第286話

 自然の中を川が流れている。

 いや、温泉水が縦横に走っている。


 あたりに立ち込める湯気は、さながら地獄をおおいつくす瘴気しょうきのよう。


 この世の光景ではない。

 なるほど、アキラのいった通り、現世と極楽のあいだ。


 大昔の人がこれを見たら、温泉噴出口の向こうに、煮えたぎるマグマの世界を想像するかもしれない。


 水に手をつけてみた。

 ぬるい、2時間くらい放置したお風呂みたい。


 上流にのぼって、手をつけてみる。

 今度は温かい、なるほど、噴き出しているポイントが近いのか。


「ねえねえ、レンちゃん、向こう岸に渡ってみようよ!」


 アキラが手をぐいぐい引っ張っている。


「ちょっと、アキちゃん、危ないわ」

「大丈夫、大丈夫、僕が支えてあげるから」

「一緒に落っこちちゃう。だって、私、ドジだもの」

「落ちるときは2人一緒さ。おいでよ、僕のジュリエット」

「ッ……⁉︎」


 アキラが優しくフォローしてあげる。

 映画の王子様とプリンセスみたいに。


 レンは恐る恐るといった感じで、石から石へジャンプした。

 

 大成功!

 やった! と喜んでいる。


「リョウくんもこっちへきなよ!」

「はいよ」


 れている石で滑らないよう気をつけながら、リョウも対岸へと渡った。


 草津の観光名所のひとつ。

 西の河原公園。


 今日が日曜ということもあり、家族連れや老夫婦の姿が目立った。


 赤、黄、オレンジの紅葉がまぶしい。

『からくれないに水くくるとは』という有名な和歌があったような気がするが、ときどき落葉が流れてくるから、ひとたび雨が降れば、川面かわもはまっ赤に染まるだろう。


 川をどんどん上っていった。

 立ち入り禁止のチェーンが張られたところに突き当たり、観光できるのはそこまで。


 足湯がある。

 30人くらいが一斉に楽しめる大きなやつ。

 リョウ、アキラ、レンの並びで足をつけてみた。


「ふぅ〜」

「気持ちいい〜」

「あ〜、お母さんのお腹の中みたい」


 アキラがぷっと吹き出した。


「レンちゃんの感想、かわいいな」

「さすが、小学6年生」

「こら、カナタ先生、刺すわよ」

「怖い、怖い……」


 秋に旅行してよかった。

 夏だと暑すぎて、ここまで楽しめないだろう。


 アキラが写真を撮ってから携帯をポチポチする。


「この楽しさを誰かに自慢してやろう」


 まずは兄のトオルから。


『草津の朝だよ! いいだろう!』


 すぐに返信がきた。


『いいな、アッちゃん』

『温泉まんじゅう買ってきてよ』


 むふふ。

 味をしめたアキラは2人目のターゲットを探す。

 送信先に選んだのはキョウカ。


『おはよ〜』

『こっちは草津で朝散歩だよ〜』


 キョウカの返信も早かった。


『草津いいな〜』

『ご当地フェイスパック買ってきてよ』


『わかった〜』

『お土産買ってくる』


 むふふ。

 自慢を聞いてもらえて嬉しそう。


「次は誰に自慢しようかな〜」


 アキラが選んだのは劇団のメンバー。

 あのエミリィー先輩だった。


「マジで? 怒られないの?」

「大丈夫だよ。もう昔みたいにケンカしないから。日頃からコツコツ連絡するのが仲良しの秘訣ひけつなんだ」


 アキラが作文した内容は……。


『おはようございます!』

『いま草津ですけど、何かほしいお土産あります?』

『フェイスパックでいいですか?』


 エミリィー先輩の返信も早かった。


『せっかくの休みに草津とか……』

『あなた、本当に元気ね』

『お土産はなんでもいいわよ』


『温泉まんじゅうも買いましょうか?』


『そうね……』

『我が家のちびっ子に食べさせたいから』

『温泉まんじゅう何個か買ってきて』

『お金は後で払うから』


『いえいえ』

『代金のことはお気になさらず』

『日頃の指導料ですから』


 最後に猫のスタンプを送っておく。


 劇団のこと、リョウはしばらく見学していないけれども、アキラは着実に成長しているっぽい。

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