11.新婚初夜
部屋に戻ると、ユタカはベッドの上で上半身だけ起き上がり、ベッドの枕元に寄せてあるのサイドテーブルのオイルランプの明かりをたよりに本を読んでいた。
「お風呂、頂きました」
「おかえり」
ユタカはちらりとこちらに目線を向けて微笑んだ。サザもぎこちなく微笑み返す。
開いているネグリジェの背中を見られたく無いので、サザは素早くベッドに入り、背中をヘッドボードにぴったりと付ける。どうせ見られるとは分かっていても、自分から見せる気持ちにはなれなかったのだ。
「何ていうかさ……流石にさっき会ったばっかりだし、今から何かしようとは思って無いから、疲れてるなら寝ていいよ」
ユタカは本を捲る手を止めて頬を指で掻きながら、少し恥ずかしそうに言った。
「あ!? え、ああ……ありがとうございます」
自分が思っていたよりもずっと大きい声が出てしまった。意識していたのがばれたみたいでとても恥ずかしい。サザは少し赤面しつつ、もう一度ユタカの方に目をやった。
ユタカは本をランプの揺れる灯りが、シャツの前を開けたユタカの身体を闇の中に浮かび上がらせている。
(うわ……)
開けたシャツから見えたユタカの胸と腹は、思わず目をやってしまう位に傷跡だらけだった。
今までのユタカの雰囲気から、この人は本当に剣士なのかと疑ってさえいたサザだったが、この傷を見ると、戦場に立っていた人だということがありありと伝わってくる。
戦場では常に人数の足りない魔術医師は手一杯になるから、命に関わる傷でない者は治療を後回しにされたり、治療を受けられない事も多い。
肩口にある特に大きな刀傷を受けたときは、きっと生死をさまよっただろう。脇腹の二つの窪みは多分、短剣か矢か何かが刺さった跡だ。酷く抉れて残っているからこれも相当な怪我だったはずだ。
(私はこんな傷を受けたら、生きることを諦めずにいられるかな……)
サザはユタカと同じように戦う身として、自分ならどうするかを考えずにはいられなかった。
「こんなに傷だらけの奴、あんまり居ないよな。怖いだろ」
ユタカはサザの視線を感じたのか、翳った笑みを見せて言った。
「いえ、そんなことはありません」
サザは自分がユタカの傷をしばし見つめていたことに気がつき、首を大きく振りながら答えた。
「ただ、領主様の苦痛を思うと胸が痛みました」
サザは思ったことそのまま答えたが、ユタカはその言葉が予想外だったのか、虚を付かれたように眉を寄せた。
「……そんなこと言われたの初めてだな。人前で服を脱ぐことはあまりないけど、みんなこれを見るとぎょっとするんだ」
ユタカは読んでいた本をぱたんと閉じ、サザの方に顔を向けてじっとこちらを見た。
ユタカに見つめられると心を見透かされているように感じのは、この人の真っ黒な瞳が清らかな泉のように澄んでいるからだとサザは気がついた。その瞳に、見つめられる自分の姿が映るように感じるのだ。
背中の傷を隠しているサザは、今度はその視線に絶えられなくなり、思わずユタカの瞳から顔を背けた。
その時、ユタカが急に険しい顔をしてこちらに身体を近づけると、サザの手首を強く掴んだ。
(は、速い……!)
サザはあまりにユタカがすばやく動いたので反応が出来なかった。
「その、首筋の後ろの方。今、顔背けた時に見えたんだけど。怪我してるのか?」
(わっ!?)
