第38話

 アキラが残りの涙をぬぐったとき。


 あっ、やっちゃった。

 という小さい悲鳴がした。


 リョウのTシャツの胸元。

 涙でぐしょぐしょに変色している。


「気にするな。すぐに乾くさ」

「それもあるけれども……トオルくんが僕に教えてくれたやつ……」


 人前で男に恥をかかせるなよ、という忠告。


「思いっきり破っちゃったね。僕は本当にダメダメな女の子だ」


 反省するようにモジモジ。


「ば〜か、アキラがそつなくこなせるなんて、最初から期待していない」

「ちょっと、リョウくん!」

「だからさ、俺に落ち度があっても、少しは許してくれよ」


 リョウはうなじの部分をかきむしる。


 しばらくの沈黙。

 あれ? セリフを間違えたかな?


「ぷっ!」

「おい、笑うなよ」

「だって、恋愛マンガから借りてきたようなセリフなんだもん」

「ぐぬぬ……そうきたか」


 けっこう恥ずかしい。

 

「ごめん! また恥をかかせちゃったよね⁉︎ でも、人前じゃないからギリギリセーフなのかな⁉︎ だから許して!」

「いや、俺がアキラでも、同じことを指摘したかもしれない」


 二人そろって赤面。

 何やってんだろうね、自分たち、とデートを再開させる。


 アパレルショップの入り口をくぐった。


 真っ先に目についたのは夏祭りコーナー。

 浴衣ゆかたとか、周辺グッズとか、制汗スプレーとか。


 いいな、夏祭り。

 女の子と出かけたら楽しそう。


 かき氷でも食べて。

 一本のジュースを回し飲みして。

 きれいだね、といいながら花火を見上げて。


 でも、お祭りの会場って……。

 アキラにとっては苦痛だよな。


 人混みも、人いきれも、最強レベル。

 あと肩と肩が平気でぶつかるかも。


 死んでもいかない! とアキラはいいそう。


「どうしたの、リョウくん、浴衣に興味を示すなんて」

「いや……」

「もしかして、夏祭りにいきたい?」

「まあな」


 いや、そうじゃない。

 これだとお祭りデートに誘っているみたい。


「そうか、そうか」

「いや、アキラ、その……」

「リョウくんはマンガを描くから、お祭りの空気とか気になるよね。恋愛モノだと、鉄板のイベントだし……。でも、一人だとお祭り会場をウロウロしにくいだろうし……」


 ええぇぇっ〜!

 そっちのルートで攻めてくるの⁉︎


「そっか。僕が協力すればいいのか。リョウくんが一日でも早く傑作マンガを描けるよう、お祭りデート、前向きに検討してみるよ」

「ありがとう、メッチャ助かる」


 女子から夏祭りに誘われた。


 夢のような展開なのに……。

 この虚しさの正体は何だろうか。


「でも、アキラ、浴衣は着れるのか?」

「う〜ん、リョウくんは甚平じんべいだよね。僕だけ普段着だと、アンバランスに見えちゃうか」


 別に……。

 私服でも問題ないのだが。


「僕に浴衣を着てほしい?」

「そりゃ、まあ、可能なら」

「浴衣をまとっている女子の方が、インスピレーションを刺激できるってことだよね」

「無理はするな。夏祭りなんて、ラスボスみたいなものだ。雑魚モンスターを倒して、一歩ずつレベルを上げないと」

「でも、僕だってリョウくんの役に立ちたい」


 胸がキュンとする。


「いろんな僕をリョウくんに見てほしい」


 キュンキュンが強くなる。


 なにこれ⁉︎

 心臓がお祭りデートを望んでいる⁉︎


「だから、浴衣にトライしてみる」

「わざわざ俺のために? 本当にいいのか?」

「もし似合わなかったらゴメン! それだけは最初に謝っておくから! ほら、浴衣って、人を選ぶからさ!」


 アキラの頬っぺたが赤らむ。


「そんなことはない! アキラはかわいい! 浴衣もかわいい! かわいいとかわいいの足し算だから、絶対にかわいいはず!」


 リョウも負けじと言い返す。


「うん、ありがとう。勇気づけてくれて。僕の背中を押してくれて」

「アキラの浴衣姿に興味があるのは本当だから」

「僕もリョウくんの甚平姿を見たいな」


 じ〜ん。

 アキラ、お前、最高かよ。


「でも、僕が浴衣を着るとなると、たくさん準備がいるかも」


 ステップ1。

 まずは家で試着してみる。


 ステップ2。

 近所をちょっと散歩してみる。


 ステップ3。

 人気のない神社かお寺で写真を撮ってみる。


「それから小さなお祭りにいって、慣れてきたら花火大会のある大きなお祭りにいってみよう」

「おう、そうだな。俺もなるべく協力するから」

「マンガと浴衣、一緒にがんばろうね」


 小さくガッツポーズ。


 理由はどうであれ。

 この夏、アキラの浴衣姿が見られるなんて。


 リョウにとっては大金星なのである。

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