第02話】-(追いかけるだけ

〈主な登場人物〉

紬/イトア・女性〉この物語の主人公

奏多/カナタ〉主人公に想いを寄せる少年

──────────


 そして今日はその翌日。


 なんとなく一年が過ぎるとどうなるのだろうと漠然ばくぜんと考えてはいたけれど、こうして直面してみると私はかなり衝撃しょうげきを受けていた。


 どうせなら記憶の全てを消し去って元の日常に戻してくれてもよかったのに、とあまつさえ思ってしまう程に。そのぐらい苦渋くじゅうの選択肢に直面している。



「私、異世界に残ろうかな」



 ポツリと私はつぶやいた。

 奏多の身体が一瞬揺れたのが分かった。



「嘘……元の世界に戻るよ」



 私は視線を下に向け答えた。

 奏多が瞬時に私の方に振り向く。


「どうしてですか? 僕はてっきり紬は異世界に残ると思ってました」


 驚嘆きょうたんしてまばたきをする奏多の視線を横目で受け止めながら私は話をつなぐ。


「そうだね。あっち(異世界)には私の自信へと繋がるものが沢山ある。でも」


 私は風を受け視線を正面に向けて。


「奏多が前に言ってたよね? 欠片かけら集めの事。私はあっちの世界ではかなり集めたと思うの。欲が出てきたのかな……私が逃げ出したこの世界にもそろそろ目を向けないと、って」


 これが正論なのかもしれない。

 だけどこれが本音であるかと言われると戸惑とまどいが残る。


「でも、あっちの世界でみんなの記憶から消えてしまうのが本当はとてもつらい」


 私は今度はまぶたを閉じて風を受ける。下を向く。そして逆に奏多に問う。


「奏多はもう決めているの?」

「僕は、とっくに決まってますよ」

「え⁉──」


 奏多は即答だった。私は面食めんくらって奏多の方に振り向く。彼は、前髪を風に揺らし青藍せいらんの瞳を細め。


─────


「愚かだとののしってください……僕は紬と同じ世界に行きます」

「──っ⁉」


 なんの躊躇ためらいのないんだ瞳で、無邪気にも近い笑顔を私に向けてきた。私は目を大きく見開き、その青藍せいらんの瞳の奥をのぞき込む。


 何を言っているんだ。

 そんないとも簡単に。

 容易たやすく。

 堂々と。


─────


 私はカッとなってしまって顔が紅潮こうちょうした。そして勢いに任せて言葉を吐く。


「私がもし、異世界を選んでしまったら、奏多の家族の記憶から消えてしまうんだよっ‼……それでもいいの?」


 最後の言葉を告げる頃には人目もはばからず両手で奏多の胸元の服を握りしめ頭を預けていた。私の髪に奏多の息がささやく。



「そうですね……それでも、もう僕の一番は紬なんですよ」



 またしても私の瞳が大きく見開く。

 頭の中が一瞬からっぽになる。


 足元だけが視界に映るだけ。握りしめた手の力が少し緩む。全てを投げ捨てて私を選ぶというこの気持ちが切なくて苦しい。顔を上げると奏多はどこか儚げにいとおしく私に笑いかけてくる。


 その顔は少年ではなく大人の顔に見えた。


「ずるいよ……」


 私に決めさせるなんて。なんて卑怯ひきょうなんだ。またうつむき髪を垂らし私は泣きそうな感情を押し殺しまぶたを思いきり閉じ歯を食いしばった。目を少し開けると足元には私達の影が長く伸びていた。


「それじゃぁ、僕が決めた世界に紬はついてきてくれますか?」

「それは……」

 汗が流れる。


 奏多の事は嫌いじゃない。

 けれど、ついて行くとは言えなかった。

 彼を傷つけてしまっただろうか。


「僕のこと……邪魔ですか?」

「それは違うよ」


 自信のない声が私の心の中をのぞいてくる。

 邪魔だなんて思うわけないのに、何故聞いてくるのだろう。


「……良かった。僕は紬の生きる世界で存在したいんです」


 奏多は私の頭の後ろに手を置き自分の肩に引き寄せる。


「か……奏多、誰かがきたら……」


 私は奏多の胸元に置いた手を離し、逆に押し戻そうとする。奏多は、私の頭に置いていた手を背中に回しさらに強い力で引き寄せてきた。片手だけの力で私は屈服くっぷくさせられる。


「僕は全然気にしませんよ」

 私のひたいに口元を寄せて。そして言葉を続ける。



「僕が紬を追いかけるだけですよ。それに一瞬でも僕だけがいるこの世界を選んでくれました。それが何より嬉しいです」



 私のひたいに頬をり寄せて。こんな時なのに……奏多の一連の行為に何故だか胸が高なってしまう。そんな自分が嫌だ。


「奏多はそこまでして……私のことを?」

「今更。ここで手を離したら僕は絶対に後悔しますから。僕は僕に正直に生きます」


 こんなにも私の事を想ってくれていることに心が騒いだ。と同時に自分に正直に生きる……このいさぎよい言葉に、気持ちに、うらやましくも思った。


 それに、私だってこれだけ奏多と長い時間を過ごしてきたんだ。心のどこかでついて来てくれると言ってくれて安心している自分がいる。でも言葉に出すことは出来なかった。


「あの神も意地悪な選択を要求してきますね。でも僕は紬との記憶が消えないだけで充分です」

「……」



 私は正直な気持ちをつぶやいた。

「まだ、決められない……」



「はい……」

 奏多は私の頭を優しく撫でてくる。


 でも、今はそんななぐさめなんていらない。


 私の頭には異世界で起こった様々な光景が、それはまるで本のページが風でめくれていくように次々と溢れ出てきた。


 嬉しくて綻んだ事、悲しくて瞼を閉じた事、悔しくて唇を噛みしめたこと……。みんなの顔が、笑顔が思い浮かぶ。


 この溢れる気持ちをどう整理すればいいのか、今の私には荷が重すぎる。いくら頭を振ったとしても刻みこまれたこの記憶を消し去ってしまうことなんて出来ない。混沌こんとんとした気持ちの中で奏多は静かに口を開いた。


「紬、僕に一つ提案があるんです」

「……提案?」


 すがるように私がまた顔を上げると奏多は微笑んでいた。


「ちょっと最後にあがいてみようかと思いまして。ちょっと耳を貸してください」


 奏多が顔を下げ私の耳元にささやいてきた。

 私の瞳孔が大きく開く。


(迫られる究極の二択 終わり)

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