第03話】-(足掻いても、足掻いても。

〈主な登場人物〉

紬/イトア・女性〉この物語の主人公

カナタ、エテル〉主人公に想いを寄せるギルメン

その他ギルメン〉ユラ、トゥエル、フルーヴ、他

──────────


(紬/イトア視点 続き)


「速く下がりなさいっつ‼ 急いでっ‼」


 顔をゆがめ両手を天にかざしたトゥエルが叫ぶ。先刻のゴーレムの召喚でかなりの魔力を使い、身体が今にも崩れそうになっている。これまで聞いたことのない金切かなきり声のトゥエルの声が私を立ち上がらせた。


 私は呪縛が解けたかのように黒竜を背に全速力で走り出した。汗や涙、体中の水分が身体の外に出ていく。


「はあっはぁっ……‼」


 私が逃げている方向には、始めに対峙たいじした黒竜の姿が見えた。既に体の半分までちりと化しもう動いてはいなかった。


「キャオオオオオオオオオンッツ‼」


 その時背後からケルベロスの悲鳴が背中に突き刺さった。振り返るとケルベロスは黒竜の前肢ぜんしぎ倒され吹っ飛び苦渋くじゅうに顔をゆがませ横転していた。近くには両膝をついたトゥエルが大きく背中を上下に揺らし呼吸をしている。魔力の使いすぎだ。


 私はくっと目を細めそれでも走る足を止めなかった。



 ここで立ち止まってしまったら……確実に殺されてしまう。



 情けない。トゥエルの元へ駆け寄る勇気がなかった。とてつもない恐怖が私の理性を奪っていく。


 向かう先にいつの間にか黒竜から距離を取っていたフルーヴの姿が見えた。フルーヴは逃げることもなくその視線の先に黒竜を見据みすえている。彼の周りには数百もの青い炎をまとった短剣が浮いていた。その切っ先は全て黒竜に向けられていた。


 ケルベロスが吹っ飛び視界が開けたと同時にフルーヴの手が黒竜目がけてかざされる。と同時に宙に浮いていた剣達は獲物を見つけた猛獣もうじゅうのように一斉に黒竜に襲いかかった。



 ──『堅剣猛炎ソード・インフェルノ



 数百もの剣が黒竜のうろこがし貫通し表皮に食い込む。傷口からは血が溢れている。これも最上級魔法。



 立て続けに具現化できるなんて……。

 これが、精鋭せいえいメンバーの力なんだと……。



 恐怖に抗う強い精神力と確かな実力。駆け出しの私がどうこう出来るものではない。逃げ出すことしか出来ない今の私では手を伸ばすことさえ許されない。それほどまでに私と彼らには大きなへだたりがある。


 フルーヴの攻撃を受け傷だらけになりながらも黒竜はひるまなかった。私や一緒に逃げている仲間の方に眼光がんこうを定め翼を大きく羽ばたかせ突進してくる。


 どうやら黒竜にも知恵があるようだ。トゥエルやフルーヴには目もくれず逃げまどう私達を標的にしている。弱肉強食の掟。弱いものから狩られていくのだ。


「おいっつ! あいつイトア達を狙ってやがる‼」

「くそっ‼  間に合わない‼」


 背中越しにユラの、仲間の、声が響いた。

 私は手も足もばらばらに動かしながら走った。


「はあっはぁっはあっ……‼」


 背中からゾクリと狂気を感じた。真横から風が吹いてくる。黒竜の大きな四本の爪が私に向かって振りかざしているのだと悟った。



 今度こそ……。



 そこへガンッと鉄が当たる音がとどろいた。私は立ち止まり恐る恐る後ろを振り返る。そこにいたのは大剣と槍で黒竜の前肢ぜんしを受け止めているエテルとカナタの姿。


「……んぐっ‼ 今のうちにっ‼」


 カナタが背中越しに怒声どせいにも似た声で私を駆り立てる。その猛力な黒竜の前肢ぜんしの勢いにあらがい、二人の足が地に食い込んでいた。エテルも槍と交差する形で大剣で前肢ぜんしを受け止めている。


 二人掛ふたりがかりでもしのげない前肢ぜんしの威力に私は圧倒された。確実に私を仕留めようとしてきた事が分かる。しかし無慈悲にも黒竜は、エテルに向かってもう片方の前肢ぜんしを大きく振りかぶりぎ払ってきた。


