈黙が続いていた。

 途中、アンジェに話しかけてみようかと思案するアラタであったが、花畑での失態を思い出し思いとどまった。

 そのような思いを数回繰り返すうちに2人の進行方向に建物が見えてきた。それは大きな屋敷でちょっとしたホームセンターよりも広く、所々植物のツタが外壁に伸びており、歴史を感じさせる外観をしていた。


「すごい大きな屋敷だね。ここで働いているって言っていたけど、本当に俺みたいな部外者が入っても大丈夫なの?」


「大丈夫です。それに部外者ではないですし。ここの主のバルザス様も、あなた様の到着を、首を長くして待っております」

 

 アラタの心配を他所よそにアンジェは淡々と話を進めていくが、新しい問題が浮上した。

 どうやらこの屋敷の主人はバルザスという人物で、自分の事を待っているらしい。 しかし、バルザスという人物には心当たりがない。何故会ったこともない人物が自分に会おうとしているのだろうか? そもそもここは何処なのだろうか? 自分はいったいどんなことに巻き込まれているのだろうか? いくら思案を重ねたところでこれらの疑問に対する答えが出るはずもない。

 しかし、この先に回答が用意されているのかもしれないのだから今はただ前に進む事だけ考えようとアラタは思い直した。


 屋敷内の長い廊下の先は広間になっており、そこの壁には幾つもの絵画かいがが飾られていた。それぞれ人物画であったり風景画であったり様々であったが、ふと1枚の絵がアラタの目に飛び込んでくる。

 それは、黒い鎧に身を包んだ青年の絵で、手に黒い剣を持っている。その青年の前方には巨大な黒い影がたたずんでいる。どうやらこの絵は青年と巨大な影との死闘を描いたもののようだ。


「その絵が気になりますかな?」


 絵に目を奪われていたアラタは急に声を掛けられて飛び上がりそうになったが、その声の主は絵画の説明を続けていった。


「それは〝魔王〟という題名の絵で、1000年前の魔王と破壊神の戦いを描いたものです。想像画ですが私も気に入っている作品です」


 絵画の説明をした初老の男性は呆気にとられるアラタの目を真っすぐに見つめ直し、続けて言った。


「お待ちしておりました。私はバルザスと申します。ここまでの道中、何か危険な事はありませんでしたかな?」


「あなたがバルザスさん? 俺はムトウ・アラタといいます。すみません勝手にお屋敷に入っちゃって。あと、特に危ない事はありませんでした」


 バルザスは自分の孫ほどに年の離れたアラタに対して親切丁寧に話しかけており、アラタは紳士というのはこういった人物を指す言葉なのだろうと思った。


「それは結構。あと、そちらにいるアンジェをあなたの元に向かわせたのは私です。もう聞きましたかな? あなたは我らにとって重要な人物であるということを」


「重要人物? 俺が? 俺はごく普通の高校2年生ですよ。埼玉生まれ埼玉育ちの一般的な〝庶民〟ってやつです。たぶん人違いだと思いますよ。……それよりここは一体どこなんですか? 気が付いたらこの近くの花畑に寝てて……家に帰りたいんですけど」


 不安感が一層増し焦るアラタを制し、バルザスは近くのテーブルで話そうと勧めた。2人がテーブルにつくと間髪入れずにアンジェが紅茶を出し、アラタはその早業はやわざに驚く。


「あれっ? ついさっきまでそこにいたのにいつの間に紅茶を用意したの?」


「ははは、アンジェは優秀でしょう。彼女は有名なメイド専門の養成所で素晴らしい成績を残しておりましてね。いやー、いつ紅茶を用意してくれたのか私にもさっぱりですな。さすがにもう慣れましたが」


「痛み入ります」


 アンジェは優秀なメイドさんであるらしいという情報をしっかり頭にインプットするアラタを他所に、バルザスは先程の会話の続きを始めた。


「アラタ殿。恐らく回りくどい表現はあなたをさらに混乱させるだけだと思うので単刀直入に話します。まず、ここはあなたのいた世界ではありません。ここはソルシエルという世界で、あなたからみれば異世界に当たります。あなたは我々によりこの地に召喚されたのです! この世界を! 救っていただくために!!」


「ひいっ! 近いっ! 近いよ!」


 テンションが上がり、にじり寄ってくる初老の紳士による直球ど真ん中の爆弾発言に、アラタは結局混乱し思考が停止状態になる。

 その様子をかたわらで見ていたアンジェは軽くため息をつき、どストレート発言の紳士に助け舟を出した。


「急な発言で混乱させてしまい申し訳ありません。ですが、今バルザス様が話したことは事実なのです。ここはソルシエルという世界になります」


「ちょっ! ちょっと待って! ソルシエル? 異世界? 俺は車にかれてもいなけりゃ、死にかけたりもしてないぞ! ただ帰り道を歩いていただけだよ?」


「車といった物が何であるのかは分かりかねますが、ここに来る前に光に包まれたとおっしゃっていましたよね。それこそが召喚の儀の転送用術式であると思われます」


 アンジェの発言からアラタの中で納得のいく回答が得られてしまった。自分が見知らぬ土地にいるのがあの得体の知れない光によるものだとしたら全てに辻褄つじつまが合ってしまう。

 そして、同時に紳士の爆弾発言の中に新しい疑問を持ったアラタは、恐る恐る聡明メイドに尋ねてみる事にした。


「あのー、先生すみません。ちょっと気になったところがあるんですけど。さっきバルザスさんが世界を救って欲しいとか言ってたと思うんですけど、聞き間違いですよね?」


 自分の聴力に問題があったと思いたかったアラタであったが現実はそう甘くはない。


「いいえ、事実です。私達はこのソルシエルを救うために、あなたをお呼びしたのです」


「……マジか。……つまり俺は異世界を救うために召喚された勇者ってことですか」


「いいえ違いますよ?」


 次々と噴出する疑問と爆弾発言に疲れ果てた埼玉出身の少年であったが、自らの勇者発言に対して顔を見合わせて不思議そうな顔をする紳士とメイドに質問を重ねる。


「それじゃあ、俺はいったいどういう存在としてここに来たんだ? 訳が分からないんだけど!」


「そんなの分かりきっているじゃありませんか。〝魔王様〟」


「……今……なんて言った?」


 いよいよ耳がおかしくなったと思ったアラタは再び聞き返す。今聞こえたのは救世主と一番程遠い存在のはずなのだ。


「〝魔王様〟とお呼びしたのですが、それがいかが致しました?」


「……人を馬鹿にするのもいい加減にしろ! 魔王って言ったら世界征服する方だろうが! あほらしい! 真面目に聞いた俺が馬鹿でした! さようなら!」


 激怒したアラタは2人の制止を振り切って屋敷を飛び出した。空には夕暮れ前に巣に帰ろうとする鳥達が群れを成して飛んでいた。

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