34.盗み聞き
イーサの森が美しく色づく実りの秋が過ぎ、見渡す限りが雪と静寂に覆われる長い冬が訪れた。
寒いばかりの冬の好きな所が一つも無かったサザはイスパハルの中でも特に雪深いイーサで過ごす冬がとかく心配であったが、その不安はすぐに払拭された。
毛皮の民族衣装の上着は極寒の天候もものともしなかったし、犬ぞりで滑るように雪原を駆けるスピード感はサザの経験したことの無い快感だった。
他にも、秋に作った果実酒を温めて暖炉の側で飲んだり、澄んだ夜空に宝石の様にきらめく星やオーロラを見たりなど、イーサの人々は先祖から伝えられてきた、長い冬を健やかに過ごす方法を数えきれない程に持っていたのだ。
サザは気がつけばそんなイーサの生活の風景が大好きになっていた。
―
サザとリエリはリストにあった五十軒ほどの家を三ヶ月かけて周り、今日遂に最後の家で話を聞いてきた。
今日はユタカは近衛兵の人選のためにトゥーリと共に王都トイヴォに出かけている。泊まりの予定なので報告は明日になるだろう。
サザは昼前に城に帰って来て城の廊下と歩いていると、どこからかメイド達の話し声が耳に入ってきた。
洗濯室で洗濯物を干しながら雑談しているようだ。雪深いイーサでは冬は洗濯物が干せなくなる為に、洗濯物を干すための暖炉がある広いスペースが城内に作り付けられている。これもイーサ特有の建物の構造だろう。
少し開いた扉から洗濯室の中を覗くと、部屋の中には洗濯ロープが張り巡らされメイドや近衛兵の宿舎で使われるシーツやシャツが所狭しと干されている。連なった沢山の真っ白な布に隠れているらしく、メイド達の姿は見えない。
普段なら気にせず通り過ぎてしまう所だが、会話の中に「サザ様」という単語が聞こえたので、サザは思わず立ち止まり、耳をそばだててしまった。
「でも、サザ様ほんと変わってますよねえ。良い人ですけど。犬小屋の掃除なんて滅茶苦茶臭いきついし大変なのにやってるらしいじゃないですか」
(悪口言われて無くて良かった、かな)
サザは扉にもたれてため息をついた。サザが聞いているとは知らないメイドが話を続ける。
「でもお嫁さん候補の五十人目って聞きましたよ。領主様、英雄とはいえ酷いですよね」
「ほんとよね。でも、領主様って元々婚約者の方を戦争で亡くされてるって話しでしょ。幼馴染だったそうだし。結婚しないといけない決まりっていうのも酷よね」
(……そうなの? じゃあ私とも本当は結婚したくなかったのかな?)
サザがそう思った瞬間、自分でも驚くほどに心臓がずきりと痛んだ。怪我でもしたのかと思う程の痛みに、サザは咄嗟に胸を両手で押さえた。
(あれ? 私、何で今こんなに胸が痛くなったんだろ)
大きな痛みを伴って脈打った心臓の鼓動が、少し早くなっている。サザは思わず深呼吸をした。
(……変なの。風邪引いたのかな。とりあえず部屋に戻ろっと)
―
「あら奥様、おかえりなさい。今日は早かったんですね」
サザが自室に戻る途中で通りがかった廊下で掃除をしていたローラが、サザに声をかけてくれた。
「午後は犬ぞりの練習するつもりだったんだけど、何だか急に胸が痛くなっちゃって。ちょっと休もうかなって思って」
「まあ、大変!! 最近ずっとお出かけになられていたから疲れが溜まっていたんでしょうね。すぐネロ先生を呼んできますから、寝室でお休みになって下さいね!」
「え? あ、先生を呼ぶ程では無いから……」
「いえいえ、酷くなったら大変ですよ!」
ローラに半ば押し切られる形でサザは寝室に連れて行かれ、ベッドに寝かされた。程なくしてネロが診察に来てくれたが、取り立てて悪いところは無いそうで、疲れだろうとの診断だった。
身体を温める作用があるとネロに処方された薬草の一束を、ローラが煮出して薬湯にして持ってきてくれた。
