第15話

 アキラの目と口が『○』の形になる。

 露骨すぎるリアクションに、リョウはやれやれと首を振る。


「えっと……これは……」

「もう隠さなくていいぞ」


 恥ずかしいボロの出し方。

 よく今日までやってきたな、と感心せずにはいられない。


「にゃ〜お」

「どうした、急に?」

「もう猫になりたい」

「やれやれだぜ」


 泣きそうなアキラの腕を引っ張って、猫カフェから脱出した。


 少し前までポカポカ陽気だった。

 それが肌寒いくらいの北風になっている。


「……」

「…………」


 帰りの電車に乗る。

 けっきょく一言も交わさないまま家の最寄り駅についた。


「ひとつ謝っておくが」


 先に口を開いたのはリョウ。


「前から女だと気づいていた。その上で何も知らないフリをしていた」


 それらを正直に打ち明けた。


「前からっていつから?」

「わりと最近だ」

「そっか……」


 アキラが悔しそうに拳を握る。


「僕の方こそ、ごめん。ずっとリョウくんをだましていた」

「別に……何ひとつ損害は受けていない」

「でも、男のフリをしていた」

「それは悪いことなのか?」


 アキラが泣きそうになっている。


 映画館とは真逆。

 嬉しくない方の涙。


 そっか。

 本当に女の子なんだ。


 1%くらい残っていた疑いの心が、鉄板に置かれた氷のように、じわじわと溶けていく。


 透き通った肌も。

 きれいな髪も。


 絵画のように美しい。

 のだが……。


 今日のリョウにいわせると、祝福する気分になれない。


「卑怯だぞ! 自分から謝っておきながら、人の謝罪は受け取らないなんて!」

「おう、そうだな。とても正論だ。じゃあ、アキラも悪かったということで」


 周りの視線が痛々しいことにアキラも気づく。


「移動しないか。駅で痴話ちわ喧嘩げんかするカップルみたいだ」

「ぐぅ……たしかに……」


 いつもの喫茶店に転がり込む。

 奥まったところにアキラを座らせて、リョウは二人分のドリンクを買ってきた。


「リョウくん、本当は怒っている?」

「いいや、怒ってない」

「本当の本当に?」

「こんなことで嘘はつかない」


 アキラが前髪をくしゃりと握った。


「よかった」


 それから顔を持ち上げる。

 猫カフェを出てから久しぶりの笑顔。


「理由は訊かないの?」

「アキラにはのっぴきならない事情がある。それなりに苦労している。その二点が確認できたら十分だ」

「なんかリョウくんらしいね」


 急にアキラが照れる。


「わりと最近気づいたということは、少なくとも二年生になってからだよね」

「そうだが……。何か気になることでも」


 リョウは背筋をピンと伸ばす。


「ううん。ここから先は僕からのお願い。どの生徒も知らない秘密を知っておいてもらいたい。きっと卒業までリョウくんにしか打ち明けない」


 アキラはドリンクで唇を湿らせた。

 そして、僕は女性モノの服を着られない、といった。


「マジか……」

「より正確には、女性モノの服を着て、人前に出られない」


 練習してきたセリフのようにスラスラとそらんじる。


「女子の制服だって、本当は持っている。でも、それを着て登校できる状態からはほど遠い。そういう体質なんだ」

「まだってことは、治そうとしているのか。治る見込みがあるのか」

「現在のペースで改善すれば、成人式で振袖姿になれると思う」


 一年くらい前。

 アキラは急に女性モノの服を着られなくなった。


 マインドブロック。

 心の拒否。


 アキラはそれを、女性モノの服が怖いよ症候群、と勝手に呼んでいる。


 スカートはダメ。

 ワンピースもダメ。

 もちろん水着なんて論外である。


 苦肉の策として、この地へ引っ越してきた。

 男子の制服を身にまとい、男子として高校へ通いながら、女子に戻れる日を待っている。


「部屋の中だとね、かわいい服も着られる。でも……」

「外出するのは難しいと?」

「そういうこと」


 しかしせない。


「LGBT制服あります、そもそも全員私服です、みたいな高校もあるだろう」

「それじゃ、ダメなんだ。情けない話をすると、男子の視線もちょっと苦手で……。僕が女子だと発覚すると、生理現象とはいえ、そういう目で見てくる男子はいるから」

「いやいや、俺だって、むしろ男寄りの男なのだが……」

「リョウくんは平気。理由は不明だけれども」


 そんなものか、と納得する。


「時々、挑戦している。女性の格好をして、近くの公園とか、本屋に入ってみるとか。日によって成功したり、失敗したり……」


 アキラには計画がある。


 少しずつ行動範囲を広げていく。

 単身でどこでも行けるようになる。


 いまは同伴者が必要だから、リョウがおあつらえ向きというわけだ。


「アキラの頼みなら断れないな」

「本当⁉︎」

「おう」

「だったら……」


 次の土曜日。

 アキラは女子の格好をする。

 エスコートのためリョウも付き合う。

 行く場所はその時に決めよう、と約束した。


「俺にとっては普通に遊ぶのと変わらない」

「僕にとってはかけがえのない一歩になるんだ」


 リョウはうなずいた。


「わかった」

「恩に着るよ」


 グラスの氷が、カラン、と小気味いい音を鳴らした。

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