第280話

「あ〜、気持ちいい〜」


 湯の中で手をこすると、ツルッとした感触を楽しめる。

 プツプツした気泡が肌について、炭酸みたいに弾ける様子も楽しかった。


 抜けるような青空。

 イノシシが出てきそうな山々。

 この景色は100年後も変わらないのだろうな、と哲学者みたいなことを考えてみる。


 ちびっ子の兄弟がお湯をパシャパシャ飛ばして遊んでいた。

 それを父親がたしなめている。


 しょっぺぇ〜!

 お兄ちゃんの方が顔面を押さえて叫ぶ。


 なるほど、目に染みると痛いのか。

 きっと酸が強いから、病原菌に効くのだろう。


 壁の向こうは女湯。

 よく少年マンガで、主人公たちがヒロインの裸をのぞこうとするお約束シーンが出てくるが、ここは草津だから、もちろん不可能。


 ぐぬぬ……。

 アキラとレンが仲良くしているのか。

 な〜んか仲間外れにされた気分。


「お〜い、リョウくん!」


 気のせいかな。

 アキラの声が聞こえたような。


「お〜い! 聞こえているんだろう!」


 無茶苦茶しやがるぜ。

 リョウは湯から上がり、壁際まで寄った。


「おう、聞こえている!」

「あっはっは! やっぱり、いるじゃん!」

「勘弁してくれよ。バカな若者が都会からやってきたと思われる!」

「いいんだよ! バカは若者の特権さ〜!」


 アキラ、いま全裸だよな?

 そう考えるとちょっとエロいかも。


「アキちゃんのおっぱい、きれい」


 こっちはレンの声。


「やめろって。リョウくんに聞こえるだろう」

「もみもみチュッチュしたい」

「わがままっ子だな〜」

「えいっ!」

「きゃっ⁉︎」


 何やってんだ、あいつら。

 リョウは大人しく湯の中へ戻っておいた。


 途中、のどかわいてくる。

 給水コーナーがあったので、たっぷり補給しておいた。

 ふたたび肩まで湯に沈める。


 お風呂に入っていると、時々、良いアイディアが閃いたりする。


 欠点はすぐにメモできないこと。

 湯から上がって、リラックスしたころには、丸っと記憶が抜け落ちているのだ。


「まあ、いいや。マンガのことは忘れよう、忘れよう」


 たっぷり体を温めてから浴場をあとにする。


 お座敷へいくと、のぼせたレンが横になっていた。

 アキラが扇子せんすで風を送っている。


 なんだか色っぽい。


 そっか、アキラの髪のワックスが落ちたのか。

 ボーイッシュな女の子に戻っている。


「のぼせているレンちゃんもかわいいな〜。体の線が細いから、熱が回るのもあっという間なんだね〜」

「あぅあぅ……」

「脇をこちょこちょしよっかな〜」

「それはダメ……お願い」


 動けないレンのために、飲み物を買ってきた。

 牛乳と、コーヒー牛乳と、いちごオレ。


 どれがいい? とレンに訊いてみる。

 いちごオレ、と弱々しい声が返ってくる。


「ほらよ」

「ありがとう」


 アキラがストローを刺して口に近づけてあげる。

 レンは赤ちゃんみたいにチューチューした。


「レンちゃん、ひ弱だな〜。要介護の人じゃん」

「だって、温泉なんて、何年も入っていないから」


 温泉ごときでノックダウンするなんて、天才マンガ家も形無しといえる。


「ケッケッケ、レン先生、意外にかわいいところがあるよな」

「クソ生意気……刺すわよ、カナタ先生」

「刺されても全然痛くなさそう」

「こいつ……」


 いちごオレを飲み切ったレンは眠ってしまった。

 アキラは頬っぺたをプニプニして遊んでいる。


「レンちゃん、きゃわわ〜」

「アキラって、女のくせに女の趣味があるよな」

「そうなのです。レンちゃんみたいなロリロリが、昔から好きなのです。守ってあげたくなるのです」


 理由はわかる気がする。

 アキラはやや貧乳だから、自分よりも貧乳の女性を見つけると、安心するってやつだろう。


「無防備な寝顔がたまらないのじゃ〜」

「おっさんかよ」


 3人で川の字になって、お座敷でゴロゴロした。

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