51.アイノの挨拶
(……昨日の夜は、すっごく昔の夢を見ちゃったな。
カズラとアンゼリカとレティシアに初めて会った日だ。あんなことがあったからだな)
サザは謁見のためのリヒトの服を街の仕立て屋に取りに行き、帰りの道を馬に揺られていた。
リエリは、近衛兵や町の人に不審な人を見ていないか聞いてくれたそうだが、特に手がかりは無かったそうだ。
(これからは平穏に暮らせると思ったのにな。
あと、ユタカにも心配をかけてしまった)
サザはユタカに疑惑を持たれた夜のことを思い起こした。
その翌日からも、ユタカは何事も無かったかのようにサザに接してくれた。
しかし、サザを見つめるユタカの真っ直ぐな瞳の奥に、言いようのない淋しさのようなものが混じっているのを、サザは見逃さなかった。
二人の関係は、何かが決定的に変わってしまった、とサザは思った。
それがすべて自分のせいであることが、サザを一層苦しくさせる。昨日のユタカの悲しそうな顔を思い出すとすぐに涙が出そうになってしまう。
来週はユタカの誕生日で、トイヴォへ国王への謁見の予定でもある。こんな気持ちのままでは不安もあったが、行くしかない。
そんなことを考えていたら、サザはあっという間に城に着いてしまった。
—
城へ帰ってくると、ユタカが来客に対応していた。
ユタカと同じイスパハルの軍服を着ている比較的小柄な女性だが、見たことの無い人だ。剣は持っていない。
年はユタカと同じくらいか。
美人と呼ばれる部類に入るであろう、通った鼻筋とはっきりとした目鼻立ちだ。
真っ直ぐな緋色の長髪を後頭部の高い位置で結んでおり、同じく緋色の瞳がゆらめく炎のように美しくきらめいている。
髪の色と軍服の群青色の対比が目に飛び込んでくるようだ。
「サザ。ちょうど良かった。紹介するのが遅くなっちゃったけど……アイノ・キルカス少佐だよ。
国王陛下とルーベル大佐の計らいでイーサに派遣してもらってたイスパハル国軍をまとめてもらってた魔術士で、イーサの魔術の痕跡の検査官でもある。
そして、おれの軍の同期だな」
「サザ夫人、申し遅れました。軍の魔術士のアイノ・キルカスです。
私はユタカの管轄では無く、国王から直々にイーサに派遣されていたので、なかなかお目にかかる機会がなくて。
しかも、ヴァリス・ルーベル大佐の命でイーサから撤退することになったため、もうお会いできる機会もあまりないと思うのですが……
最後にと思い、ご挨拶に上がりました」
アイノは爽やかに微笑み、サザに姿勢良くお辞儀をした。笑うと美しさが際立つ感じがする。やはりきれいな人だ。
「わざわざ、ありがとうございます。今までお世話になりました」
サザも頭を下げた。
「アイノがちゃんと敬語使ってるのを聞くのは珍しいな」
「は! 当たり前だ。お前ではなく夫人だからだ。
領主だからって、ユタカには絶対に敬語なんて使わないからな!
大体、勘違いしてもらったら困るが、私はお前じゃ無く夫人に挨拶に来たんだぞ!」
アイノはユタカに向き直ると急に眼光を鋭くして悪態をついて言ったが、ユタカは慣れているようで笑っている。
サザには美しい笑顔を見せていたアイノの態度の豹変ぶりに少したじろいだ。
「サザ。
アイノはおれが国王の直下に着く前に戦場で「組み」になってた相手なんだ」
「へえ、そうだったんだ……」
ユタカが言った「組み」というのは、攻撃魔術士という職務に特有の戦闘形態だ。
攻撃魔術士は魔術によって広大な範囲へ甚大な打撃を与えることが出来る、戦場では欠くことの出来ない存在だ。しかし、剣士や暗殺者と違い、その人間自体は戦力を持たない。
また、攻撃魔術を発動できる範囲はどんなに熟練した魔術士であっても自分の周囲百メートル程度が限界で、強力な魔術では呪文の詠唱に数分かかる場合もある。
そのため、呪文を詠唱する魔術士は戦場のど真ん中に丸腰で存在しなければいけなくなってしまう。
魔術を使おうとしている魔術士は直接攻撃されればすぐに死んでしまうため、戦場では魔術士と組みにした剣士を配置して、魔術士が呪文をきちんと詠唱する間の護衛をさせるのだ。
同期の上に「組み」になっていたなら一緒に死線を潜り抜けたこともあるだろう。
「おれの事をいけすかない奴だと思ってて口は悪いけど本当はすごくいい奴だよ。
魔術の腕もイスパハル一だとおれは思ってるんだ。
おれは剣術学校の主席だったけど、その年の魔術学校の主席はアイノだったし」
「お前はまたそう……何で相変わらずそんな素直なんだよ!!
領主だし強いんだからもっと威厳を出せよな!」
アイノが赤面しながら肩を怒らせ、ユタカを指差して怒鳴った。
「褒めてるんだからいいだろ?
ちなみに、アイノは二児の母で、おれや部下には厳しいけど、子どもには優しいんだ」
「厳しいだと……!?
同期のお前が優しすぎるから部下達に比較されるんだろうが!
こっちは鬼上司呼ばわりされて迷惑してるんだぞ……」
「分かった分かった。ごめんな。
……な? サザ。怖いだろ?」
怒ったアイノに、ユタカは慣れた雰囲気で笑い返す。
二人のやりとりにつられてサザも思わず笑ってしまった。アイノが額に手を当ててため息をついた。
「全く……お前は昔から本当に軍人らしくないな。
私は大佐の命を受けてから、息子たちも一緒にイーサに赴任してたからな。
この時期はイーサは蛍がたくさん出るから、見られて喜んでたよ。
それに、まあ、ユタカに何も無く済んだのが一番だ。
とりあえず、週明けに撤退する予定になったから、それまでに何とか片付けるよ。宜しく」
「ああ。アイノ。
今まで、おれを守ってくれて、本当にありがとう」
アイノはユタカの言葉に赤面して怒った顔をした。
「またお前は……!
正面切ってそういうこと言われると調子狂うんだよ! 用事は済んだからそろそろ帰るな!」
ユタカはああ、と言ってアイノに笑うと敬礼した。
ユタカとお辞儀をするサザに、アイノは真顔で敬礼を返し、赤い髪を揺らして颯爽と帰っていった。
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