第10話 正義

MM地区支部 病室


夜は更け、窓の外ではビルに明かりが灯る。

人々の営みの証であると同時に、地上の星空のようにも思えた。

そんな星空を眺めながらベッドに横たわるイリス。少女は今日撮った富士山の写真や、道中で買った青い花のポストカードを眺めていた。


そんな中、一人の青年が病室へと入ってきた。

「あ、黒鉄さん……」

「俺はいないものと思ってくれ。ただの警護だからな」

彼は部屋の隅の椅子に座り本を開いた。

音も立てずページをめくる様は不気味であるが、イリスは気になってそちらを何度も見てしまう。

「どうした、小腹が空いたのなら今はこれしかないが……食うか?」

懐からココアシガレットを取り出した黒鉄。


同時に、少女に一つの疑問が生まれた。

「あの、黒鉄、さん……」

「どうした?」

「えっと、聞きたいことがあるんです……」

「俺で答えられるなら、答えよう」

黒鉄は本を閉じ、椅子と身体をベッドに近づけた。


そして少女は黒鉄にその疑問を投げかけた。

「どうしてみんな、私に優しくしてくれるの……?」

少女にとっては初めてだったのだ。

「私はみんなに何もしてあげてない……私は何もしてあげてない……。私の力も求めない……それに私は、人じゃ……ない」

人は彼女に何かを求め続け、彼女も人に与えることでようやっと最低限の生活を得ていた。

「化物だって言われてきた……なのに、どうして?」

だからこそ余計に少女にとっては疑問だったのだ。

何の対価を求める事もなく、それでいて今までの誰よりも自分に優しくしてくれる、彼らが。


そして黒鉄は知っていた。

彼もまた、"人"ではなかったから。それでいて心温かな人達に救われたから。

彼女がそれを疑問に思う気持ちも、彼らの行動の原理も理解していた。

だから彼は、こう答えた。


「彼らが、ヒーローだからだ」

「ひーろー……?」

「ああ。救いを求める人がいれば誰だって助ける。そこにそれ以上の理由なんていらない、それがヒーローだ」

「ヒーローは、何もいらないの……?私は、みんなに何もできないの……?」

不安げに問いを重ねた少女。

黒鉄は表情を変えることはなくとも、優しく答えた。

「強いて言うならば君の笑顔を見たいんだ。だから、君は君が笑える人生を歩め。それが君を救いたいと願った、彼らに何かを返す唯一の方法だ」

イリスは言葉の半分くらいしか理解できなかったのか、少し首を傾げている。


「……何か、なりたいものはあるか?」

「なりたいもの……」

悩む少女。今まで未来のことなんて考えた事もなかった。

「まだ……わからない……」

だから必死に、必死に捻り出して、少女はそれを口にした。

「けど、タレメと約束したんだ。お金を貰って、タレメに美味しいものをあげるんだって」

その儚い願いは己の為ではなく、誰かの為の願い。

「優しいんだな……君は」

黒鉄は先程まで少女を自分に重ねていた。

だが、認識を改めるべきだと思えた。


少女は自分と違う。

誰かに利用され続け、世界の不条理に晒され続けていてなお彼女は、他人の幸せを願ったのだ。


————彼女は、彼らと同じ側だ。


彼はその答えを聞き、立ち上がる。

「アリオン、俺はしばらく席を外す。イリスの事を見ておいてくれ」

『あいよマスター。トイレとかですか?』

「まあ、そんな所だ」

ペンダントを外しイリスに手渡す。

「君はここにいてくれ。万が一の時は、こいつを頼るんだ。

「……はい」

しっかりと優しくその手を握りしめ、彼は後方のドアを開いた。


同時に廊下に響き渡るアラート。

彼は立てかけていたライフルケースを手に、廊下を駆けた。

『こちらアセナアイシェ、総員戦闘態勢を敷いてください!!MM支部周辺をマスターレギオンの“従者"と見られるものが包囲しております!!』

「こちらフルグル黒鉄了解。直ちに戦闘区域に急行する」


窓の外で光が上がる。

発火炎マズルフラッシュ、それも一つや二つではない。

本格的に彼らの攻撃が始まったのをこの目で確認する。

そしてそれぞれの部屋から彼らも姿を現す。

「寝てる間に偉いことになってて草」

「良い夢を見てたって言うのに……」

「だが、獲物が向こうからやってくるならこれほど楽な狩はない」

「全員揃ったか……」

集結した彼らも今戦場に向けて駆け出す。

来たる、決戦に向けて。


—————————————————————


MM支部前


夜霧に似た異質な空気。その中でじわりじわりと歩を進める鮮血の兵達。

騎馬に乗った者、銃を携えた者、盾と剣を構える者。百を超えるそれらがMM支部を取り囲むように部隊を展開していた。

「くそ……キリがない!!」

「ヤバい……テンションがもたない……!!」

「うひゃ〜〜沢山いる!!」

