第2話

「妻はみっちゃんを見て言ったんだ。正直耐えられない、結婚前に言っておいてほしかった、たまに人形に話しかけるしって」

 しかも話しかけているのか……。想像しただけでもゾッとする。

「妻が不倫しているか調べて欲しいんだ。まだ確証はないからな、俺は妻を信じたい」

「いや、やから調べるまでもなく、アホみたいに不倫してますよっ」

 内海はなぜか苛立ったように言った。

「不倫の限りを尽くしてますよ。みっちゃんってなんやねんって愚痴りながらね」


 野崎は鼻息を荒くし、歯ぎしりした。またしても顔を赤くする。

 おれはごくりと唾を飲み、二人を見た。内海も負けじと、小馬鹿にしたように野崎に顔を向けていた。みっちゃんだけが、美しく笑っている。いったいどうしたらいいんだい、みっちゃん?


「まあ、証拠を集めてくれって言うんやったらやりますよ。――なあ、ぶっさん」

 頼むからこっちを見るな!!

 野崎は拳を握り歯を噛み締め、黙って堪えていた。荒い鼻息で、心の中で怒号を上げているのがわかった。

「奥さんとやり直すのかはしりませんけど、そのみっちゃんを焼却炉に投げ込まない限りは、無理でしょうけどね」

 メール文だったらきっと最後に『笑』が入っている言い方だった。人を馬鹿にするのが、内海の得意わざなのだ。

「もういい!!」

 野崎は勢い良く立ち上がると叫んだ。

「もういい、お前らには頼まねえ! 帰ろうみっちゃん!」


 どしどしと足音に怒気を含ませながら、野崎は事務所から出ていこうとした。扉を開けると、力強く閉じ去っていった。事務所はたちまち静まり返った。おれは扉が壊れていないか心配だった。

 内海はふふっと笑った。

「強烈な人やったなぁ、おもろかったなぁ」

「いいのか、依頼人だぜ」

 おれはふうと吐息をつくと、ソファーから立ちが上がり、扉に向かった。

「ええねん、ええねん。不倫調査なんて面白くないがな」

「そういう問題じゃないだろ」

 おれは扉を開け閉めし、どこにも異常がないことを確認した。後ろを振り返り内海を見ると、


「不倫調査も立派な仕事だろ」

「心配するなって、ちゃんと給料は出すから。そう肩に力入れんなって。それに今日来る、もう一人の依頼の方が面白そうやねんで」

「あ、ああ」

 首肯なんてできなかったが、執拗に口答えしても給料をカットされるだけだ。助手ではないが、おれは一応内海に雇われている身なのだ。釈然としないが。


「でもしかし――」

 内海は遠い目をして、先刻までとは打って変わって憂うような真剣な表情をしていた。

「不倫ちゅうのは辛いなぁ……野崎さんが可哀想やで」

 人を馬鹿にすることとふざけるのが大好きなのだが、人を想う気持ちは持ち合わせているのだ。

 と思ったが、いやいや訂正だ、訂正。そもそも人を想う気持ちがあるのなら、人を馬鹿にするのが得意なはずがないのだ。これが当然の帰結だ。


 内海湊(みなと)は人の心を知らぬ悲しき男なのだ。


「――なにさっきから冷めた目で俺を見とんねん!」

 おれは悲しき男から目を逸らした。



 ぶっさんというのは、おれのあだ名だった。

 毒島(ぶすじま)蓮太郎(れんたろう)からとってぶっさん。れんちゃんとか他の呼び名もありそうだが、親しい者は皆ぶっさんだ。内海に至っては酷い時には、ブス! と呼ぶこともあった。そのままである。なんの捻りもない。


 内海の年齢はおれと同じ二十三。小学校からの付き合いだ。先生に怒られてもふざけきる変な奴とは関わるまいと思っていたが、いつの間にか仲良くなり、どの友達よりも長い付き合いになっていた。

 非常に嘆かわしく腹が立つのだが、とても容姿がいい。痩せ型だが目は大きくキリッとし、鼻筋も通っている。すべてのパーツが、適切な場所に設置され、おかしな部分がない。腹が立つし、その顔を殴りへこましたくもなる。

 容姿端麗ではあるが変わっており、面白ければそれで良いという考え方を持っていた。笑える殺し方をしてくれるのなら殺してくれてもいいと、澄んだ瞳をして言っていた。冗談ではないようだった。ただ面白くなければ怨み殺してやるとも言っていた。内海なら平気でやってのけそうなのでタチが悪い。


 内海探偵事務所は、元々祖父が開いていたらしい。老人と呼ばれるようになってからも事務所を切り盛りし、入れ歯だったが、いつ事件に巻き込まれてもいいように推理を喋る練習をしていたという。スラスラと喋るらしいのだが、物忘れが激しいらしく、同じ推理を何度も何度も繰り返すという致命的なミスを犯していた。例え入れ歯で滑舌が悪かろうが、土台無理な話だった。

 そんな名探偵も体調を悪くし、孫が引き継いだ。お爺さんも間違った奴に継がせてしまった。


 大学卒業後に引き継ぐことになり、一緒にやらないかと内海に誘われた。やりたいこともなかったので、おれは何も考えずに了承した。何も考えてはなかったが、それなりにやりがいを見つけ、未熟者ながら探偵業をこなしている。

 誘われた時は仕事など無いのではないかと思っていたが、これが結構需要があるのだ。不倫調査や迷子のペット探し、それに警察に頼めないことを依頼するものも多い。リベンジポルノの危険性のある者と話を付け、友達が薬の売人と繋がりがあるので縁を切って欲しいなどといった、危険を伴う依頼だ。チンピラ共に追いかけ回されたこともある。あの時の内海の逃げ足は速かった……おれを置いて、グングンとグングンと……。


 刺激が強ければ強いほど、内海は満足する。しかもそこに謎があれば申し分はないようだ。なので野崎が持ってきたような不倫調査は、あまりやりたがらない。おれだってその刺激を楽しんでないと言えば、嘘になる。


 二代目内海探偵事務所は、街ではそれなりの噂にはなっていた。

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