最終話 マリンスノー

MM地区 ベイブリッジ"海"


訪れた静寂。

声にもならぬ咆哮を上げる巨躯の獣と、剣を手に斬り抜けた少年。


それは時が止まったように一瞬の出来事で、赤が散らされたその瞬間に時計の針は再度動き出した。


全力を賭して放たれた音速の一閃。

それはエレウシスの秘儀を裂き、傷を大きく抉った。

4人の最大火力、そして垂眼の限界の一撃。

この二つを超える威力を叩き出すなどは到底不可能の筈だった。




それでも、その一撃は命には至らず。

彼はその場所で、足を止めてしまった……







もう一度駆け出すために。


「まだ、だ……!!」

踏ん張る。

己の速さの全てをその右足に蓄え、開放。

「俺は弱えからよ……一度で倒せると思っちゃいねえ……だから———!!」

もはやあの時に彼の身体は限界を迎えていた筈だった。


故にそれは限界超えたもう一閃ライトスピード


レネゲイドウイルス、それは人の感情に呼び覚まされ人に力を与える。

想いが、意思が、ただ少女を救いたいという願いが彼を限界の先へと誘ったのだ。


「一度でダメなら……もう一回……!!」


彼は一度倒れた。

己の弱さを嘆き、無力を呪い、何もかもを捨て去ろうとした。


それでも彼は立ち上がった。

護るべき物のため、少女の笑顔のため。


「何度だって……やってやる……!!」


己の弱さを受け入れ、それでも立ち上がることを選んだ彼が諦めるという選択を選ぶ日は————


「届けええええええええっ!!!!」


二度と来ないだろう。








————風が吹いた。







それは最初はそよ風で、次第に強くなっていく。


彼が剣を振るったその瞬間、それは勢いを増して全てを飲み込む。


風を纏いし護る刃は、エレウシスの秘儀のその体躯を両断。


風が吹き荒れ、肉は削がれ、もはやそれが形を留める事はままならず。


暴風の刃に斬り裂かれたそれは、比喩でもなく真っ二つに斬り裂かれていた……



そしてその中から少女がその中からその姿を現す。



「イリス……!!」

少年は駆ける。

痛みなど忘れ、傷ついた身体で全力で走る。

一歩踏み出す度に傷が広がり、血が滲むが、そんな事はもう彼の頭にはなかった。


宙へと放られた少女めがけ一気に跳躍し、

「つかまえた!!!!」

「タレメ……!!」

確かに小さな体をその手で、笑顔のままで抱え込んだ。



だが、まだ終わらない。

それは、遺産は最後の力を持ってしてイリスを取り戻そうとその巨躯を持ってして迫り寄る。

彼女を抱え走り逃げるが、それでは何も終わらない。


終止符を打てるのはただ1人、血溜まりの中で倒れ臥した彼女。

「マリアさん……!!」

あの攻撃を受けて、こんな声で彼女を起こせるとは思えない。

それでも彼は叫んだ。

彼ができるのはここまでで、呪いを断ち切ることができるのは彼女しかいないから。

何より、誰一人として欠けてなど欲しくないのだから。


彼の叫びが届いたかどうかは分からない。


それでも彼らの言葉に応えるように彼女の指が、彼女の周りに広がる血が、微かに動いたのだ。

「お願い……!!」

少女は手を伸ばす。

自分が救われたいとは思わない。

それよりも、大切な人が救われて欲しいから。


そしてその願いは、

「こうも、寝ているわけにもいかないな……!!」

彼女も同様だった。



全身に力を込め身体を起こす。べったりと纏わり付く己の赤。

普通の人間ならとっくに死んでいる出血量。

それでも生きていられるオーヴァードとしての生命力には今は感謝するべきにも思えた。


だが今、己を奮い立たせているのは純粋な力のみではない。


救いたいという願い。

守りたいという意志。


何より、R災害班マルコの隊長として、もう悲劇は起こさせないという"覚悟"が芯となって、その身体を起こさせた。



脚は動かない。

恐らくできて一歩踏み出すだけ。

古太刀を振り上げて振り下ろす事のみ。



だが、それが出来れば十分だ。



己に纏わり付くそれらを全て刀身に纏わせる。



己の身体など優に超える長さの一太刀へと変えて。


ただ一歩踏み込み。

「とどめだ……!!」


一気に振り下ろした。




一瞬だった。


垂眼とイリスまであと一歩の距離。

