第二章 一学期(後)

第17話

 エントランスに若い女性が立っていた。

 ゆるくカールした髪が背中まで流れている。


 チラチラと目が合う。


 まだアキラの姿が見えない。

 そろそろ待ち合わせ時間を過ぎるのだが。


「あの……」


 女性が声をかけてくる。


「む……む……むむむ……宗像くん!」

「うおっ⁉︎ アキラなのか⁉︎」


 コクコクとうなずいてくる。


「お……おはよう」

「おう、おはよう」

「きょ……今日はいい天気……だね」

「いや、けっこう曇っているぞ」

「ひゃ⁉︎」


 かわいいソプラノ声が響いた。


「アキラ、一晩でびっくりするくらい髪が伸びたな」

「地毛じゃない! ウィッグだ!」

「あ、話し方が元に戻った」


 なるほど。

 声音こわねを使い分けているのか。


「もっと女性寄りの服装でくるのかと思った。カーディガンとか」

「失礼な! どっからどう見ても女の子だろうが!」


 パーカー、デニム、スニーカー。

 つまり先週とまったく同じである。

 首のシルバーアクセサリーは外したみたいだが。


「あっ……」

「どうしたの、リョウくん」


 すごい⁉︎

 アキラに胸がある⁉︎


「ヘアスタイルだけで人の印象って変わるものだな、と思ってな」

「そうだね。髪の毛の存在感は大きいから」


 アホか、ドキドキするな、とセルフ突っ込み。

 この感情をアキラに悟られないよう視線を外した。


「ほら、いくぞ」

「うん」


 今日の目的地は図書館。

 ここから徒歩でいける距離にある。


 一個目の交差点のところで、アキラがリョウの袖口をつまんだ。


「どうした?」

「ちょっと怖い」

「マジか……」

「握ってもいい?」

「別に構わないが……」


 こういう絵面のカップル、ときどき見かける。

 まるで仔犬を散歩させている気分になる。


「近場なら余裕じゃなかったのか」

「それは調子がいい日だけ」

「今日はどうなの」

「見ての通り」


 微妙ってことか。

 心なしか歩くペースもゆっくり。


 途中、散歩中のチワワがグルルッと喉を鳴らして突進してきた。


 ひぇ⁉︎ とアキラ。

 ごめんなさい! と飼い主。


 アキラのかぐわしい匂いが、犬にトラウマを呼び起こさせたか。


「おい、チワワ相手にビビるなよ」

「だって、怖かったんだもん!」

「先が思いやられるぜ」

「もうっ!」


 いちいち表情がかわいい。

 あと女の子に頼られると楽しい。


「インセンティブ……」

「えっと……ご褒美ほうびのインセンティブ?」

「うん、僕のリュックの中に、おいしいバタークッキーが入っている。無事に図書館の前まで着いたら、リョウくんと半分こする」


 アキラは片手でガッツポーズをとった。


「だから、がんばる」


 おいっ⁉︎

 まさかっ⁉︎

 今日のアキラ、見た目だけでなく、頭の中身まで愛くるしいのか⁉︎


「おう、がんばろうな」

「うん」


 勘弁してくれ。

 これからテスト勉強をする予定なのに。


 いよいよゴールが見えてきた。


 ほっと胸をなで下ろすアキラ。

 そこに土木の作業服をまとった三人組が向こうから歩いてきた。


「うっ……」

「ああいう男らしい集団が苦手なのか」

「否定はしない」


 ようやくアキラの大変さが理解できた。


「ほら、もう大丈夫だ」


 リョウの背中に隠れて三人組をやり過ごす。


「ぷはっ!」

「おい、呼吸まで止めていたのかよ」

「なんか……無意識に……こっちの存在感を消したくて……」

「地上で窒息ちっそくとか勘弁してくれよ」


 苦戦しつつもゴール。

 ぶ厚いバタークッキーにありつく。


「これは重症だな」

「当たり前だ。この体質のせいで普段は男装をしているのだから」

「おっしゃる通りで」


 図書館を選んだのには理由がある。


 ここは書物の聖域。

 実家の次くらいにアキラが落ち着ける場所なのだ。


 横並びの席が空いていた。

 さっそくテスト勉強を開始するリョウたち。


 15分に1回くらいアキラを観察してみた。

 楽しそうに英語の問題を解いている。


 そっか、アキラ、勉強が得意だから。

 学校よりも楽しそうなのは、純粋にリラックスしているからだろう。


 11時が過ぎる。

 さらに1時間が経つ。


「ねえねえ、リョウくん……」


 アキラがヒソヒソ声でいう。


「外のベンチで一緒にお弁当を食べよう」

「もしかして、俺の分もあるのか?」

「うん、付き合ってくれたお礼」


 リュックから包みを取り出して、その片方を差し出してきた。


 女性の手づくり弁当。

 母以外からもらうのは人生初。


「なんか悪いな。俺だって自習のために図書館に来たのに」

「いいの。一人分も二人分も変わらないから。早起きして用意してみました」

「あ、女の子のしゃべり方になった」

「うるさい……図書館では静かに」


 春の天気みたいに、表情がコロコロ変わるアキラであった。

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