第10話】-(じゃあ、僕と逃げましょうか?

〈主な登場人物〉

紬/イトア・女性〉この物語の主人公

奏多/カナタ〉主人公に想いを寄せる少年

その他ギルメン〉エテル、ユラ

──────────


(紬/イトア視点 続き)


 私は頭からかぶっていた毛布をぎ取り恐る恐る窓に近づく。二日ぶりにカーテンを開け窓に手をかけた。


 窓を開けると風が吹きすさび、新鮮な空気がよどんだ空気と絡み合う。光に目を細めながら私は二階から見おろすと、道路から奏多がスマホを握り私に手を振っている姿が見えた。


 何故、私の家を知っているのだろう。一人しか思い浮かばない。揺由だ。すると奏多は今度はおいでと手の合図を送ってきた。


 私はその光景を他人事のように眺めていた。それが私に送っている事だと気がつくのに時間がかかった。うつむまぶたをぎゅっとつぶり唇をつぐむ。こんな時に誰とも会いたくない。


 でも……悩んだ挙句あげくパジャマから着替えおずおずと奏多の元へ向かった。


 身なりも適当で頭には寝ぐせ、目にはくまを作り奏多の前に姿をさらす。そんなこと気にする余裕すら私にはなかった。


 玄関から出て奏多の前に行くと、余程髪がぼさぼさだったのか彼は手で寝癖を直してくれている。それでも私は無抵抗で照れることも無く。


「私の部屋にくる?」

 この陽の当たる場所は私には相応ふさわしくない。


「え⁉ いいんですか⁉」

 奏多が目を丸くしている。


「うん。外にいるよりかは落ち着くし。片付いてないけどいいかな?」

「それは気にしませんけど、ご両親が心配するんじゃないですか?」

「うち、共働きだから。まだ帰ってこないから」


 機械的に動く私の口は、奏多を私の世界に招いていた。時刻は四時すぎ。奏多は下校の帰りに寄ってくれたのだろう。私は奏多を二階にある自室に通した。カーテンは閉じたままの薄暗い部屋。


 奏多が一瞬、躊躇ちゅうちょする表情を見せた。女の子の部屋という男性からすると羨望せんぼうと神聖な場所。私はそんなイメージを無惨むざんにも打ち砕いてしまったかもしれない。だけど、今の私にはどうでもよくて。


 片付けていないといっても私の部屋はゴミが散らばっているわけでもなく、どちらかというと無機質むきしつだった。ここが、少し前までの私の世界。


 そしてまたこの世界が私を呼んでいた。奏多にクッションを渡し床に座ってもらう。奏多はそこにあぐらをかいて座った。


 私はベッドの上に戻り毛布を頭からかぶり壁に寄りかかりひざを曲げて座る。こんなけがれた私の姿をさらすのが怖かった。同じ空間にいるのに、正面には奏多がいるというのに、私は奏多との間に境界線を張る。


 つかの間、沈黙が流れた。


「ごめん。明日は(異世界に)行くから心配しないで」

「そんな事はどうでもいいんですよ。何があったんですか?」


「聞いてないの?」

「詳しくは……でもあちらのユラにもこちらの揺由にも相談にのって欲しいと言われました。ユラは揺由のままですね」


 ちらりと奏多を見ると彼は微笑んでいるように見えた。今の私にはその優しい眼差しが苦しくて見ていられない。思わず顔を腕にうずめる。薄暗い部屋がさらに真っ暗になった。


「聞いてもいいですか? 何があったのか」

 奏多は優しい声色で私をさとす。


「話すだけでも楽に……」

「楽になる? それならとっくに話してるよっつ‼‼」


 私はカッとなって顔を上げると顔に熱を浴び奏多の言葉をさえぎり声を荒らげてしまった。これじゃあ……ただの八つ当たりだ。私は片手をひたいに当て目を覆いながら。


「……ごめん」

 奏多は──はぁ、と溜息ためいきをつくと。


「僕は男ですよ。紬が声を荒らげるくらい、まぁ、言ってしまえば平気です」

「言い方を変えます」

「?」


「何があったか話せ。それまで帰らない」

 お返しだと言わんばかりに奏多は私に反撃してきた。


 私の肩が跳ね上がる。普段聞かない低い声にたじろいでしまった。帰らない……奏多ならやりかねない。


 私は眉をひそめ視線を横にらし。少し考えたあと──ふぅと肩をおろすと観念しあの日あったことを話した。


 リミットの存在、私が暴走したこと。

 エテルの大切な人に残虐ざんぎゃくな仕打ちをしてしまったことを。

 時々言葉を詰まらせながら。

 思い出す度に瞳に涙を溜め込みながら。


 奏多は黙って聞いてくれていた。もしかすると何か反応していたのかもしれない。けれど私は奏多の顔を見ることが出来ず。


「私、どうすればいいのか分からない」


 一通り話し終わると私は混在こんざいする気持ちの中でつぶやいた。奏多だってきっと私を軽蔑けいべつ嫌悪感けんおかんを抱いているだろう。毛布にくるまった私ごと誰かさらってくれないだろうか。口には出せなかった「もう逃げ出してしまいたい」、と。


─────


「じゃあ、僕と逃げましょうか」

「──っ⁉」


─────


「あの世界は広いんですよ。街だって他にあります。それに力の有効期限まで時間もありますし、ギルドを抜けて、二人で旅をするのも楽しいかもしれませんね」


 奏多は元の声色に戻り。私の心をのぞいたかのような奏多の返答に私ははっと顔を上げる。奏多はさっきと同じように優しく微笑んでいた。



 ──瞬きが止まった私の瞳から一粒だけ涙が零れてしまった。



 私に儚い期待を持たせてくる奏多に私は問う。「奏多はついてきてくれるの?」、と。すると奏多はまた大きく溜息ためいきをついた。


「紬は忘れん坊ですか? 僕のそばにいろって言いましたよね⁉ それは逆に言うならば、紬から離れないことと一緒ですよ」



 ──二粒目の涙を零れさす。



 鮮明に思い出す光景。私はあの時、戦いを心の底から楽しんでいた。相手を支配できることにとてつもない満足感を得ていた。もし相手が仲間だったとしたならば私は自分を止めることが出来るのだろうか。


 怖い。自分が怖い。


 私の手はもうあの時真っ赤に染まってしまったのではないか。自分の手のひらを見ると赤く染まっているように見えてしまう。自問自答を繰り返しながら。


「私、またああなってしまうかもしれないんだよ? 奏多は私のこと気味が悪いと思わないの?……怖くないの?」


「思いませんね。僕は実際に見た訳ではありません。でもそんなに辛いのならもう戦いの場に行かなければいいんです。僕が紬を支えます」


 あっさりと、当たり前かのように、なんの躊躇ためらいもなく奏多は答え、微笑む。「立ち向かうだけが全てではない」と。



 ──私を否定しないその姿勢に三粒目の涙を零れさす。



「何でそんなに優しいの?……苦しいよ」

「自分だけが苦しいとでも?」


(続く)

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