第12話

 翌日、針枝治が住んでいるアパートへやってきた。アパートの前には入居者用の駐車場があり、そこへ車を停めた。アパートの塗装はクリーム色で、年月はそれなりに経っているようでくすんでいた。二階へ上がる金属の階段も少々錆びている。


 治の部屋は、一階の角部屋だった。内海が鍵を開けると中へ入っていった。

 1Kの間取りで、キッチンと部屋が繋がる扉は開いていた。部屋は七畳くらいであろうか。右手にベッドがあり、左手には机とディスクトップパソコンが置かれている。詳しいことはわからないが、安物ではないだろう。本棚には漫画が並べられ、ジャンルも様々だった。隣の棚には、ゲームのソフトのパッケージや映画のブルーレイが置かれている。


 内海は中腰になり、人差し指でブルーレイをなぞりながら、

「ソナチネ、ソナチネ……ああ、あったわ」

 引き抜くと、おれに見せた。赤黒い背景に、ナポレオンフィッシュがモリを刺され掲げられている。


「趣味に生きる男の部屋! って感じやなぁ、羨ましい」

 内海は部屋を見渡した。

 おもむろに視線が天井に向かい、おれもつられて見上げた。

 部屋の真ん中。花恋が言ったように、細かな血痕が飛び散ったようについている。空気に触れ時間が経ったため、乾燥し黒くなっている。先ほど見た、ソナチネの背景を思い出す。

「殴られたのかな? 鈍器かなにかで」

 おれは天井を見ながら言った。

「おそらくな、頭をいかれたかもしれん」

「天井まで飛んだとなると、強い力だなぁ」

「まあ、こつんとは殴らんやろ。軽痛(かるいた)で終わるわ」

 内海は突き放すように言った。おれは睨みつけるようにして内海を見た。内海は唇をひょっとこのように尖らせ応戦した。本当に馬鹿である。


 ため息をつくと、おれはもう一度天井を見上げた。


 頭に目掛け鈍器が振り下ろされ、血が飛んだ。この考えは間違いではないだろう。押し入られたわけではなく、親しい者で警戒などしていなかった。治はお客さんが来ると言っていたという――。正面から殴られたのか、背後からなのか? 犯人の心境としては、後ろから襲い掛かりたいだろう。あっという間で、悲鳴は出せなかったかもしれない。

 凶器はなんだろう? バットだと目立つ。もっとコンパクトな得物。トンカチ、ブラックジャック、レンチ、警棒――国語辞典という単語もひいてしまったが、慌てて消し去った。あの分厚さで殴られたら目から火が出るが、血は出ないだろう。

 それらの鈍器で殴られ、針枝治は無事で済むのだろうか? 気絶だけで済めば良いが……。


「なに考えるか当てたろか、ぶっさん。花恋のこと考えてるんやろ、スケベなやっちゃなあ」

「んなわけあるか、おれはどんな神経してんだよ」

 あまりにも馬鹿馬鹿しく、おれは笑った。

「なあ、ちょっと思ったんだけどさ、刃物で襲われたって可能性はあると思うか?」

「刃物で襲ったんやとしたら、一発で気絶させることはできひんから、少しの格闘はあってもええはずや。そうやとしたら、隣人が聞いてるやろ。犯人も刃物はチョイスせんやろ、攫うのが目的なら特にな」

「だよな」

 おれは腕を組みこくこくと頷いた。内海を襲い攫うのだとすれば、おれだって鈍器を選択する。


 内海は顎に手をやり、こちらと天井を交互に見やりながら、何かを思案していた。

「なんだよ」

「ぶっさん、肩車せい」

「肩車!? なぜに」

「天井の血が、本物か調べるためや。偽物の可能性もあるやろ」

 おれは顔を伏せ少しだけ考えると、

「――あるか?」

「あるっ! なにかしらの工作のために、犯人が偽装したとも考えられるやろ」

「なにかしらの工作って?」

「それは知らん!」

 内海は気持ちいいまでに言い切った。なんと男らしく、なんと無責任なのだろう。

 駄々をこねていても、結局おれが割を食うのだ。しゃがみ込むと、内海は肩に足を回し座った。内海の太ももを掴むと、力を入れ立ち上がる。重いのは言うまでもなく、腰を痛めないか心配だった。