その一歩はあまりに短い距離だった筈なのに。

無情に振り下ろされた刃によってそれは二度と届かぬ距離へと変わった。


赤き刃が、無限にも思えた怪物の命を解き、散らしていく。



訪れた静寂。

それは全ての終わりを告げる無音。



解かれた命は次第に青き光を帯びていき、皆を包んでいく。


そして光が目を覆うほどに眩いものとなった瞬間————



—————————————————————



MM地区 ベイブリッジ


「うおおおおお!!ストライクモード!!」

「これで……15体目……!!」

『警戒を、第4波来ます!!』

『ひぇー、もうバテバテっすよぉ』


MM地区支部の面々は次々と現れる化物を薙ぎ倒し続けながら彼らの帰りを待つ。

「垂眼くん達が潜ってから30分……!!」

『本部の部隊による攻撃がもう時期始まります……!!』

だがその中でも刻一刻とタイムリミットが迫る。



————その時、海が弾けた。



瞬く間に青き光は大きく散り、それに触れた鯨達も同じように青き光となりて空へと昇っていく。

降り注ぐ無数の小さな青い光の粒。

それはまるで雪のようで、皆に触れればその傷を塞ぎ癒していく。

降り注ぐ祝福は海に、大地に、彼らに命を与える。

それは深海に散る宝石、マリンスノーのようで。

その光の全てが暖かで、肌に触れる度に優しさを感じ取れた。




そして海のあったその場所に、彼らは帰ってきた。



下ろされてすぐは少しふらついていたが、少女はしっかりとその地に足を下ろした。

「タレメ……みんな……ありがとう……」

その頬には涙が。

しかしその表情は先日までのように、いやそれ以上に眩しく輝いて見えた。


「いや〜、イリスさん、無事で何よりだわ……ははは……」

そういう彼も足元はおぼつかない様子で、少し身体がぐらついている。

彼らもまた同じように傷を負いながらも、確かに生きてこの場へと帰還した。

「マリアさん大丈夫ですか?」

「ええ……ゴフッ……何とかね……」

決して傷は隠せずとも、あの光のお陰か歩けるようになるまでには回復したようだ。


同時、彼の右腕に目がいった。

「その、黒鉄さん、な、治りますか……?」

「ん、ああ、これか」

思ったよりも軽い受け答え。それもそのはず。

「もとより義手だ。生きてればどうにでもなる」

よく見ればその断面からは火花が小さく散っている。

「義手なの!?初めて知ったよ……」

「まあ知る必要もないさ。こんな古い戦いの傷痕なんて」

「最高の義肢を用意しよう。カセットアーム、サイコガン、アガートラム、なんでも用意するぞ」

「できれば普通の義肢だと助かるがな……。それよりも————」

苦笑いと同時、黒鉄は残った左手でイリスの方を指差す。

「イリス……こちらに……」

「は、はい」

「貴方に、これを……」

「これは……?」


マリアからイリスに手渡された鬼切りの古太刀。

「貴方とエレウシスの秘儀はまだ完全に分離していない。でもこれがエレウシスの秘儀の力を封印してくれるでしょう」

優しく、古太刀を握ったその手をそっとにぎる。

「え、それって……私はこれからも生きてていいの……?」

確認するように、これが現実なのかどうかを確かめるように少女は問う。

「何の為にここまで来て死ぬような思いをしたと思っているのですか……」

「そりゃあ、君が生きててくれないとご馳走してもらえないからな!」

「ああ、生きたいのなら生きていいんだ」

「生きるんだ。そしてやりたい事を、夢を叶えるんだ」

「……うん、うん……ごめんね……そうだね」

それぞれの答えに少女はまた涙する。

それは決して悲しみではなく、幸せから溢れ出した涙だった。

そして少女は袖で拭い、決意を固めた様子で口を開く。

「私のやりたい事は、タレメにぱへをあげたい。そのためにお金がほしい。禅斗さん、マリアさん。私にもできる事……あるかな」


少女の言葉に、禅斗も真面目な表情で静かに答えた。

「私、いや、オレはな。子供を働かせるのは反対だ」

「私も概ね同意です。生き急ぐこともないだろうという感じですかね」

「その歳になるまでは学校に行ったり、習い事をしたり、友達と遊んだりそんな日々を送ってからそれでもなお俺たちみたいな事をしたいと思ったのならその時は、UGN一同が歓迎しよう」

