第五章 夏休み(後)

第63話

 あの父が?

 会社で倒れた?


 信じられない。

 今朝だって、父親って生き物はけっこう強い、みたいなことを話していたのに。


 タクシーに乗り込み、都内にある病院へと向かった。


 手の甲をつねる。

 チクッと痛みが走る。

 やっぱり、夢じゃない。


 バカだった。

 父のいう、大丈夫、を真に受けていた。


 ゴルフをやって、飲み会に出席して。

 アルコールが抜け切らない体で休日出勤して。


 鉄人みたいに思えた父も、ありふれた人間なのだと痛感した。


「リョウくん、大丈夫?」

「大丈夫って、なんだろうな?」

「文脈によって、たくさん変化する。ありがとうとか、僕にできることはある? とか、安心してねとか。たくさん意味がありすぎて、七変化するカメレオンみたいに、心情だったり、関係だったり、シーンによって、ニュアンスを変える言葉」

「ごめんな。せっかくの花火大会なのに。病院にまで付き合わせて」


 アキラの手が伸びてきて、頭をなでてくれた。


「大丈夫、僕たちなら、来年はきっと」


 これは信じられる方の大丈夫だろうか?


 病院のロータリーについた。

 母から教えてもらった病室へ向かう。


 ドアに手をかける。

 中の会話がピタリと止み、四つの瞳がこっちを向く。


 そこで目にした光景というのは……。


「あれ? リョウ、早かったな」


 ケロッとした様子の父だった。


「父さん……」


 腕には点滴を打っている。

 顔色だって明らかに良くない。


 でも、数秒前まで母とゲラゲラ談笑していた様子なのだ。


「死にそうって聞いたから、慌てて駆けつけたのに」

「すまん、すまん。しかし、会社で倒れたというのは本当だ。気づいたら病院へ運ばれていた。何十年ぶりかの救急車だったから、びっくりしたよ」

「その割には元気そうだね」

「そう見えるか?」

「うん」


 父は少年みたいに笑う。


「夏祭りの日なのに悪いな」

「水臭いよ。俺たち、家族なんだから」


 その家族に含まれない人物が一人いる。

 リョウの体に隠れるようにして立っているアキラだ。


「あら、そちらのお嬢さんは?」


 母が水を向けると、アキラはぺこりと頭をさげた。


「はじめまして。リョウくん……じゃなくて、宗像くんと同じ高校に通っています、不破アキラと申します」

「あら、かわいらしい」


 心の準備ができていないアキラは照れまくり。


「二人はどういう関係なんだ? よく一緒にお出かけする仲なのか?」


 父が病人とは思えないニコニコ顔でいう。


「ただの友人だから!」


 リョウは質問を突っぱねる。


「そうです! 単なるクラスメイトです!」


 アキラも便乗してくる。


「ただの友人で、単なるクラスメイトなのね。ふ〜ん、それで近ごろ、勉強もマンガもがんばっていたんだ。リョウも隅に置けないわね」

「ちょっと、母さん」


 リョウの顔面がかあっと熱くなる。


 くそっ……。

 マズいな……。

 男装していないアキラを親に紹介する予定はなかったのに。


 高校を卒業するまで、アキラちゃんと進展はあった? と質問され続ける未来が待っていそう。


「それで? 手術はするんでしょ。日程とかは?」


 リョウは話をそらした。


「一度検査して、早ければ明日か明後日にはね。それがね、とても優秀な先生が担当してくださるの。心臓の手術をたくさん成功させているお医者様で……」


 コンコン。

 ドアをノックする音。


「失礼します」


 まずは看護師が、続いて白衣の医師が入ってくる。


 端正なマスクの男性だ。

 頭に白いものが混じっており、名医らしい風格を漂わせている。


「よろしくお願いします、先生」


 母が椅子から立ち上がってぺこり。


「私たちの息子と、その同級生です。夏祭りの会場からタクシーで駆けつけてくれました」

「そういえば、うちの娘も、今夜は納涼祭があるとかいって……」


 リョウは医師のネームプレートを凝視した。


 向こうもリョウを、より正確には、後ろに控えているアキラを、物珍しいものでも発見したような目で見つめる。


「どうしてアキラがここに?」

「どうしてお父さんがここに?」


 父と娘の声がぴったり重なった。

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