第64話

 不破パパって⁉︎

 腕利きの外科医だったのか⁉︎


 超がつくサプライズに、宗像ファミリーの3人はお口をあんぐり。


 エリートの中のエリート。

 医療ドラマの主人公だって、基本、外科医なわけだし。


「お父さんが執刀しっとうするの?」

「そうだ」

「別の先生に代わってもらえないの?」

「これは決定事項だ。万全のコンディションで臨むから安心しなさい」


 不破パパは眼鏡フレームをくいっと持ち上げる。


「でもでもでも……」

「アキラ」


 温和ながらも、冷たい声がいう。


「ここは子どもが遊ぶ場所ではない。患者さんの命を預かっている病院なのだよ」

「ッ……⁉︎」


 アキラの瞳が揺れた。

 何かを言いかけて、歯を食いしばり、脱兎だっとのように出ていった。


「すみません、アレの母親に似て、直情型の子でして……」


 父の顔からドクターの顔に戻った不破パパは、看護師に声をかけると、何事もなかったかのように、あれこれ指示を伝えている。


 リョウは二歩、三歩と後ずさりした。

 母に目配せをして、アキラの後を追う。


 あいつ。

 泣きそうな顔をしていた。


 急にどうしたのだろう。

 父は立派なお医者さんなのに。


 ただの反抗期?

 ちょっと違う気がする。


 過去のどこかで、父と娘の心が衝突したのだろう。


 アキラの気持ちはわからない。

 天然記念物みたいな思考をするから。


 でも、今夜は……。

 今夜だけは……。


 リョウが側にいないとダメな気がする。


「ここにいたのか」


 中庭のベンチ。

 かぐや姫みたいに、物悲しそうな顔で月を見上げるアキラがいた。


「どうした? また悲劇のヒロイン症候群か?」

「リョウくん……」


 そっと横に腰かける。


「今日は色々なことがあるな」

「そうだね」

「家を出発したのが、遠い昔みたいだ」

「うん……」


 虫が鳴いている。

 優しいBGMみたいに心を揺らす。


「にしても、父さんが無事で安心したよ。母さんが大慌てしていたから。この一年で一番ヒヤッとした」


 しばらくの無言。


「なにも訊かないの?」

「訊かない。アキラが話すのを待つ。何時間だって待つ。犬みたいに待つ」

「リョウくんのそういうところ、ちょっと卑怯だ」

「卑怯でけっこう」

「うぅ……」


 アキラが前髪をいじくる。


「アキラのことなら、なんだって知りたい」

「それって、口説いてるつもり?」

「口説きたいのはアキラだけ」

「うぅ……イジワル」


 リョウもぼんやりと月を見上げた。


「この昔話をすると、僕はきっと泣くだろう」

「いきなりセンチメンタルだな」

「絶対に笑うなよ」

「笑わない」


 アキラが中学生のとき。


 仲のよかった友人。

 いや、相方の少女がいた。


 二人は演劇クラブのメンバーだった。

 アキラがヒーロー役をやって、友人がお姫様役をすることもあったらしい。


「僕たち、誕生日が同じだったんだ。顔や声は似ていなくても、双子みたいに息がぴったりで……」


 いつかプロの舞台に立てたらいいね。

 そんな夢を語りあう日もあったらしい。


 ところが……。


 運命のいたずらが降ってきて。

 二人はコンビを解消することになる。


「ひどい交通事故だった。ニュースでも報じられて、彼女のご両親も巻き込まれて……」


 彼女の父がER(救急救命室)へ運ばれてきた。

 執刀したのは、アキラの父。


「本当に……最初から……奇跡にすがるしかない状況だったんだ。誰かがメスを握らないといけなくて……お父さんは医師としての責務を果たして……そこに落ち度がないのは理解していて……」


 当時を思い出したアキラの目から、星のようなしずくがこぼれて、キラキラと落ちてゆく。


「僕はたぶん、この世で一番いってはいけない言葉を、お父さんにぶつけてしまった」


 パパのせいで!

 パパが死なせたんだ!


「お父さんだって悲しかったはずなのに。娘である僕が、ますます傷つけてしまった」


 リョウはハンカチを取り出した。

 ほらよ、とアキラに押しつける。


「本当に仲良しだったんだな、その友だちと」

「……うん」

「アキラも悲しかったんだな」

「……そうだよ」

「友だちと別れるのって、どうしてこんなに辛いんだろうな」

「……わからないよ……胸がキュッとなって……気が狂いそうなんだ」


 父の葬式のあと。

 彼女は母方の実家へ引っ越していった。

 今日にいたるまで、一切の連絡は取っていない。


「こんなに悲しい思いをするのなら、感情なんて最初から要らないって、あの頃は本気で思ったよ」


 アキラが幼児みたいな大声で泣き出した。

 こらえきれずにリョウも涙した。


 景色がぐちゃぐちゃに歪んで……。

 世界は、リョウと、アキラと、月だけだった。

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