「暴れんなよ、内海」

「わかってるわ。てかちょっとしゃがんでくれへん、近いねん」

「無茶言うなよ!」

「もう、仕方ないな……」

 内海はぶつくさと言っていたが、おれもぶつくさと言い返してやった。すると、内海が驚きの声を上げた。

「こいつは、まさか!!」

「ど、どうした!?」

「あ、ごめん間違いや。めんごめんご」

 と内海は甘えたような声を出す。

「……お前、絶対わざとだろ……」


 内海に返事はなく、けたけたと笑い声を上げた。これが返事なのだ。

 笑うと腹に力が入る。だからだろうか。内海の尻から、ぶっと不快な音がした……。

 おれは腹の底から叫んだ。


「てめぇこらぁ屁をこいたな! しかもめっちゃ臭いし!!」

 内海はより一層声を大きくし笑っている。だがにおってきたらしく、顔を歪め「臭っ!」と叫んだ。

 しゃがみ込み内海が降りると、おれは立ち上がり、唸り声を上げ肩を回した。ポキポキと肩が鳴っている。そこでパソコン前にある椅子に目がいった。


「てか椅子に乗れば良かったんじゃね」

「椅子やと微妙に高さが足らん。それにぐらくらと動いて怖いやん、ぶっさんの方が安全や。優秀な台やったで?」

 確かに放屁をぶっかけられても振り下ろさないのだから、優秀だろう。いや、秀はいらないな。これは優しさだ。

「天井についてるのはやっぱり血やったわ」

「だろうな」

 首あたりがなんだか臭う気がするが、可能性の一つが潰れたので意味がなかったわけではない。


 おれたちは部屋の中の捜索を始めた。パソコンに繋いでいるモニターと、キーボードが置かれている机のすぐ右隣には、タンスがある。一部屋のため置くスペースがあまりないのだろうが、ゲームプレイをする上では邪魔になりそうだ。慣れると気にならないのだろうか? 慣れたら豆乳は美味いで、と言っていた内海の言葉がなぜか再生された。

 机の下に置かれているPCケースには、かすかに血がついていた。影ができ見え辛かったのだろう。犯人は血を拭ったが、PCケースについている血と天井の血は見落としてしまった。花恋たちも発見できなかった。内海に教えると、おれと同意見だった。

 窓を開けてみると、アパートの裏には川が流れていた。浅く流れも緩やかだが、洗濯物が落ちてしまえば救出は難しいだろう。川を挟んだ先には、二十メートルほどの高さの保険会社のビルがあった。屋上にはアンテナがある。物理トリック、という単語が頭に過ぎったが、手を振り考えを消した。

 新作のゲームを買い、治はその日、ダークエデンをあまりプレイしていなかったらしい。新作ゲームの名前は、『ヘビィーメタルギア6』。パッケージを開けてみるとソフトがなかった。ゲーム機に入っているのだろう。二十日発売の超大作のゲームで、手に入れられなかった者もいるらしい。おれは興味がないので買わなかった。


 押し入れの中には、ダークエデンの大会の優勝商品である、置き時計があった。ダークエデンはEスポーツとしても有名だった。フレンドたちと勝ち取ったのだろう。優勝するとは、腕前は申し分ないらしい。

 四角い箱のような形で、蒼の盾を背景に数字が書かれ、長身は杖、単身は短剣であった。あまり部屋に飾りたいとは思わない。押し入れの中に眠っているということは、治も同意見だったのだろう。時計の時はすでに止まっている。

 内海が説明を求めてきたので、教えてやった。めっちゃかっこええやん! と言っていたが、冗談なのか本当なのかはわからない。それに人の趣味はそれぞれである。他人がとやかく言う権利はないのだ。

 はたと思いついたことがあった。おれは時計を持つと、念入りに調べた。


「なにしてんの」

 と内海は言った。

「もしかしたらこれが凶器かと思って」

「ないやろ。ずっと押し入れの中にあったやろうし、わざわざそんなんで殴らんやろ」

「確かに……」

 持ってみてわかったが、見かけよりもずっと軽いのだ。脆い作りのようだし、殴ってしまえばどこかが壊れてしまうだろう。鈍器として使うには心許ない。しかもどこにも血はついていない。

 おれが内海を襲い攫うのだとすれば、この時計を凶器としては使わない。


「でも、そういった疑りは事件解明には不可欠やで。ぶっさんも頑張ってんな」

 どうして上からの目線なのだろうか。おれは助手ではないのだ。けれども、口元を緩めてしまっている自分がいた。一応、優れた探偵として内海を尊敬している。一応。

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