驚く程の苦味に目を白黒させさがらも何とか薬湯を啜ると急に眠くなってしまい、サザが次に目を覚ますと日はとっぷりと暮れていた。
胸の痛みはもう感じず、身体も元気いっぱいだ。やはり少しは疲れが溜まっていたのかもしれない。
そこで急に寝室の扉が開き、慌てた様子のユタカが部屋に入ってきた。今日は泊まりの予定だったはずだ。
「サザ、大丈夫か?」
ユタカはサザが横たわっているベッドの傍らに座って、心配そうにこちらを見つめて、髪を撫でてくれた。サザはベッドから上半身を起こした。
「はい。ネロ先生の薬を飲んで寝たら元気になりました。でも領主様は今日は戻られない予定では?」
「後から来た近衛兵にサザが体調崩して寝てるって聞いたから、心配で帰ってきたんだ。残りは少しだったからトゥーリに代わってもらった」
「そ、そうだったんですか」
(私のことを心配してくれたのかあ)
サザはユタカが自分を心配して帰ってきてくれたことが嬉しくて嬉しくて、顔がにやけそうになってしまった。ユタカに気が付かれると恥ずかしいので矢継ぎ早に会話を続けた。
「午前は仕事に出かけて、遂に全部の家を回ったんですよ」
「そうだったのか……大したことなくて良かったけど、疲れてたんだろうな。でも遂に全部終わったんだな。何か分かったか?」
「ええ、少しずつ」
サザは、今までに人々から聞いた状況を説明した。
貧しい人の多くは、戦争で夫を失った妻と子どもの家庭だ。夫の収入で生計を立てていたので、妻が食い扶持を稼げる仕事を持っていない。仕方なく身売りしている人も多いという。
「彼女達は働きたい意志がありますが、その手段が身売りしか無いんです。それ以外の仕事が出来るようなスキルの訓練の機会が必要だと思います。
私も、自分の体験として、そういうものがあれば自信を持って生きられたと思います」
暗殺の仕事はサザにとってはある意味ではアイデンティティーであり、自信の源だった。自分の一部を失うような、大きな虚無感を伴った。
そういう、単にお金を稼ぐだけではない、自信の拠り所としての仕事の大切さをサザは貧しい暮らしをしている人たちと話して、改めて実感したのだ。
「身売りしかできないなんて。それは気の毒だ。それにイーサはただでさえ人手が足りていないから、働きたくても働けない人は何とかして労働力になってもらった方が良いな」
ユタカは手を顎にあてて目を伏せた。
「仕事は、スキルが上がれば報酬が高くなる方がやりがいを持って取り組んでもらえると思います。皆必死で生きています。小さな工芸品や宝飾品の加工は、技術を学べば家でも出来るので向いているのではないでしょうか。どんなに興味があることでも、技術にきちんと見合う報酬がもらえなければ仕事して続けられないでしょう」
「なるほど、よく分かったよ。早めに対策しよう。技術の訓練に国から助成してもらう方法が無いか、ヴェシに急いで調べてもらうよ。あと、工芸品の工房で内職に回せる仕事が無いか、近衛兵に聞いて回ってもらおう。思った以上だ。おれじゃとてもここまでは調べられなかったよ」
「少しは役に立てて良かったです」
サザが照れて俯いて言うと、ユタカが少し真剣な表情になった。
「サザ。おれはいつもサザに助けられてる。命すらもだ。もっと自信を持っていいよ」
「あ……ありがとうございます」
思いがけずユタカに頼まれた調査だったが、サザはこの仕事が出来て良かったと心から思っていた。
サザが出来ることなんて暗殺以外何も無いと思いこんでいたのだ。
この仕事を突き詰めれば、もしかしたらサザは、暗殺者でない自分の存在価値を見いだせるかもしれない。そのことはサザにとって、この上なく大きな希望に感じられた。
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