「ええ、その時はマルコ班は貴方を歓迎しますよ」

「もしくは全然違う仕事だっていい。ぱへを作るパティシエでも、遊園地でみんなを笑顔にする仕事でも、その全ての道のどれを取るもイリスちゃんの自由だ」

「どちらにせよ、まずは人付き合いや勉学に勤しんでもらわねばな」

「だからお金を稼ぐのはその日までお預けだ。きっと垂眼なら何年だって待っていてくれる。その日まで精一杯楽しく生きること、それが俺の願いだ」

「もちろん!!生きてる限りずうっと待つよ!!」

「との事だ。まだもうしばらく叶える事は出来なさそうだな」

「がーーーーん……」

落胆するイリスの様子に皆は少し微笑ましく思い思わず口角が上がった。


「みんな待ってくれるようだし、ゆっくり叶える事だな」

「人生は長い。だけど、いい事を教えてあげよう」

「うん?」

「子供である間は仕事はできない。だけど『お駄賃』くらいなら……ね」

「お駄賃?」

「お皿を洗ったり、お風呂を入れたり、布団を敷いたり……一緒に住む人のお家のお仕事のお手伝いをするんだ。そのご褒美がお駄賃さ。何万も……ってのは無理だけど、『ぱへ』くらいなら買えるんじゃないか?』

