第15話

 内海探偵事務所は雑居ビルの二階に構えている。現在、一階はテナント募集中である。以前まではマッチスティック・メンという会社が入っていたが、詐欺グループのダミー会社だったらしく、警察に踏み入れられ跡形もなくなった。消し炭になった。事情聴取がこちらにまで及び、もちろん無関係だったが、お巡りさんは疑る視線を終始向けていた。


 階段を上がり、扉の鍵を開けると事務所に入った。ストーブをつけ、内海は疲れた疲れたともらし、ソファーに座った。おれも内海の前のソファーに座る。

「なんやぶっさん、横に来いや。寒いやん」

「馬鹿言え」

 おれはそんなことより、仕事の話をしたかった。内海ならば、すでに何かしらの手がかりを得ているかもしれないし、情報やお互いの考えを確かめ合いたい。


「夜の九時三十分以降に来たという客人は、内海的には誰だと思う」

「なんや、いきなりそんな話かいな」

 内海はポケットに両手を入れると、足を組んだ。

「そうやなあ、友人、知り合い、行きずりで出会った女――でも外にあまり出ず、誰とも交友関係がない。行きずりの女と仲良くなれるほどの、コミュニケーション能力もなさそうや。ならネットか? ツイッターとかやと、文のやり取りやからな……。案外ネットの方が、顔が見えへんから緊張がないのかもしれん。ゲームのフレンドの誰かってことも、充分考えられる」

「おれもそうだと思う。その客人が見つかればいいんだが……。動機はなんだと思う?」

「今のところなんとも。近所の人に聞いても、印象は悪くなかった。あんまり挨拶もしてなかったのにや。岡島も協力的やったし、悪いことは言ってなかった。怨まれるタイプではないってことやろ」

 内海はポケットから手を出し、足を組むのをやめた。今度はおれが足を組んだ。顔では内海に負けているが、足の長さでは負けていなかった。切り取って俺にくれと、内海は言っていた。いらぬ脂肪ならばいくらでも送ってやりたい。


 内海は言った。

「組長は希望も込めて攫われたって言ったんやろうけど、無事でいるんやろかな」

「それはおれも考えてた、攫われたと信じたいけどな……。でもってことは、もともと針枝治を攫うつもりだったってことだよな?」

「遺体を運ぶためとも考えられる。行方不明にしておけば、警察も本気で動かへんと知ってたんやろ。もしくは親がヤクザの組長と知っていて、殺人と確定しない限り、通報はないと踏んだのかもしれん。治から事前に親の性格やらを聞いておけば、安易に想像がつく」


 なるほどと納得できたが、遺体を持ち去るという恐ろしい発想が、そう簡単に出てくるのだろうかと思った。殺すことが目的ならば、頭を殴り次の瞬間には立ち去りたい。犯人の自室で殺してしまったとすれば、遺体を別の場所へ遺棄するのもわかる。だが今回は相手方のアパートだ。大丈夫、バレやしない、すぐさま立ち去ってしまえばいい……それに長く留まってしまえば、証拠を残ってしまうかもしれないではないか――そういった逃げたいという感情が、勝りそうにも思う。


「犯人は一人かな? それとも複数犯? 冴木が見たのは一人らしいけど」

 とおれは尋ねた。

「一人やろうな。複数犯やったら、治をミニバンに積む時に手伝ってる。人は重いからな。しかもそいつが運転席に乗り込んだらしい、ドライバーがいたって線も消える。一人や。でも人を運ぶなんて骨が折れるで。自給が良くてもそんなバイトしたないわ」

「そんなバイトあるかよ。あったとしてもハローワークでは載ってないわ」

「それこそ針枝組の紹介でしかないな」

 内海はくすりと笑った。脱線しかけたので、おれはまた事件の話に戻した。


「襲われたと思われる時刻は、九時三十分から十時三十分のあいだ。岡島も十時四十五分頃にミニバンを見てる。で、冴木がミニバンを見たのは深夜の一時十五分。襲われたと思われる時刻からおおよそ二、三時間、なにをしてたんだ? 探し物? なにかの作業? トリックでも仕込んでいたのか?」

「なんやろなぁ。部屋を見た限りじゃ、なにかはわからんかった……。治のために、聖書やらお経を読んでたんかもな」

 ストーブで温まった体に、ぞくりと冷たいものが走った。襲っておいて身勝手にも祈るのか? 針枝治はそのあいだ、言葉を聞かされていたのだろうか。治が倒れているそばで膝をつき、ぶつぶつと唱えている、得体の知れない者の姿を想像してしまった。