「──‼」

「エテルッッッツ‼」

「ぐふっっ‼……逃げ……ろ、……イトア」


 エテルは腹部にざっくりと爪が刺さり血を流していた。私の目は見開きこの光景を現実として受け止めきれずにいた。エテルは顔をゆがませそれでもその場から動こうとしない。



 なぜなら……後ろに私がいるから。

 私は震えあがり足元から崩れ落ちた。



「……なん……で?」


 汗と涙でぐちゃぐちゃな顔が問う。

 理由なんて分かっているのに私はおろかだ。


「……イトアを守って……いきたいって言っただろ……?」


 あれは、私に格好つける為に言った言葉じゃない。

 本気だったのだ。

 その言葉の重さをいやおうでも突き詰められる。


「そ……うですよ。ここで……イトアを死なせる訳には……いけませんからね」


 カナタが振り返り歯を食いしばり苦しみに満ちた顔から一瞬儚く私に笑いかける。


「カナタ……君も…言うように……なったじゃないか……ぐっ」

「はは……こんな時に……止めてください……よ」


 二人が食い止めている前肢ぜんしが、ジリジリと押し返していく。

 黒竜の眼光がんこうが、牙が、笑い始めていた。


「早く……逃げて」



「走れええええええええええええええええええええええええ‼」



 エテルの叫声きょうせいで私の身体は大きく揺れ頭のてっぺんから足の先まで戦慄せんりつほとばしる。立ち上がらなくちゃ……でも、私の為に立ちふさがってくれている二人を残したまま私はまた逃げまどうのか。恐怖と戸惑いと躊躇ちゅうちょとが頭の中でぐちゃぐちゃになる。


 私の気持ちが彷徨さまよっている間に黒竜はエテルの腹部に突き刺さしたままのその前肢ぜんしで、カナタもろとも邪魔なごみを振り払うかのようにぎ払っていった。


 私はただ……見ていることしか出来なかった。吹っ飛ぶ二人の姿を。


「エテルウウッッツ‼ カナタアアッッ‼」


 身体を震わせながらその言葉を、その名前を絞り出す。でも……その声に答えることはなくドサッという私の心を壊す音と共に二人は沈んだ。



 ……絶望だけが見えた。



 その様を一瞥いちべつし黒竜の鋭い眼光がんこうが再び私に向けられる。



 ──ゾクリ。


─────


 身体の底から凍り付いた。

 動けない。

 目をらせられない。

 そんな私の姿を見てニヤリと黒竜が笑う。


「逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」


 誰かの怒号どごうが聞こえた。

 気がつくと私は足を絡ませながら。

 嗚咽おえつを漏らしながら。

 黒竜に背を向け再び逃げ出していた。


 絶対的な力の差がそこにはあった。

 私が全力疾走したところで、黒竜にとってそれは瞬きと同じ。

 背中に殺意という名の猛炎もうえんまとわりついてきた。



「はぁっ、はぁっ……」



 なんで私はここにいるのだろう。

 私は醜態しゅうたいさらす。

 死に物狂いで走る。

 これから私は黒竜になぶり殺しにされるのだ。



 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い。



 頭がおかしくなりそう。

 皆が助けてくれたのに。

 自分だけ逃げだした。


 皆を見捨てた。

 涙で前がよく見えない。


「はぁっ、はぁっ……んぐっ」


 誰もこんなみにくい私を見ないで。



 誰か助けて、助けて、助けて、助けて。



 そうだ……これが本来のこの世界の形なんだ。


「だ……だれかぁ……」


 空虚くうきょの先に手を伸ばす。

 私はただ、今まで温いところに居させてくれていただけ。

 ここは死と隣合わせの世界なんだ‼



「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」

(く・っ・て・や・る)


─────


 黒竜が私にそう笑いながら言っている。

 舌舐めずりをしている。

 もったいぶっている。


 振り返ると大きな前肢ぜんしが私に向かって一直線に襲い掛かっていた。



「きゃあああああああああああああああああああああああっつ‼」



 今度こそ……ダメだ。



「止まらず走れえええっ‼」



 ──『魔法障壁マジック・バリア


 魔法陣で形作られた大きな盾が私と黒竜の前肢ぜんしとの間をはばんだ。視線の先には足元をふらつかせながらユラが私の方に手をかざしている。顔をしかめ息絶えだえにその目が早く逃げろと訴えかけている。


 私は一瞬止めた足に命令をしてがむしゃらに走り始めようとした──瞬刻しゅんこく



 ──ガシャリ。



 ガラスが割れるような、何かが木端微塵こっぱみじんになるような音が頭に反響した。



 ……何が起きたの? 身体がやけに軽い。



 気が付くと私は宙を舞っていた。スローモーションのように鈍い世界。視界には私と一緒に逃げていた人達も踊り狂うように舞っている。私の瞳に暗雲あんうんが映し出された。そしてきらりと光る黒いものが私をてまりにするかのように覆いかぶさってくる。



 バシュッッッ‼



 背中に強烈な熱さが走る。鈍い世界から一変し秒速で私の身体がぐんぐん加速していく。



 ……どこへ行くの?



 目の前に大きな岩が見えた。

 ──プツッ。



─────



 瞬きの先、私はどこまでも真っ白な空間の中にいた。

 誰もいない。

 何も聞こえない。

 何もない。

 私は悟った。


 ……死んだのだ、と。


 一歩足を進めると波紋が広がる。

 まるで水の上に立っているようだ。


(続く)

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