「一緒に住む人……」


少女がキョロキョロし始めると同時。

「ではイリス、私の元に来ませんか?」

マリアが優しい声で遮った。

「え、いい……の?」

「家が無駄に広くて部屋を持て余していたところです」

「今回ばかりはマリア、君に任せよう。『私』では保護者は務まらんからな」

「……ありがとう、マリアさん!!」

イリスは小さな体でマリアに勢いよく抱きついた。

ほんの少し揺らいだが、しっかりと支えその頭を優しく撫でた。



その時だ。

「隊長!!」

「支部長!!」

『マスター!!』

ボロボロになった彼らに駆け寄る仲間たち。

「垂眼クン!やったんだね!?」

「おお〜〜〜〜甘宮くん!!!!」

「ご無事で何よりです……隊長……」

「心配かけたな……アイシェ」

「お疲れ様です……支部長」

「しぶちょ〜〜!!無事ですか〜〜〜!!」

「アイシェちゃん!それに千翼に聖ちゃんも!!今回はみんなの大活躍だ」

『やりましたねマスター!!』

「ああ、ようやっと終わったよ」

彼らもボロボロながらも全速力で走ってその姿を確かなものにした。


「俺さ!!俺さ!!初めてあんなでっかいの倒したよ!!」

「やった、やったじゃんか!!」

「へへへっ……まあ俺、一番最後の美味しいとこだけ持ってっちゃったけど」

友と共にその勝利を分かち合う者もいれば、

「うひゃ〜〜皆さんボロボロじゃないですか!」

「マリアさんを特に早く介抱してやってくれ」

「大丈夫ですか、マリアさん……?」

「ああ、心配には及ばないさ」

互いと生存を確認し安堵する者達も。

『背中に乗ってくだせえ。帰り道くらいは楽してくださいな?』

「……今回ばかりは全面的にお前に頼らせてもらうよ、相棒」

そして彼らは彼らで互いの絆を確かめ合っていた。


そんな時、マリアの端末が鳴り響く。

マリアがそれに応答すれば、現れたのは日本支部の長、霧谷雄吾。

「皆さんお疲れ様でした。こちらでもレネゲイド災害の収束を確認。臨時部隊は解体しました」

「了解した。こちらも作戦目標の回収を完了、これより撤収する」

マリアがそのまま通信を切ろうとした時、霧谷が遮るように続けた。

「皆さん。私は皆さんのおかげで判断を間違えずに済みました。ありがとうございます」

画面の向こうで頭を下げる彼。

「何が間違いなど誰にもわからないさ。気にするな。それにこの判断が正しかったのかも……私にはわからないしな……」

マリアも彼の誠意にマルコの隊長として、彼に答えた。

「それでもあなた達の選択は最善だった。今はゆっくり休んでください」

「……ああ、感謝する」

称賛を受けると同時、彼女は通信を切る。


否や、垂眼が声を上げた。

「いやあの人の言う通り正しいでしょ、何言ってるんですか!!」

「今回は封印という形を取ることができたが、エレウシスの秘儀が復活するリスクはまだ残り続けている」

「そんなん絶対俺が復活させませんって!!」

垂眼は強い意思の下にその言葉を放つ。

「俺がちゃんとイリスさんが太刀を手放さないよう見守っておきますから!!」

『じゃあ俺も一緒に見守らせていただきますかねえ!!』

「うおなんだお前!?」

『フルグラの旦那の相棒っすよ!!』

「フルグルだ。朝食に出されても迷惑だ」

「ふふ……みんなで一緒にいると、まるでさっきまでのことが嘘みたいですね」

アイシェの言う通り、そこには先ほどまでの絶望は、苦しみは一片たりとも残ってなどいなかった。


「もう日付も変わってしまいました。子供達には遅い時間です」

「うわホントだ!!超過勤務じゃん!!」

「給料の心配ならするな、垂眼。福利厚生はうちのいいとこよ」

「お〜〜〜〜〜」

時計を見れば4時を回り、もうすぐ朝日が昇る頃だ。

「隊長、尾張さん、帰りましょう」

「……ああ、そうだな」

皆がそれぞれの足取りで帰るべき場所に帰っていく。


「垂眼」

その中で、黒鉄が少年を呼び止めた。

「一つだけお前に言いたいことがある」

「……なんです?」

彼は一瞬だけ俯き、顔を上げ彼の瞳をまっすぐと見つめ、厳かに口にした。


「お前は、決して弱くない。それだけだ」

彼はそれ以上は何も口にせず。

それでもその目が確かにそれは本心からだと語っていた。

「……嬉しいです。でも実力はまだまだ足りてないと思ってる」

それは、彼がこの戦いを戦い抜いたからこそ見えたものだった。

「俺、馬鹿でした。みんな俺より強くて、かっこよくて、それなのに俺を認めてくれたのに、一人で勝手に劣等感持っちゃって、馬鹿みたいに落ち込んで」

それは己が弱いと思っていたから。かつての彼は確かにその弱さを受け入れられず自ら道を閉ざしてしまっていた。

でももう、今の彼は違う。

「俺、今日からみんなの事を追いかけるよ。それで、もし誰かを助けたい人がいたら、今度は俺がそいつの手助けをしてやりたい、それができるぐらい、みんなぐらい強いヒーローになるよ!!」

強い意思の下に出された答え。

「……お前ならできるよ。誰よりも変わった、お前ならな」

黒鉄もただその答えに、表情を緩め、小さく微笑んだ。


「貴方が信じる道を進みなさい」

「先は険しいぞ。それでもやるんだな?」

「もちろん!!」

禅斗の問いにも間髪入れる事なく彼は快活に答えた。

「人を倒すは易し、人を愛すは難し。君は命を奪うその手でイリスちゃんを守り抜けるか。できるならオレは全力で支えよう」

「絶対にやってみせます!!もう俺は、へこたれませんよ!!」

「うん……頑張れ、タレメ!!私のヒーロー!!」


少年は一歩前へと足を踏み出す。

少女を守るため、この平穏が続くように、誰かの為に戦うヒーローになる為に。


そしてマリンスノーは降り続ける。

彼らの行先を、希望ある未来を祝福するように……


今、エレウシスの秘儀を巡る戦いは幕を下ろした……


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