「まあ三時間も読むんかっちゅう話やけどな」

 内海は言うと、鼻が痒いのか何度か擦った。


 おれはふと思いついたことがあった。内海に尋ねてみようではないか。足を組むのをやめると、前のめりになった。あらためて真面目な表情を作り、内海を見る。


「もし、隣人の岡島が犯人だったとすれば?」

「岡島? なんで岡島やねん」

 内海は腕を組み険しい顔を浮かべた。これほどまで露骨に怪訝にさせれるとは思わなかった。可能性の一つとして提示しただけなのに……なんだか怖い……。

「なんでそう思うんや」

「いや、物音を聞いたっていうのも、本当かはわからないし……」

「でも針枝治は攫われた、冴木はミニバンも見てる。どこへ連れ去るんや? しかも客人が来ると言ってたな、客人は異変に気づくやろ。それとも客人が岡島やって? 二人はそんなに仲が良かったか? 近所の聞き込みでそんな話は聞かんかった。しかも治は社交的な方じゃない、ちょっとしか話したことがないと岡島も言ってた。隣人と仲良くなるか?」

「そんな次から次に攻めるなよ!! ちょっと考えが浮かんだから、口に出してみただけだって」

「それにしては、一石投じてやったぜって顔してたけどな」

 図星をつかれたので、おれはだんまりを選んだ。内海は指摘を続ける。

「それに動機がない。隣人トラブルもなかった。交友関係も薄い」

「わかってるよ。おれも口に出してすぐに気づいたよ」

 おれは背もたりに力を預け、両手を後頭部で組んだ。

「でも可能性がないわけじゃないだろ?」

「確かに絶対とは言い切れやんな。ちゃうとは思うけど。でも、証明するために何かしらの推理を持ってると思ったのに、まさか手ぶらとはな」

「だから少し考えが過ぎっただけだって」

「まあそうやってポンポンと言ってくれた方が、思いがけず閃くこともあるしな。考えるために頭が動くからぁぁ――」


 内海は「はっ、はっ……」と声をもらし、鼻をぴくぴくさせ口を大きく開いた。今にもなにかを飲み込まんとしているのに、目だけは寝ぼけているように細めている。


 あれがくる――おれは瞬時に理解した。


 ぶえっくしょん!!


 内海は口と鼻を手で覆い隠し、頭を勢いよく振り下ろしながら、大きな声を出した。いや、声だけではないだろう。粘っこい液体もだ。


「うわ汚なぁ!」

 手を離し見ると、内海は顔を歪めた。先刻まで自分の鼻の中にいて、ばい菌の侵入を食い止めていたというのに、酷い扱いだ。

 内海は満面の笑みを作ると、こちらに向いた。悪巧みを思いついた時の顔だ。幼少の頃からその顔は変わらない。


「ぶっさん、ハグしよか」

「ふ、ふざけんなっ、速くティッシュで拭けよ!」

「ええやんか、ええやんか」

 内海は立ち上がると両手を広げた。おれも慌てて立ち上がり、横へずれソファーから離れた。内海も横へずれる。心臓の鼓動は速くなっている。体が熱くなっている。やられるわけにはいかない!

「良くねえよ!」

「辛かったら、黙って俺の胸で泣いてたらええねん」

「ハグされる方が辛いわ」

「なら俺の胸を濡らしたらええやんか」

「お前は俺の背中を鼻水で濡らすんだろ!」

「往生際の悪いやつだァ!」


 内海は床を強く蹴り飛びかかってきた。おれは情けない悲鳴を上げ、横へ飛び紙一重のところでかわした。勢い余り内海はよろめいたが、踏ん張り体のぶれを正した。首を捻り、ギロリとおれを睨みつける。友に向ける視線ではない。こんな状況じゃなければ、おれは殺されると錯覚していたかもしれない。被害者たちはこんな気持ちだったのかと、愕然とした。


 おれは背を向け逃げ出した。ホラー映画さながらだった。内海はそれでも手を広げ迫ってくる。

「ぶっさんおいでって!」

「いや遠慮しとくっ!」

「ええから!」

「良くない!」

「ええから俺に抱かれろって!」

「それ意味変わってんだろ!!」


 おれたちは数分間、事務所の中をぐるぐると回った。目が回るし息も上がる。それでも内海の執念は凄まじく諦めなかった。おれも必死で逃げた。どうすれば許されるのかと何度も考えた……。


「ほらぶっさん、遠慮せんとっっ――!」

「頼むからやめてくれ――!」


 内海の恐ろしい声とおれの許しを乞う声、そして二人の足音が、終始、事務所に響いていた。未だマッチスティック・メンが健在ならば、クレームを入れられていたはずだ。

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