第94話

「ほらよ、俺のおごりだ」


 アキラの目の前にホットミルクティーを置いてあげた。


「ありがとう」


 喫茶店の外には、針のように細い雨が降っている。


 アキラとアンナの口げんか。

 何てことはない、優しさと優しさの押し合いだった。


 アキラは体育祭の用具係に選ばれた。

 競技と競技のあいだに、道具を出したり仕舞ったりする担当だ。


 アンナは救護所テント係に選ばれた。

 怪我人を手当てしたり、保健室まで付き添ってあげる担当だ。


『不破くんは力がないから、用具係はムリだよ! 私の救護所テント係と交代しよう!』


 女性であることを隠したいアキラは、この申し出に猛反発。

 雪染さんに力仕事はさせられない! と拒否したのである。


 そこにやってきたのがリョウ。

 宗像くんはどう思う? とアンナに意見を求められたので、


『腕相撲をして、力比べに勝った方が用具係になればいいのでは?』


 と返しておいた。

 その結果……。


 小学生レベルの筋力しかないアキラは瞬殺された。

 アンナに用具係を奪われて、現在にいたる、という感じである。


 今日のアキラ、ちょっと変だ。

 いつもより意地っ張り。


 あと、力仕事なんて、普段のアキラなら絶対に避けるのに。


 そんなに怒っているのかな。

 リョウがチーム対抗リレーに立候補しなかったの。


「アキラには前にも話したと思うけれども……」


 陸上をやめて1年以上。

 そりゃ、平均的な男子高校生よりは速く走れる。

 でも、アキラが期待するようなスピードは出せない。


「アキラの記憶には、たぶん、去年の体育祭で走った俺の姿が焼きついているんだ」


 新しくやってきた転校生は、足がメッチャ速いらしい。


 話題になった。

 それも過去の栄光。


「今の俺がリレーに出たら、途中でバテて、情けない姿をさらすことになる」

「僕の方こそ、ワガママでごめんなさい。気持ちをリョウくんに押しつけていた」

「いいよ。気持ちなんて、誰かに押しつけるために存在するだろう」

「うぅ〜。そういわれると、僕が子どもみたいだなぁ」


 勘違いしていたかも。

 アキラ、本当なら体育祭に出たいんだ。


 ダンスの練習をして。

 アンナやキョウカと一緒に踊って。

 そんな当たり前がほしい。


 高一から高三までずっと蚊帳かやの外。

 みんなの思い出に一人だけ加われないのは悲しい。


「もし、僕が1日、リョウくんの体を借りられるなら、ソーラン節に参加して、創作ダンスもやって、競技に5つくらい出場して、1位をたくさん取って、みんなを大声で応援したり、円陣を組んだりしてみたい。そうやって、1日で3年分を楽しむ。心残りがないように」

「すげえ欲張りだな。俺の体で創作ダンスに混じっちゃうと、一人だけバケモノになっちゃうけどね」

「でも、誰よりも目立つよ」


 アキラは小さく笑って、ミルクティーに口をつける。


「俺が1日、アキラの体を借りられるなら、モテモテライフを体験したいね。たくさんの女の子から追いかけ回されたい」

「えぇ〜、欲にまみれた願いだなぁ〜」

「いいじゃねえか。一生一度くらい、限界までモテたい」

「あのね……まあ、いっか……リョウくんらしいや」


 ペンとノートを渡された。

 好きなセリフを書いてみなさい、といわれる。


「疑似モテモテライフだ。リョウくんが望むセリフを僕がプレゼントしてあげよう」

「マジかよ」

「これでも声優の兄妹だからな。要するにアニメキャラみたいな声を出したらいいのだろう」


 思いつく限りのセリフを書き出してみた。

 自分で書いておいて何だが、けっこう恥ずかしい。


『宗像くん、格好いい〜!』

『ずっと前から先輩のことが好きでした』

『あれ? 最近よく会いますね』

『そのボールペン、私とおそろいだ』

『べっ……別に……付き合ってあげてもいいわよ』

『リョウくんは私と一緒に帰るの!』

『いいえ、私と一緒に帰るのよ!』

『どっちが好きなの⁉︎』


 これをアキラは、女子高生A、女子高生B、女子高生Cみたいに、声を使い分けて演じてくれた。

 なんだよ、天才じゃねえか。


「どう? 満足した?」

「メッチャ満足した。でも……」

「ん?」

「アキラ、男の子だから。俺たち怪しい二人組だな」

「うはっ⁉︎ たしかに⁉︎」


 逃げるように喫茶店を抜け出して、小雨のなかを歩いていく。


「でも、実行委員に入ったから、完全に仲間外れじゃないだろう。そりゃ、用具係から外されたのは残念だろうが」

「リョウくんも、雪染さんも、勘違いしているようだけれども……」

「ん?」

「僕は用具係が好きなわけじゃなくて」


 この世に一個だけ。

 アキラがどうしても引き受けたくない仕事があった。

 それが救護所テント係。


「僕が救護所にいると、わざと怪我する女の子が出てくるよね」


 あぁ……。

 それは盲点だったな。


「僕のせいで生傷をつくる子がいるとか、僕のせいで例年の何倍も負傷者が出るとか、想像したら、すごい自己嫌悪になる。いや、ちゃんと手当てはするけれども……。ほら、ね……。僕はみんなを騙しているから」


 アンナは心がきれいだから。

 そこまで想像力が回らなかったのか。


 う〜む。

 リョウも指摘されるまで気づかなかったし。


「イケメン税だな。とりあえず、絆創膏ばんそうこうは多めに手元に置いとけ」


 一見するとベストに見えて、『不破アキラ』×『救護所テント係』の組み合わせは、最悪というパターンか。


「それじゃ」

「また明日」


 アキラの体育祭。

 どうにかして思い出にできないだろうか。


 こっそり玉入れに参加してみる?

 でも、アキラ、コントロールが致命的だろうしな。


 いや。

 もしかして。


 方法が一個だけあるかも。

 運の力を借りないといけないけれども。


「そんな偶然が起こったときは……」


 リョウにだけ許された可能性。

 ちょっと見えたかも。

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