MM地区の精鋭たる彼らも対応しているが、確実に押され始め軍勢は既にMM支部の眼前まで迫っていた。


そして彼ら4人もその光景を目の前とする。

「ベルリンと同じ光景……か」

「観測!!ダメだ、なかなか打開できる世界線が見つからん……」

「一人で10人くらい倒せばいけるか……?まあ俺には無理だけどな!!」

「大丈夫です。倒せなければ死ぬだけです」

各々が戦闘態勢を取り、地を埋め尽くす紅の軍勢に立ち塞がった。


そしてその軍勢を掻き分けるように、中央からあの男が現れた。

「絶体絶命だな、UGN」

「……ヴァシリオス」

睨み合う黒鉄とヴァシリオス。その瞳には感慨も憎悪もなく、ただ明確な殺意だけを宿している。


「お前はマジで許さんぞ……」

剣を強く握りしめ怒りを露わにする垂眼。

「女の子に手を上げねえと理想を達成できねえくせによ……ずいぶん偉そうだな……」

彼は少女がどれだけの痛みを味わったか、そしてどれだけ心の傷を負っていたかをその目で確かに見ていた。故にその怒りは、ただならぬ物として彼の剣に表されていた。

「お前の理想はよく知らんけど、俺だったらもっと上手くできる……つまり俺の勝ちだ!!!!」

垂眼が剣先を向けると同時、ヴァシリオスは嘲笑うかのように口を開く。

「私の理想を理解できない、それもそうだろうな。UGNという檻に囚われる事に慣れた君には分からないだろう」

明確な敵意を向けるヴァシリオス。

「利用され、使い潰され、最後には存在すらも消され、救いを求める声さえも握り潰される……そんな地獄を、不条理を我々は強いられた……。そして君達のような結末を想像できぬ者たちがその地獄生み出して来たのだ……!!」

彼らの誰もがその地獄を知らずとも、彼のその言葉はその様を伝えるには十分だった。


だが、だからと言って彼を肯定することなどはできず。

「マスターレギオン、如何な地獄を経験していようが、どれ程崇高な理想を掲げていようが、貴様が新たな地獄を生み出した事実は決して変わらんよ」

冷たく淡々と告げるマリア。その手に握りし赫き剣は言葉と裏腹に彼女の怒りを体現する。

「人は痛みをその身で味わなければ学習しない。地獄を知らねば是正しようという考えにも至らない。故に私は"エレウシスの秘儀"を持ってしてこの世界を変えるのだよ、UGN……!!」

叩きつけられる彼の理想。

かつては正しきものであったとしても、今となっては歪んでしまった。


「お前は邪魔なんだよ、ヴァシリオス」

故に彼、尾張禅斗は冷たく吐き捨てる。

「オレたちはこの先の差別をなくしていくつもりだ。だが、お前のようにそれを第一とする奴らはいざ差別が無くなれば意義を失い、それを恐れ新たな差別を生み出す……」

それでも彼の瞳に宿るは決して敵意だけにあらず。

「お前の言い分は正しい。けどお前の言い分を認めて仕舞えばオレや仲間たちの今が、そしてお前が目指した真の理想が失われる。だからな————」

その眼差しは、変わり果ててしまった友を見るような。

「この世界のお前は、邪魔なんだよ」

哀れみさえも含んでいた。


そして続けるように、彼が問うた。

「ヴァシリオス。お前はお前の理想の為、あの子を利用したか?」

「ああ、しかし人とオーヴァードの不平等を是正するために必要なことだ」

即答。

「……そうか」

彼は小さく答え、ライフルに弾丸を込めた。

「ならば、報われぬ者の為と弱き物を利用したお前には正義などない」

そして口に棒状のそれを咥え、

「お前は、裁かれるべき邪悪だ」

怒りと共に吐き捨てた。

「弱き者を利用するのが間違いならば我々は?オーヴァードは?何が違う……!!」

「……何も違わない。お前の言う通り俺たちは食い潰されてきた」

もはや彼もその身で味わってきたからこそ、その言葉は否定できなかった。

「けどな、だからこそ俺たちだけはその道を選んではいけなかったんだよ、ヴァシリオス……!!」

それでも同じ道を歩んだからこそ、彼は彼の言葉を持ってして、その"在り方"を否定した。


「同じ外道として、貴様に引導を渡してやる」

青年は、その右腕に蒼雷を宿す。

「女を殴んない奴が正義だよ」

少年は、己が剣に風を纏わせる。

「オレたちが後世の正義になる。哀しいけど消えろ、ヴァシリオス」

男は、黒き魔眼を解放する。

「生憎私は正義などには興味はないが、これが仕事なのでな」

女は、両手の刃を赤で染め上げる。

「裁かれるべきはどちらか、思い知るがいい……!!」

そして"死の先へと行く者達がレギオン"が牙を剥く。


もはや言葉で語る事はできない。

心の刃を研ぎ澄ませ。

全身の血を使え。

蒼雷を爆ぜさせよ。

指先に触れたこの世界を守れ。


これは彼らの"正義"を賭けた、死闘である。


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