ユタカがサザの手首を強く引っ張ったので、サザはへッドボードから背中を離してしまった。
ユタカはサザにぐっと身体を近づけて、肩ごしにサザの背中に顔を向けた。ユタカの顔の位置からは、サザの背中の傷が見えているはずだ。
少しの沈黙のあと、サザから身体を離したユタカがサザの目をまっすぐに見て、真剣な面持ちで言った。
「サザ。……これは」
「気持ち悪いですよね!」
サザは何か聞かれる前にと、思わずユタカの言葉を遮って俯いた。鍛冶職人の青年に吐かれた言葉がサザの脳裏に一気に蘇ってくる。
俯いたサザの方を真っ直ぐに見ているユタカの視線を感じながら、ぎゅっと目をつぶって、ユタカから投げられるはずの侮蔑の言葉を待った。
(もうやだ……帰れって言われるかな……私が、暗殺者じゃなくて『普通の娘』だったら、こんなことで悩まなくて済んだのに)
しばらくの沈黙のあと、目をつぶったままのサザは頭を優しく撫でる手の温かさを感じた。
「……そんなことないよ、気にしなくていい」
「え」
サザは驚いて思わず顔を上げてユタカの顔を見た。
「サザはおれの傷を怖くないと言ってくれたろ? それと同じだ。気持ち悪いなんて思わないよ。……可哀想に。痛かっただろ」
「……」
痛かったと言っても、ユタカはサザより遥かに酷い怪我をしている。それと比べたらサザの傷は、痕はあるにしても怪我の程度としてはかなり浅いものだ。
「あなたの傷に比べたらこんなものは、どうってことないでしょう」
「違う。おれは怪我するのは分かってて戦ってるんだ。サザの傷は、サザの意思と関係なしにつけられてるだろ。そんなことは絶対に許されない。こんなことをした奴は必ず罰せられるべきだ。だから、誰にされたのか教えてくれないか?」
「それは……」
サザを鞭打った目付役は、サザが組織を脱走する時に自分の手で殺したのでもういない。でも、そんなことを正直に答える訳にはいかない。サザが目を伏せて口ごもっていると、ユタカは別の意味に察したようだった。
「言いたくないならそれでいいよ。辛いことを思い出さなきゃいけなくなるからな。
おれはこんな事をした奴は絶対に許さないけど、それはおれの決めることじゃないから。でも、ひとつ言っとくけど。おれは、絶対にその傷でサザを判断したりしない。傷があるのはおれも同じだから」
(この人は、私の傷を見ても気持ち悪いと言わないのか)
サザはそう思った瞬間に、急に涙が溢れてしまった。
「わ……!?」
自分で自分の反応に驚いたサザは、思わずもう一度俯いた。涙がぽつりぽつりと落ちて毛布に染み込んでいく。俯く直前にユタカが驚いた顔をしたのが一瞬だけ見えた。
体に傷があることは、暗殺者としてのサザなら当然なので、気になることなんて今まで無かったのだ。それが、暗殺者でなくなり、自分が妻として、女であることを突きつけられた今、これからの人生の中で自分の身体の傷とどう向かい合うべきなのか、サザにはまるで見当がつかなかった。
サザは止まらない涙に俯いたまま、両手の甲で目をごしごしと擦った。
「……ごめん、そういうつもりじゃなかったんだ」
そういうつもりじゃなかった、なんて言葉は男が女を泣かせたときの常套句だろうが、この人は多分本当の意味で使っている。さっき見たユタカの澄んだ瞳にはそう思わせる説得力があった。
「……大丈夫です」
サザは気まずさのあまりに顔を覆って俯いたままぶっきらぼうに言うと、ユタカの顔を見ずに素早く毛布を被った。頭まで潜り込んで、身体を横向きにして膝を抱えるようにして身体を丸める。
(何で泣いてんだろ、馬鹿みたいだ)
気まずいので早く止まって欲しいと思うサザの気持ちとは裏腹に、涙は次から次へと溢れてきた。思ったよりもずっと強い気持ちに蓋をしていたようだ。サザは嗚咽を押し殺してずび、と鼻をすすった。
その時、布団の上からサザの背中にささやかな重みが添えられた。ユタカがそっと、サザの背中に手を置いたのだ。毛布を通して手のひらの温かさが伝わってきた。
(こないだ私が仕事見つからなくて落ち込んでた時、カズラとアンゼリカも私の背中を撫でててくれたな)
サザの涙はまだ止まらなかったが、背中に当てられた手の暖かさに、ざわめいた心が少しずつ落ち着いていくのを感じた。
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